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ウェディングドレス試着と父の涙(アウレリオ視点)

「アウレリオ様、試着だけなのに大げさですってば⋯」

「君のウェディングドレス姿だよ!? 一生に一度の、国家レベルの一大事じゃないか!何でそんなに冷静なの!?」


重大な局面に緊張を隠せない僕をよそに、リリアーナはくすりと笑った。


「アウレリオ様が私の分まで緊張してくれるから、落ち着けるんですよ」


豊かな黒髪が光を受けて艶やかに流れる。鮮やかな紫の瞳が柔らかく、僕を映している。淡い藤色の外出着に身を包み、普段より少しだけ念入りに整えられた装いは、急に大人びたように感じられる。



ここは宝飾品で名高いヴァイオレット領に新しく増えた、高級ウェディングドレス専門サロンだ。ヴァイオレット伯爵夫人直伝の繊細な刺繍ドレスは特に人気で、王都の貴族がわざわざ足を運ぶほどの評判だ。


『遠出は面倒、試着も含めて一箇所で済ませたい』そんなヴァイオレット家らしい発想から、ヴァイオレット領には宝飾品と服飾品の両方を扱う、サンプルドレスの試着が可能なサロンが増えた。その利便性は図らずも他家の貴族たちを虜にし、総合サロンは今や領地の新たな財源となっている。狙っていないのに繁栄していくのが、いかにもヴァイオレット家らしい。


「お連れ様がお待ちです」

「わぁ⋯素敵ですね」

落ち着いた振る舞いをしていたリリアーナも、思わず歓声を上げる。

僕たちが通されたサロン内の広い室内には、様々なウェディングドレスやヴェール、宝飾品が美しく展示されていて、どこも光で溢れている。突き当たりの銀縁の白いドアが開いており、奥が応接セット付の広い試着スペースになっているのが見えた。


そして部屋の中央には白い革張りのソファと優雅なラインのテーブルが置かれている。

そこには、なぜかヴァイオレット伯爵の姿があった。


「ヴァイオレット伯爵!?どうしてこちらに⋯」


今朝から姿が見えず、馬車が1台なかったので、いつものように農地の視察にでも出かけたのだろうと思っていた。


それなのに、サロンのウェディングドレス展示室という光溢れる空間、その中央に、伯爵は重苦しく鎮座していた。背筋を真っ直ぐ伸ばし、少し白いものの混じった黒髪を整えたその姿は、いかにも歴戦の貴族といった風格だ。


「あなた。やっぱり、いらっしゃったのね」

「⋯」


突然のことに動揺する僕を尻目に、女性陣は「来ると思った」という涼しい顔だ。

伯爵は一言も発さず、鋭い眼光で前を見据えている。その威圧感は、ここが華やかなドレスサロンではなく、戦場の作戦会議室かと錯覚するほどだ。


でも、これはチャンスだ。伯爵とは仕事の引き継ぎで会話をする機会もあった。そろそろ、もう一歩、距離を縮めたいと思っていた所だ。


(今日こそエレナが呼ぶどさくさに紛れて、僕も『お義父様』と呼んで距離を縮めてみせる!)


僕は密かに拳を握った。


僕の隣で、リリアーナが困ったように辺りを見回す。


「何から見れば良いのかしら……」


ドレスが膨大でとっかかりに悩んでいるらしい。


そうだ、本題も忘れてはいけない。ここで頼れる夫の姿を見せなくては。


僕は予習してきた知識を総動員する。シルエット、ライン、素材——完璧なはずだった。


だが、一つだけ致命的な問題がある。


リリアーナは、何を着ても似合ってしまうのだ。


清楚なAラインドレスは妖精のようだろうし、高貴なマーメイドは女神のようだろう。


「何から着てもらえば良いのか……」


結局、僕も彼女の隣で途方に暮れてしまった。


「まずはシルエットを決めましょう!」


仕切り役のエレナが声を上げる。


「プリンセスラインは鉄板ですけど、マーメイドも捨てがたいですよねー。あ、リリアーナ様、これと、これならどっちが良いですか?」


いつの間にか手袋をはめて、形の違うドレスを次々と手に取ってリリアーナに見せていく。


ヴァイオレット伯爵夫人は、伯爵の横に座り、気になったドレスを店員に運ばせて並べている。何か思案するように眉間を寄せていたと思ったら、急にこちらを向く。


「……殿下は露出が多いとお嫌かしら?」


夫人に急に振られ、僕は背筋を伸ばした。予習の成果を見せるんだ。

ええと……最近は華やかな露出高めが人気。でもレースで抑える上品路線も来ている。まずはそっちから……!

落ち着け、論理的に答えるんだ。


「いえ、あ、その、露出は、その……」


だめだ。


「…………」


伯爵の眉間のシワがさらに深まった。怖い。


「お母様、露出を抑えないとアウレリオ殿下が気絶しちゃいますよ」


エレナめ。でも助かった。


挽回の機会を伺う間もなく、女性陣はさっさと候補を抱えて奥の試着室へ消えていった。


扉が閉まり、広いサロンに男二人が取り残される。接客係が淹れてくれた紅茶の湯気が、空虚に立ち昇った。


今だ。今こそ、自然に話しかけるんだ。『お義父様、楽しみですね』って、さらっと!


僕は姿勢を正し、喉を鳴らす。


「お、おと……っ」


噛んだ。二文字目で噛んだ。


伯爵は相変わらず、三人が消えたドアを親の仇のように睨んでいた。


聞こえなかったか? よし、仕切り直しだ。


僕が意を決し、息を吸い込んだところで


「何か?」


急に振り向かれ、心臓が跳ね上がる。


「お、お茶が美味しいですね!?」


「……?」


伯爵はこれ以上ないほど不審そうな顔で首をかしげた。それもそうだ。僕も彼も、まだカップに指一本触れていない。


「ありがとうございますぅ、皆様そう仰ってくださるんですよぉ」


接客係の女性の声が虚しく響く。つらい。もうダメだ。

僕は一生、この人をお義父様と呼べないのかもしれない。


「……来るのではなかった」


伯爵がぽつりと零した。その両手は膝の上で固く握りしめられ、小刻みに震えている。

そんなに僕といるのが苦痛だろうか。

血の気が引く僕を置き去りにして、勢いよくドアが開いた。


「まず一着目でーす!」


エレナの掛け声と共に現れたのは、純白に身を包んだリリアーナ。


余計な装飾を削ぎ落とした、上品なAラインのドレスだ。生地は上質なシルクサテン。光を受けるたび、水面のように柔らかく揺れる。

胸元は控えめなハートカット。露出は少ないが、鎖骨のラインが美しく浮かぶ絶妙な角度だ。

裾には、ヴァイオレット伯爵夫人の刺繍教室の教え子たちによる、極細の銀糸刺繍。近づかなければわからないほど繊細だが、光を受けると星屑のように瞬く。

繊細なレースのヴェールの向こうで、リリアーナが少し照れたように微笑んでいる。


「……どうかしら?」


世界から音が消えた。ああ、こんなに素敵な人が、僕の隣を歩いてくれる。こんなに幸せなことが、この世にあるだろうか。


「り、リリアーナ……ありがとうっ!僕、生きててよかった!」


気づけば、僕は膝をついて号泣していた。


「ドレス汚さないでくださいねー」


とエレナが裾を避ける。リリアーナが呆れたように笑う。


「ほら立って下さい⋯もう、二人とも気が早すぎよ」


「……え、二人?」


僕が顔を上げると、隣では伯爵が夫人に抱きかかえられ、鬼のように険しい顔で大粒の涙を流していた。


「こんなに……こんなに大きくなって……ううっ」


夫人がため息をつく。


「だから言ったでしょう。来ない方がいいって」

「お父様ったら、エレナの時も実の両親より先に泣いていたものねぇ」


リリアーナも呆れ顔だ。

エレナは懐かしそうに頷いている。


「そうそう。すごい形相になるから、怒っているのか喜んでいるのか分からなかったって、私の両親も笑っていましたよ」


伯爵のあの「鋭い眼光」は、涙を堪えるための必死の形相だったのだ。


「すまない。こんな醜態をさらすなら来なければ良かった……それでも、来ないわけにはいかなかったんだ」


伯爵が、大粒の涙で頬を濡らしたまま僕を見た。


「殿下」

「はい……っ!」

「王族に嫁いで、手の届かない場所へ行くと思っていた。王族になるとは、そういうことだと……」

「……はい」

「だが、貴方が婿に入ってくれた」


涙でぐしゃぐしゃの顔で、伯爵が笑う。


「本当に、ありがたい」


胸が熱くなった。

全力で家族を愛し、慈しむ。

そんな暖かな人達の家族に迎えてもらえるのは何て幸福なことだろう。


「私こそ……!」


声が震える。視界が滲む。


「この家に入れていただけて、光栄です」


気がつけば、お互いの両手を拝むように握りしめていた。


「リリアーナを……娘を、頼みます」

「お任せください!」


そのまま僕たちは、泣きながら抱き合った。


ドレス姿のリリアーナを放置して、男二人が嗚咽を漏らしながら抱き合う光景。

それを少し離れた場所から見ていた女性陣の視線は、とても冷たかった。


「……一瞬で仲良くなりましたね」


エレナが、まるで珍獣を見るような目でぼそりと呟く。


「……単純」


夫人も、深く、深ーく溜息をついた。


リリアーナは苦笑いだ。


「うーん、これ以上泣かれたら、お二人とも干からびちゃいそう。もうこれで決めてもいいのでは?」


「何を言っているんだ!」


涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた伯爵が、鼻をすすりながら叫ぶ。


「我々のことは気にするな!思う存分、納得いくまで試着しなさい」

「そうだよ、リリアーナ! 綺麗な君の花嫁姿を、もっと僕たちに見せてよ!」


僕も涙を拭いながら、力強く叫び返した。


「それならお言葉に甘えて。あのトレーンの長いマーメイドライン、試してみたかったの」

と、ウキウキした顔で引き返すリリアーナ。


「私の時のウェディングドレスと少し似ているわね」

いつもは表情の控えめな夫人も、嬉しそうだ。


「母娘で似たデザインっていうのも素敵ですー! お義父様、また号泣ですね」

エレナも、普段以上にはしゃいでいる。


キャッキャと楽しげに去っていく女性陣。



嵐が去った後のような静寂が、再びサロンに訪れる。接客係の女性が、大きなタオルと冷たい水のグラスをニコニコと差し出してくれた。僕と伯爵は、無言でそれを受け取った。


ズズッ、と鼻をすする音が、広い室内に二つ重なる。ちょっと気まずい。


「……殿下」

「はい」


伯爵は、照れくさそうに、けれど先ほどまでの威圧感が嘘のように柔和な表情で、僕に視線を向けた。


「……リリアーナのどこに惹かれたんですか」

「えっ?」


唐突な質問に、僕は水を吹き出しそうになった。

伯爵はグラスを傾けながら、どこか遠くを見るような目をしている。


「あ、はい……ええと、全部です。強いて言うなら、僕のような器の小さな男でも、彼女の隣にいれば自分も少しだけマシな人間になれるような……そんな温かさと強さに、どうしようもなく惹かれました」

「……そうですか」


伯爵は一瞬、眩しいものを見るように目を細めた。


「殿下」

「はい」

「私は立場上、貴方を殿下とお呼びします。これは、貴方がリリアーナと結婚してからも変えません」


形式は崩さない、という宣言だ。寂しいが、真面目な伯爵らしいとも思う。


「⋯承知しました」

「ただ……私のことは好きに呼んでください」


間。


これは、まさか。


伯爵の耳が赤い。

ソワソワしているようにも見える。もしかして、僕が「お義父様」と呼ぼうとしていたことに気づかれていたのだろうか。

だが、確信がもてない。

悩む僕に伯爵は穏やかに声をかける。


「ゆっくりで結構です」


その困ったような微笑みが彼女とよく似ていて、ああ、親子だな、と実感する。


胸の奥がじんわりと温かくなり、緊張が解けていく。


「はい、お義父さー」

「お待たせしました! 二着目です!」


エレナの声とともに再び扉が開く。

今じゃなくても良いだろう!?

エレナにかみつこうと振り返った僕はまたしても言葉を失った。


今度は一転して、上半身は総レース。花模様はすべて手刺繍で、糸の色は純白ではなく、わずかにアイボリー。

腰から膝にかけては身体に沿うように絞られ、そこから大胆に広がる。動くたび、裾のオーガンジーが空気を含み、まるで白百合が開くように揺れた。

トレーンは長め。床に流れ落ちる白は、まるで月光の道のようだった。

ヴェールをあげて、輝く黒髪を片側に流した彼女の姿に、僕と伯爵は同時に息を呑んだ。


「……母親に、似て……大きくなった」

「り、リリアーナ、きれい……っ」


女性陣は、どこまでも冷静だ。


「さっきのとどっちがいいかしら?」

『両方だ!』


僕たちの叫びが重なる。


「こんな綺麗なリリアーナ、誰にも見せられない。結婚式はリリアーナ以外立ち入り禁止にする!」

「それ、私が一人で立っているだけでは?」


リリアーナの至極真っ当なツッコミも、今の僕の耳には届かない。


「だ、だって、リリアーナ! こんなに綺麗な君を僕以外の人間が見るなんて……! 僕は涙でまともに見られないのに、他の奴らがまじまじと見るなんて耐えられない!」


伯爵はびしょびしょになったハンカチを握りしめたまま、首をふる。


「殿下、それでは結婚式の体をなしません」


しまった。伯爵にまで窘められてしまった。だが、ここは譲れない。

苦悩する僕に伯爵は優しく語りかける。


「だから……リリアーナは衝立で囲んでおくというのはどうでしょうか」

「最高の名案です!」

「「「却下です」」」


女性陣の冷ややかな声が、見事な三重奏となって響き渡る。


「もう……。お母様、エレナ、次のドレスに行きましょう。この人たちは放っておいて」


リリアーナは呆れたように肩をすくめると、僕と伯爵に背を向けて再び試着室へ向かう。

くるりと背を向けた彼女の耳元が真っ赤になっていたのを、僕は見逃さなかった。

呆れているけれど、きっと嫌ではないのだ。……たぶん。


その後も試着は続き、僕と伯爵はそのたびに情けないほど取り乱し、互いの感性を称え合い、そして女性陣に徹底的に無視された。


結局、最終的なドレスは、リリアーナがお義母様とエレナと相談して決めた「当日まで内緒の一着」に決まった。僕とお義父様は、蚊帳の外に置かれた寂しさを、ただただ分かち合うしかなかった。


サロンを出る頃には、僕と伯爵の間には、言葉を超えた何かが芽生えていた。


帰りは、僕とリリアーナ、伯爵夫妻とエレナに分かれて馬車に乗ることになった。


「アウレリオ殿下」

「はい」


馬車へ向かう道すがら、伯爵が足を止めた。

その表情は、先ほどまでの号泣がなかったかのように落ち着いていたが、僕を見る目は依然として鋭い。……いや、今はその鋭さの中に、確かな信頼のようなものが宿っているのを感じる。


「リリアーナは、私に似て不器用で、的外れな所もありますが⋯」

「お父様!?」

「根は優しい子です。どうか、よろしく頼みます」

「はい。一生、命に代えても大切にします。……あ、でも、やっぱりヤキモチは焼いちゃうと思うんですけど……」


僕が正直に白状すると、お義父様はフッと口角を上げた。


「……安心してください。その程度は欠点がなければ、ヴァイオレット家には入れません」


伯爵は、わずかに口元を緩めた後、手を差し出してくれた。


「ありがとうございます、お義父様!」


ようやく呼べた。がしっと固い握手を交わす。


伯爵の後ろではリリアーナが可愛い笑顔を浮かべている。

エレナはニヤニヤしていて、腹立たしい。

夫人は少しだけ微笑んでいる。

僕は、この賑やかで温かな家族の一員になれた喜びを、噛み締めていた。


帰りの馬車の中、心地よい疲れに包まれながら、僕は隣に座るリリアーナの手をそっと握った。


「リリアーナ。僕、やっぱりヴァイオレット家に来られてよかった」

「……急にどうしたんですか。また泣き出すんじゃありませんよね?」


リリアーナは困ったように笑いながらも、僕の手を握り返してくれた。


「泣かないよ。改めて思ったんだ。リリアーナ、君を愛している。そして、君が愛するこの家族を、僕も同じように大切に守っていきたいって」


真っ直ぐに彼女の目を見つめて告げると、リリアーナは一瞬驚いたように目を見開き、それから僕の大好きな、春の陽だまりのような顔で笑った。


「……アウレリオ様だって、もう私の家族ですからね」


夕陽に染まる馬車の中で、僕たちは静かに微笑み合った。


……と、しんみりしたのも束の間。


「あ、でも、式の『衝立案』は絶対に無しですからね。お父様と変なところで意気投合しないでください」

「……だって、あんなに綺麗なリリアーナを他の人が見るなんて…どうしてもダメ?」「ダメです!」


釘を刺され、僕は唸りながら次の妥協案を考え始めた。

帰ったらお義父様にも相談してみよう。

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