器の小さな男と、大きすぎる愛(アウレリオ視点)
婿入り修行と称してヴァイオレット領に滞在して、まだ数日。
それなのに、僕はすでに何度目かの溜め息をついていた。
「僕の嫁ぎ先の人たちが、優秀すぎる……」
以前からヴァイオレット領には何度も足を運んでいたけれど、間近で見れば見るほど圧倒される。
ヴァイオレット伯爵は、専門家も舌を巻く知識と、領民第一を譲らない信念の持ち主だ。さらに驚異的なのはその先見の明。鉱山以外の収入源の確保や、品種改良まで模索する、底知れない知性と行動力を持っていた。
伯爵夫人は、そんな夫を影から完璧に支えている。
王都から来た気難しい専門家たちも、彼女の細やかなもてなしや、体調を崩した際の見舞い、祝い事に贈られる手製の刺繍にすっかり心を掴まれていた。今や誰もが「ここに移住したい」と言い出す始末だ。
そして、僕の婚約者リリアーナも。
街へ出れば、誰もが彼女を慕って声をかける。母親から託された赤子を抱っこして微笑む様は、神々しいほどに美しかった。
「優しくて努力家な、自慢の婚約者ですから、よろしく」
新参者の僕が温かな拍手で迎えられたのも、彼女が事前にそう触れ回ってくれていたからだという。
どこへ行っても「お嬢さんをよろしく」と託される。領民たちの顔には、彼女への親愛があふれていた。
外見から悪徳貴族と誤解されていたけれど、実は冗談みたいに優秀で、人格者揃いのヴァイオレット家。そこに、僕みたいな器の小さい男が自分勝手にやってきて、跡取りになろうとしている。このままでは領民に申し訳ない。
(せめて、知識だけでも追いつかなければ……!)
焦りに突き動かされ、僕はその夜、朝焼けが窓を染めるまで帳簿と格闘し続けた。
けれど、胸の奥を締めつける焦燥感は、どれだけ数字を追っても消えなかった。
「アウレリオ様、少しお時間よろしいですか?」
翌朝、リリアーナに呼び止められた。その深刻そうな顔に、心臓がひやりとする。
もしかして、「やっぱりあなたでは不足だから婚約破棄してほしい」と言われるのだろうか。
「最近、夜遅くまで起きていらっしゃいますでしょう? 午後は少しお休みになっては?」
出てきたのは、優しい気遣いの言葉だった。それが余計に申し訳なくて、僕はうつむいてしまう。
「大丈夫だよ。もっと頑張らないと……あんなに素晴らしい、聖人のようなご両親の後を継ぐのが僕では、領民ががっかりする」
「そんなことないですよ」
「わかっているんだ。僕には伯爵のような知識もないし、夫人ほど細やかな配慮もできない。リリアーナ、君だって思っているんだろう? 女神のように心優しい君に、僕じゃ不釣り合いだ。もっとふさわしい婚約者が――」
「やめてください!」
リリアーナの叫び声が響き渡った。彼女はわっと顔を覆い、嘆き出す。
「そんなに崇めないでください! 家の中でそんな勘違いで崇拝されて、思い詰められたらこっちの気が休まりません! お父様は昔の胃薬を引っ張り出してるし、お母様も刺繍に罪悪感が滲み出て、暗い色合いの『呪いの刺繍』みたいになるし、私もおちおち昼寝ができません!」
「え? ……どういうこと?」
呆然とする僕に、リリアーナは涙目でまくしたてた。
「確かにあの二人は善人ですけど、聖人なんかじゃありません! お父様が博識なのは、社交を逃げる口実で学業に打ち込んでいただけです。新品種の研究だって、植物を増やしすぎてお母様に怒られて、苦し紛れに言い訳して引けなくなっただけ! 本人は『怪我の功名だ』ってホクホクしながらさらに増やしてますけど」
「そうなの……?」
そういえば、この話を振ったとき、伯爵は鋭い目つきのまま無言で目をそらしていた。
僕の未熟さに言葉もないのかと思ったけれど、あれは(いえ、実は成り行きで……)と言い出せなかっただけかもしれない。
「それに、お母様があれこれ気を回すのは、極度の心配性だからです! 刺繍のプレゼントも『あの方に贈らないのは失礼かしら? 逆に贈られたら迷惑?』って永遠に悩むので、悩んだら贈ってしまおう、をルールにしたんです。そしたら、どんどん贈る範囲が広まって、収拾がつかなくなっているんですよ!」
たしかに、お礼を言ったときの夫人のあの表情。あれは(この対応で大丈夫? 本当に失礼じゃないかしら……)という不安の現れだったのか。
リリアーナは、やり場のない怒りを込めて拳を握りしめた。
「私だって、視察と言い訳してお菓子や新しい寝具をチェックしに出かけていただけなんです。なのに、アウレリオ様がうちの評判を上げに上げたせいで『お嬢様が見守ってくださっている』なんて勘違いされて、歩いているだけで拝まれる始末。おまけに『リリアーナ様に抱っこされた赤ちゃんは強い子になる』なんて謎の信仰まで広まって……私にはそんなご利益ありません! 申し訳なくて死にそうです!」
リリアーナは一息にまくしたてると、少し肩を落として僕を見た。
「今朝も、両親はアウレリオ様の徹夜をすごく心配していたのに、自分たちで説明するのが恥ずかしくて、私に押し付けたんです。『上手く言えなくて誤解されてるみたいだから、話を聞いてきて』って。こんな、情けない家族なんです……がっかりしました?」
「ふふ、ううん。とても、にぎやかで素敵な家族だと思うよ」
思っていた完璧な一家ではないけれど、思っていた以上に温かで魅力的な人たちだ。
僕もこの一員になって一緒に右往左往したい。そうできれば、なんて幸せだろう。
でも――。
「やっぱり僕は、ヴァイオレット家にはふさわしくないよ」
「……アウレリオ様?」
リリアーナを騙し続けることはできない。もし嫌われたら、潔く身を引こう。僕は覚悟を決めて、白状した。
「実は……僕、うらやましいんだ! 領民が僕の知らないリリアーナを知っていることも、君に気遣われることも、何もかもうらやましい……。守るべき民にさえ嫉妬する、器の小さい男なんだ、僕は――っ」
「知ってました」
「え?」
被せ気味に返ってきた言葉に、僕は驚愕した。
「え? 逆に気づかれてないと思っていたんですか? あんなに顔にも態度にも声にも出しておいて」
「そんなに漏れてた……!?」
「はい。この前も、私が赤ちゃんを抱っこしたら『0歳でリリアーナに会えるなんてうらやましい』ってボソッと呟いていましたよ」
「うそだ……」
確かに思ってはいたけれど、まさか声に出ていたなんて。呆然とする僕に、リリアーナは当然のことのように告げる。
「アウレリオ様がヤキモチ焼きなことは、会った人全員にバレてますよ。大きなことから小さなことまで、老若男女、誰にでもヤキモチを焼いて……。でも皆、『それだけリリアーナ様のことが好きなんですね』って微笑ましく見守ってくれていました」
「うわぁぁぁーーっ!」
恥ずかしい。今すぐ消えてしまいたい。
「リリアーナ……婚約破棄しないで……」
「しません。どうしてそんな話になるんですか」
呆れたように笑い、彼女は丸まった僕の背中を慣れた手つきでさすってくれる。その優しさが、僕の罪悪感をさらに刺激した。
「……ヤキモチだけじゃないんだ。僕は、自分の無能さを君たちを利用して隠しているだけなんだよ」
僕は膝を抱え、消え入りそうな声で続けた。
「鉱山がうまくいっているのも、僕の力じゃない。
僕が連れてきた人たちは、君たちに惚れ込んだんだ。僕はただ、君たちを利用しているだけなんだ。
いつかそれがバレて、僕は君にふさわしくないと気づかれるのが怖い。」
「いい加減にしてください」
リリアーナは、情けなくて泣きそうな僕の目を覗き込み、はっきりとした口調で告げた。
「貴方が私にふさわしくないなんて言わないで。私は完璧な誰かではなく、アウレリオ様と結婚したいのです。一緒に考えて、悩んで、頼り合える……器はちょっと小さいけれど、愛がとびきり大きいアウレリオ様がいいんです」
「すぐに思い詰めるんだから」と困ったように微笑んで、彼女は僕を抱きしめた。その腕の温かさに、凍えていた心が溶けていく。
「……アウレリオ様は私達を利用しているんじゃありません」
彼女は力強く言い切った。
「私達は家族で『支え合っている』んです」
「家族……」
その響きに、僕はもう一度、涙が出そうになった。
「ほらほら! 何はともあれ、まずはお昼寝です!」
と言う彼女に送り出されて自室へ向かいながら、ふと光景が浮かぶ。
植物を増やしすぎて夫人に叱られる伯爵。刺繍の色合いで真剣に悩む夫人。昼寝を極めようとするリリアーナ。そこに僕も混ざって、右往左往する。
――きっと、悪くない。
僕の小さな器から、彼女への愛が溢れ続けたままでいい。
彼女が隣にいてくれるなら、一生かけてこの領地と、何より彼女を守ろう。
そう、静かに誓った。
ドアを開けようとしたところで、リリアーナに呼び止められる。
「あ、これ、私のオススメの枕です。アウレリオ様に使ってもらおうと思って、運んできました。抱きしめるとフッカフカで気持ち良いんですよ」
「リリアーナに抱きしめられる枕がうらやましい……」
「無生物にまで嫉妬しないでください!」
僕の器の小ささは、どうやら一生このままだ。




