第6話
BL要素はなしです。
ドSな聖が巳月をいじめます。
「―――…ん。千歳さん!」
「んぁ……?」
自分を呼ぶ声に、千歳は重たい瞼を上げる。
陽の光が眩しくてうまく目を開けられない。
目を細めて瞬きを繰り返していると、ぼやける視界に自分を覗き込む聖が見えてきた。
聖はにこりと爽やかに笑って一言。
「涎。」
「…ッ!?うぇっ…!?」
千歳は慌てて起き上がり制服の袖で口元を拭った。
「あはは、嘘ですよ。」
「……。」
千歳はその言葉に眉を寄せて聖を睨みつけた。
「怒らないでくださいよ。背中の痛みはもう平気ですか?」
「あ、ああ…もう、平気。」
いつの間にか眠ってしまったようだ。コンクリートで寝ていたせいか、体が痛い。
それでも、薬や湿布のおかげか先程よりも背中の痛みは緩和されたようだ。
白衣姿で自分を見下ろしていた聖は、笑顔で千歳の隣に腰を下ろした。
「そうですか。治るまで安静にしてなきゃ駄目ですよ?」
「分かってるよ。」
「でも、いいですねぇ。たまにはこんな暖かい日にお昼寝ってのも。」
聖はにこにこと笑顔で言いながら足を伸ばした。
「…?あんた…なんでここに?」
「ん?…ちょっと、逃げてて。」
聖は笑顔を崩さないまま、手にした携帯をチラつかせる。
千歳は聖の言葉に首を傾げた。
「逃げてるって、誰から?」
「いやね、保健室戻ったらムカつくバカップルが添い寝とかしてたんで、これでパシャッてね?」
「ムカつく…バカップル?」
バァァァァンッ!!!
「須藤ぉぉぉぉぉ!!!!」
「うぅわぁっ!!?」
いきなり屋上の戸が破壊されんばかりの勢いで開き、同時に殺気立った巳月が飛び込んできた。
あまりの驚きに千歳は奇声を出しながら思わず後ずさっていた。
肝心の聖は、そんな巳月を見ても爽やかな笑顔を崩さず振り向いた。
「あれ、もう見つかっちゃいました。」
「ふざけんなてめえ!!今すぐその携帯よこせ!!!」
「俺の保健室でイチャついてるあなた達が悪いんでしょう?久々にいいネタが取れました。ありがとうございます。」
「い、イチャッ…!?い、イチャついてなんかいねえだろ!!」
「イチャつくって…久世って学校に恋人でもいるのか?」
「えっ!?」
なんとなく言ってみたのだが、巳月の思いもよらぬ反応に千歳はきょとんと首を傾げた。
その質問に、端正な巳月の顔が朱に染まっていった。
「こ、恋人なんてそんなっ…!!」
「ええ、いますよ。この人真面目なくせにやること大胆なんですよ。生徒に手出すなんt」
「わぁぁぁぁぁ!!!」
聖の言葉を巳月の大声が遮って、千歳の耳には届かなかった。
巳月は聖の胸倉を掴んで睨みを利かせて凄んだ。
「携帯をよこせっつってんのが聞こえねえのか…!?」
「おーこわ。アレを見た相手が俺で感謝してくださいよ、久世先生。」
「お前だからこんなに焦ってんだろぉが!!」
初めて見た巳月の姿に、千歳は思わず気圧されていた。
普段クールで冷静で何事にも動じない巳月がこんなにも焦るなんて、聖は一体なにを見たのだろうか。
なにか、巳月にとって都合の悪いものでも見たのだろうか。
「そんなに怒らないでくださいよ、誰にも見せませんから。…ああ、そうだ。最近自宅のパソコンの調子がどうもおかしいんですよ。そろそろ買い替えなきゃなと思ってたんですが…なにしろ不景気のこの時代でしょ?物価も高くて高くて…。」
「分かったよ!!買うよ!!買えばいいんだろ!?パソコンだろうがなんだろうが買ってやるよ!!」
「え、いいんですか先生。助かります。」
「てんめぇ…。」
にこりと爽やかに笑う聖とは反対に、巳月の額の血管は今にもぶちぎれそうだ。
そのやり取りを呆然と見ていた千歳は、聖に感嘆の息を洩らす。
(須藤に勝てる奴の顔が見てみたい……。)
「いいか!!買ってやるから絶対に誰にも見せるなよ!?」
「はいはい、分かってますって。」
「チッ……そうだ、早瀬、お前その怪我どうした?」
「へ?」
いきなり巳月の意識の対象が自分に向き、千歳は変な声で返事をしてしまう。
「また喧嘩か?」
「…そう…だけど…。」
「喧嘩も程ほどにしろ。親にもらった大事な体だ、女の子ならもっと大事にしなさい。」
「は、はい…わかりました…。」
圭一に言われる事と同じなのに、巳月に言われるとすごい大事な事を言われている気がする。
その雰囲気に気圧されて思わず敬語で返してしまった。
巳月はその返答に小さく笑い、千歳の頭をぽんぽんと撫でた。
「素直じゃないか。」
大きな骨っぽい手が頭を往復する。
初めて見た巳月の笑顔に、千歳は思わずドキッとしてしまった。
綺麗な顔をしてると思っていたが、近くで見ると尚更そう思った。
(こりゃモテるわけだな…。)
「それじゃ。」
「あれ、もう行っちゃうんですか?もう少しお話してましょうよ。」
「俺はお前と違って暇人じゃないんだよ。お前もさっさと仕事場に戻れ。」
「暇人なんて失礼ですね。まぁ、間違ってませんけど。ああ、パソコンよろしくお願いしますね。」
「チッ…お前なんか大嫌いだ。」
憎らしくそう聖に吐き捨て、巳月は屋上をあとにした。
しんとなった空間で、千歳は隣の聖をちろりと見上げた。
「…あんたさぁ、どうしてそう嫌われるようなことすんだよ。」
「嫌いだからですよ。俺あの人嫌いなんですよね。顔も頭もいいからモテるし、あのスカした態度が気にくわないし。あの人が怒る顔を見るとスカッとするんですよね。」
(…ドSだ…。)
爽やかな笑顔で淡々と告げる聖に、『この男を敵にしてはいけない』と頭の中で認識する。
「…それにしても、意外だな。久世が職場恋愛なんて。仕事には恋愛を挟まなそうなのに。」
「……。」
(その相手が男で、しかも自分の兄だとは死んでも思わないだろうな…。)
「ま、あの人も男だってことですよ。」
「…ふぅん…。」
「それじゃ、俺も戻りますか。」
聖はぐっと伸びをすると、不意に腰を屈めて千歳の耳に唇を寄せた。
「恋のお悩みなら、いつでも相談にのりますよ。」
「…ッ…!!」
囁かれた言葉に頬を赤く染め、聖から慌てて体を離す。
「こ、恋なんかしてねぇっつの…!!」
「それじゃ、また。」
千歳の反応にくすりと笑って、聖は笑顔で別れを告げて屋上を出て行った。
「な、なんだよいきなり…。」
《恋》という言葉に妙に動揺してしまう。
恋?あたしが誰に?
自分で問いかけて、浮かびかけた男の姿を慌てて消した。
そんなわけない。
男なんか興味ない。好きだの恋だの、自分には縁がないもの。
この感情は恋なんかじゃない。
「ッ…気分悪い…。」
自分の中に居続ける感情に居心地が悪くなり、もう一度寝直そうとまたコンクリートに寝転がった。
屋上の階段を下りながら、データフォルダに並んでいる写真を一枚一枚眺めながらにやりと黒い笑みを浮かべた。
(久しぶりにいい収穫。これでしばらく久世は使えるな。)
千影と巳月が手を握り合って眠っている写真を見て満足そうに笑みを浮かべると、携帯を閉じてポケットにしまった。
(…それにしても、柊のあの反応といい、早瀬千歳のあの反応といい、なにかあったのは間違いないな。)
「…本当、お互い早く自覚すればいいのに。」
少し苦笑混じりにそう呟いて、聖はずり落ちた眼鏡の位置を直した。
圭一と顔を合わせにくいのか、結局そのまま屋上で寝て一日過ごしてしまった。幸い、圭一も屋上には一度も顔を見せなかった。
(会わないうちにさっさと帰ろ…。)
一応警戒しながら階段を下り、怯える生徒達を無視してどんどん階を下りていく。
もうすぐ学校を出れる、とはやる気持ちと同調するように駆け出す足。
曲がり角を勢いよく曲がったが、なにかに当たって思い切りよろめいてしまった。
「いってっ……んだよ気をつ……、」
「…ぶつかってきたのお前でしょ。」
圭一、だった。その姿を目の前にして千歳の体が硬直する。
運が悪かった、と千歳は心の中で悔やむ。
気まずそうに俯く千歳とは逆に、圭一は特にいつもと変わらぬ態度で後頭部を掻いている。
「まーたサボりやがって。」
「……。」
圭一の顔を見れない。このまま無視して帰ってしまおうと圭一の横をすり抜けようとする。
だが、それは失敗して容易く腕を掴まれ阻まれてしまった。
「ッ!?」
「黙ってどこ行くんだよ。」
「ど、どこってっ…か、帰るに決まってんだろ…っ!!」
動揺のあまり声が震えてどもってしまった。
腕を掴んでいる大きな手に、抱き締められたときの感触を思い出してしまい顔に熱が集まるのが分かる。
振り払おうにもビクともしない。
「背中はどうだ?」
「はっ?」
「背中は平気かって聞いてんだよ。」
「へ…平気…です。」
「…なんで敬語?キモ。」
「んなっ…!!い、言いたいことはそれだけかよ!!」
(てかいつまで腕掴んでんだよ…っ!!)
再び振り払おうと試みるが、圭一の手はがっちりと千歳の腕を掴んで離さない。
なにを考えているか分からない瞳で千歳を見つめていたと思ったら、不意に口を開いた。
「―――今日のことは、忘れろ。」
「は?」
「だから、忘れろって言ってんだよ。」
「な、なんのこと…?」
「―――…保健室でのこと。詳しく言わなきゃ分かんねえか?」
「ッ!!」
圭一の口から《保健室でのこと》という言葉が出て、千歳の顔が分かりやすいくらいに赤く染まる。
圭一はその様子に目を細めると、そっと腕から手を離す。
「それだけだ。じゃあな。」
「ッ!!ち、ちょっと待て…っ!!」
それだけ言ってくるりと背を向けた圭一の腕を慌てて掴む。
今度は掴まれる側になった圭一が怪訝そうな表情をして、顔だけをこちらに向けた。
「なんだよ。」
「な、なんだよってっ…い、意味分からねえんだよ!!あんなことされて頭こんがらがってるっていうのにいきなり忘れろとか言いやがって…っ」
「…だから、」
圭一は溜め息をついて千歳の腕をやんわりと振り払う。
「あれは別に意味なかったワケ。ちょっとからかおうと思ってやったのにそんな意識されちゃ困る。」
ドクンッ―――
「……。」
「よくいるんだよ。ちょっと優しくされただけで勘違いする生徒。お前もそこらのガキと同じだったのか?クールそうなのに意外。」
圭一はそう言って嘲笑うかのように口の端を吊り上げる。
なんだかいつもの圭一ではないことは分かっていた。
だけど、胸が軋むように痛むのはなぜだろうか。
垂れ下がっていた手のひらで、ぎゅっと拳を作る。
「んじゃ、そういうことだから。明日はちゃんと授業出ろよ。」
「―――待てよ。」
「…今度はなん…、」
―――パァンッ―――…
誰もいない廊下に肌を打つ乾いた音が大きく響く。
圭一はじんじんと痛む頬に顔を歪め、向かいの千歳に目を向ける。
今圭一の頬を殴った手で拳を握り締め、鋭く圭一を睨みつけている。
その瞳は、心なしか濡れているような気がして。
「ッ……あんたは別に…あれがあたしじゃなくてもよかったんだよな…。」
「……ちと…、」
圭一の手が千歳の肩に触れようとしたその時、千歳は乱暴にそれを振り払って駆け出した。
その場に圭一ただ一人残された静かな空間に、カチッとライターの音が耳に届く。
「……盗み聞きなんて趣味悪いぞ。」
「あれ、バレてた?」
小さく笑う声が聞こえたと思うと、階段の陰からひょこっと千影が顔を出した。
肺に入れた煙を吐き出しながら下りてくる。
「盗み聞きなんかしてねえよ。たまたま修羅場に居合わせちまっただけ。」
苦笑いをしながら、冷たい視線を送る圭一の隣に立つ。
圭一はバツが悪そうに顔を背け、ポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出した。
「…なんであんなこと言ったんだよ?本心じゃねえんだろ?怒らせた千歳は後が怖ェぞ。」
「…軽はずみな行動取った俺が悪い。」
箱から取り出した煙草に火をつけ、肺に入れた煙をゆっくり吐き出す。
「…あいつは生徒だ。それ以外のなにものでもねえ。…分かってた、はずなのに。」
「…へェ?」
千影は圭一に嘲笑する。
「大人も案外、余裕ねえんだな?」
「…うるせえよ。」
圭一は隣の千影を睨みつけた。千影はただずっと笑っていた。
どうしてあんなに苦しかったのか分からない。
あいつとあたしはただの生徒。
そんなの当たり前で、最初から分かっていたはずなのに。
『あれは別に意味なかったワケ。ちょっとからかおうと思ってやったのにそんな意識されちゃ困る。』
『ちょっと優しくされただけで勘違いする生徒。お前もそこらのガキと同じだったのか?』
悔しさと恥ずかしさで顔が熱くなる。
やっぱり、ただ遊ばれてただけだったんだ。
あたしの反応見て、陰で笑ってたんだ。
「むかつく…ッ!!」
昇降口にあったゴミ箱を思い切り蹴飛ばす。
散らばったゴミを踏みつけ、校門の側に停めてあった原チャリに鍵を差し跨る。
ヘルメットを被ろうとしたその時、肩に大きな手が置かれた。
「――――…。」
怪訝そうに眉を寄せ振り返る。見覚えのある制服に顔ぶれの男が数人。
「よォ。」
「……政南か。」
政南高校の不良達だ。
前に千影と一戦したことがある。もちろん圧勝した。
千歳は鍵を抜いて原チャリから降りた。原チャリに寄りかかり腕を組む。
「なにか用か?」
「久しぶりだなァ。相変わらず可愛い顔して怖ェ目してんな。」
ニヤニヤと不気味に笑っている男達に嫌気がさし、睨みつけながら低い声で吐き捨てる。
「聞こえなかったのか。用件はなんだって聞いてんだよ。」
「用件?そうだなァ…。」
「…?」
……ゴッ―――!!!
「うあっ…!!?」
男達のニヤニヤした表情に首を傾げた瞬間、後頭部に鈍い痛みが走った。
千歳はぶつりと意識を手放し、その場に崩れ落ちた。
頭から流れた血が地面にじわりと溜まっていく。
千歳の背後には、鉄パイプを手にした男が立っていた。
「連れてくぞ。」
「おう。」
ぐったりした千歳を肩に担ぎ、男達は顔を見合わせて不気味な笑顔を浮かべた。
「たっぷり可愛がってやるよ。」