第2話
今回はまったくBL要素はありません。
圭一×千歳の絡みだけです。
「ちっくしょ~悔しい~っ…!!」
千歳は再び戻ってきた屋上で、背中に貼られていた貼り紙をぐしゃぐしゃに丸めると地面に思い切り叩き付けた。
「誰がてめえの授業なんか行くかよ…!!放課後になったら絶対取り返してやる!」
叩き付けた貼り紙をもう一度思い切り踏みつけた。
怒りを抑えるために煙草に火をつけ、腰をおろしてフェンスに身を預けた。
煙を吐き出して息をつく。
そして、ふと千影の言葉が脳をよぎった。
『あいつ、お前のこと好きなんだよ。』
「……いやいやいやいや。」
少しその言葉の意味を考えた後、一人で否定しながら呆れたように笑い出した千歳。
「ないだろ、それは。」
16歳と29歳、年の差は13もある。
それ以前にあたしと柊は教師と生徒。
どう考えたって想像出来るようなことではない。
「千影の奴からかいやがって…。」
「さっきから独り言多いね~。」
「………。」
思わず煙を肺に入れる前に口から吐き出してしまった。
目の前には、腕を組んだ圭一が立っていた。
千歳はあまりの驚きに目を丸くする。
「…あれ?おーい、早瀬チャーン?起きてる?」
圭一は屈んで反応がない千歳の顔を覗き込む。
「…仕方ない、ここは王子のキスで…。」
そう言って千歳の顎を指で持ち上げ、唇を近づける。
だが、千歳はすぐさまその圭一の頬を拳で殴り飛ばした。
「ぐはっ!!」
「どさくさになにしやがんだあんた。」
吹っ飛んだ圭一をあくまで冷静に見据える。
圭一は殴られた頬を押さえながら地面に横たわっている。
「なっ、なにしやがんだ俺の顔に…っ!!」
「あんたこそあたしの唇になにをする気だったんだ。」
「ちぇ~…その落ち着いた反応、やっぱ男の扱いは慣れてるんですか?」
圭一はからかうように笑って体を起こす。千歳は視線を逸らし煙草の煙を吐き出す。
「別に。男なんか興味ないだけだ。恋人もいたことないし。」
「…え!?彼氏いたことないの!?」
「だから、男に興味がないと言っただろ。」
「うっわ~可愛い顔してんのに勿体ねえ!何人の男が泣いてきたのかね~。」
「……。」
こういう、すぐ《可愛い》と言うところとか、軽い感じがして苦手だった。
一体何人の女の子に同じことを言っているのか。
だから、こいつに好きと言われようが、信用性の欠片もない。
「…つうか、あんたなんでこんなところにいるんだよ。今授業中だろ。」
「サ・ボ・りっ。」
「…はぁ?」
語尾にハートでもつけているような言い方に、思わず眉を寄せる。
「…あんた、なんで教師になれたんだ?」
「ははっ、そんな真面目な顔で聞かれると困るな(笑)」
「だって全然教師っぽくない。少しは久世を見習ったらどうだよ。」
「…久世先生?」
なんとなく思い浮かんだ《久世》の名前を出した途端、圭一の目が一瞬鋭く光った。
千歳は一瞬驚いて思わず気圧された。
(なんだ?今の目……。)
「久世先生がなんで出てくんだよ?」
「べ、別に意味はないけど…。」
「千歳チャンは、久世先生みたいな男が好きなの?」
「だ、だからそういうんじゃねえって。」
「…ふうん?」
(な、なんだよ…。)
少し今の圭一の空気が怖いと感じてしまった。
巳月に対しての敵対視というような、そんな空気が感じ取れた。
(久世と仲悪いのかな…。)
「…なぁ、千歳チャン。」
「あ?」
カシャンッ―――
フェンスが鳴る音がしたと思ったら、目の前に影が覆いかぶさる。
ふわりと香る、千歳の煙草とは違う甘い煙草の匂い。
またいつものような笑顔を千歳に向けたと思うと、圭一は千歳に詰め寄って顎を持ち上げた。
「男、知らないんだよね?」
「…それがどうかしたのか。」
「俺が、千歳チャンの初めての男になってやろうか?」
「…もうすぐ30のオヤジがなに言ってんだ。寝言は寝て言え。」
千歳は手に持っていた煙草を地面で揉み消し、冷静にその圭一の体を手で押し返した。
圭一はにやりと笑うと、体を千歳の前からどかす。
「少しは女の子らしい反応してくれると思ったんだが、頬も染めないってどういう事?」
「それだけあんたがあたしの眼中にないということだ。」
「…言ってくれるねえ。」
あくまで表情を変えない千歳に、少し苛立ちを感じる圭一。
「もう十分だろ。あたしは帰るからな。あんたも早く教室戻れ。」
千歳は呆れるように溜め息をつき、腰を上げた。
「じゃあな、変態教師。」
千歳は圭一の横をすり抜けて、出口へと向かう。
「…待てよ。」
「…?」
―――…一瞬だけ、息が止まった。
背中から感じる大きな体と、体温と鼓動。
陽に透ける銀色の髪が頬をくすぐった。
嗅いだ事がない、甘い煙草の香り。
自分の体に回された逞しい腕で、抱きしめられていると千歳は気づく。
「…俺、結構本気なんだけど?」
低音の圭一の声が耳元で聞こえる。感じたことがない感覚に戸惑うが、平静を装った。
「教師が、生徒に手出していいのかよ?」
「俺そんな事気にしねえし。」
「…あのなぁ、」
千歳は溜め息をついて、肩肘を思い切り後ろに引いた。
「うっ!?」
その肘は見事圭一の鳩尾に入った。
圭一は呻き声をもらし、その場にうずくまる。
「なっ、なにしやがるっ…!!綺麗に鳩尾…っ!!」
「喧嘩やってりゃ鳩尾ぐらい綺麗に仕留められるんだよ。」
圭一は涙目で千歳を見上げる。
千歳は冷たい瞳で圭一を見下ろしていた。
「あのなぁ、あたしはそこらの軽い女共とは違うんだよ。一緒にすんな。」
「……。」
千歳はそれだけを言うと、圭一に背を向けた。
「あ、待て。」
「…今度はなんだよ。」
そう言って振り返ると、座ったまま圭一が携帯を千歳に差し出していた。
ストラップもなにもついていない、黒い携帯。千歳の携帯だ。
「返してやるよ。ためになるお言葉もらったし?」
「…ふん。」
笑っている圭一から奪うように携帯を取ると、さっさと屋上から去った。
残された圭一は、腹を押さえながらその場に寝転がった。
そして、ポケットからくしゃくしゃになった煙草を取り出し、くわえて火をつける。
『それだけあんたがあたしの眼中にないということだ。』
『あたしはそこらの軽い女共とは違うんだよ。一緒にすんな。』
「…面白い女。」
圭一は伸びをしてから、笑ってそう呟いた。
「……。」
一階の、昇降口に繋がる廊下を進んでいく。
授業中の静かなそこは、今は千歳の足音しか聞こえない。
ふと、千歳はピタリと足を止めた。
後ろを振り返って、圭一がついてきていないかを確認する。
誰もいないのを確認して、どっと息を吐き出した。
(なんださっきのー!!!)
そう口元を手で覆い心の中で叫ぶ千歳の顔は、これほどない程に真っ赤に染まっていて。
平静を装いながらも、実は内心動揺しまくりだったのだ。
最初のキス未遂も、『初めての男』宣言も、あの抱擁も。
全て軽く流していたが、16年彼氏もいない、もちろんキスも未経験、罵声の飛び交う戦場のようなところで不良生活を送ってきた男を知らない千歳には刺激が強いことばかりだった。
「な、なんなんだあの男…っ!!」
『俺が、千歳チャンの初めての男になってやろうか?』
『俺、結構本気なんだけど?』
「っ~…///!!」
思い出す度に恥ずかしくて、顔が熱くなってくる。
「だぁぁぁぁ!!!消えろォォォッ!!!頼むから消えろォォォッ!!!」
頭の中の圭一を消そうと、壁にガンガンと頭を打ち付ける千歳。
すると、すぐ隣の保健室の戸が開いた。
「こらこら、なにやってんですか。」
その声に、打ちつけをやめ目を向ける。
茶髪で白衣を身に纏った男が顔を出していた。
「…須藤…。」
「公共の場の壁壊しちゃ駄目でしょう?」
湘凜高校保健医。
須藤聖(24)
身長177㎝、体重57㎏。
父親がフランス人のハーフ。
少し青っぽい瞳に、糸のように細くて綺麗なミルクティブラウン。
まだ教師になって一年少しの新人教師。
整った顔立ちに銀縁眼鏡が清楚な王子様を物語っているが、
本性は腹の中が真っ黒なドS。
《湘凜のプリンス》と呼ばれる女生徒達の憧れの存在である。
「授業中なのに誰が騒いでるのかと思ったら、やっぱりあなたですか。」
「やっぱりってなんだ、やっぱりって。」
「まぁまぁ。暇ならお茶でもしていきません?チクッたりしませんから。」
「え…い、いや、今日はいいや。今から帰るし…。」
「おでこ血出てますし、寄ってってくださいって。暇すぎて死にそうなんです。」
「うわっ、ちょっ…!!」
(…また捕まった…。)
千歳は圭一と同じくらいに聖も苦手だった。
強引というか、この学校に来てから一度たりとも千歳と千影にビビッたことがないのだ。
教師からも恐れられる存在の二人に、まるで前からの友達のような感覚で接してくる。
千影はそんな聖をひどく気に入っているようだった。
よく保健室でサボっては二人でよく話しているらしい。
喧嘩も煙草も叱らない、変わった教師という印象が千歳は強かった。
嫌いではないんだが、聖の裏の顔が苦手だったのだ。
「そういえば、さっき女子トイレの鏡が割れてるって先生方が騒いでましたけど、あんたでしょう?」
「…ああ…さっきのか…。」
聖は棚から消毒液を取り出し、椅子に腰を下ろしている千歳の前に立つ。
「本当、何回学校の物壊せば気が済むんですか?そんなイライラすることでもあったんですか?」
「…別に…担任がムカついただけ…。」
「担任?…ああ、柊先生ですか?」
「ああ。…って、いってぇ!!ちょ、おい!?」
消毒液をたっぷり含んだ綿で、額の傷を思い切りぐりぐりと満面の笑みで擦っている聖。
しかも垂れてきた消毒液も目に入りそうになっている。
あまりの痛さに千歳は慌ててその聖の手を下ろそうとする。
「あれ、千歳さんどうかしました?」
「どっ…!!どうしたじゃねえだろドアホ!!」
額を押さえながら涙目で笑顔の聖を睨み付ける。
「あ、ごめんなさい、痛かったですか?」
(こいつ絶対わざとだ…!!)
他の教師や女生徒には絶対本性は見せないのが聖だ。
有り得ないくらい真っ黒な腹をしているのが、聖の本性なのだ。
千歳と千影、少数の男の教師しか本性を知らない。
自分の前で本性丸出しの聖が他の女に振りまいている王子スマイルは、千歳にとっては胡散臭いことこの上なかった。
「すみません、まだ慣れてないもので加減が分からなくて。」
「嘘つけドS教師!!」
「はは、この上ない褒め言葉ですよ。」
聖はぺたりと絆創膏を額に貼る。千歳はその場所をさすりながら聖を睨み付けた。
聖はそれを気にもとめず、笑顔で返して消毒液を片付け、茶飲みについだ緑茶を千歳に差し出す。
「はい、どうぞ。」
「ど、どうも…。」
千歳はおずおずと受け取って、茶飲みに口をつけた。
「あ、そういや、今日珍しく千影くん来てましたね。ようやく留年本気で意識したんですか?」
聖は自分の分の緑茶も淹れながら笑顔で口を開く。
「知らね。なんか今もおとなしく数学受けてるよ。」
「…数学って、久世先生のですか?」
「ああ。なんか行きたい理由があるらしい。」
「……へぇ…。」
その言葉に聖はにやりと黒い笑みを浮かべる。
「…?それがどうかしたのか?」
「いいえ?」
「…?」
爽やかな笑みで返され、千歳は首を傾げる。
「あ、そうだ。ねえ千歳さん。」
「ん?」
聖は千歳と向かいの椅子に腰を下ろすと、デスクに頬杖をついて笑顔で口を開いた。
「千歳さんって、柊先生のこと好きなんですか?」
ブフォァッ―――!!
聖の言葉に飲んでいたお茶を漫画みたいに盛大に吹き出した。
「うぇっ、ゲホッゲホッ!!」
「あれ、動揺した。冗談だったのに図星ですか?」
「んなわけねえだろぶっ殺すぞ!!」
「あはは、千歳さんが殺すっていうと本気に聞こえますね。」
「ど、どこの女子高生があんなオヤジ好むんだよ!!」
「だって二人とも仲がいいからてっきり好きなのかと思いましたよ。」
「そんなわけないだろ!!誰があんな奴…っ!!」
「あっはは、怒った顔も可愛いですね。」
得意の爽やかな王子スマイルを崩さない聖に、歯を食い縛り睨み付ける。
(だから苦手なんだこつは…!!)
「あ、柊先生に脈ないんだったら、俺なんてどうですか?まだ24のピチピチですよ?」
「ふざけんな全力で断る。」
「うわ、即答。もうちょっと考えてくれたっていいんじゃないんですか?」
「うるせえよ。」
「ふうん…なんだ、やっぱり柊先生か。」
「なっ、ち、ちがっ…!!」
「はは、また動揺した。」
「~っ…!!」
悔しさに顔を赤く染めた千歳は、茶飲みを思い切りデスクに叩きつけ立ち上がった。
「あれ、どうしたんですか?」
「帰るんだよ!!お茶ごちそーさん!!」
千歳は荒い動作でドアを開ける。
「千歳さん、また遊びに来てくださいね。」
「っ~…!!お前なんか大嫌いだ!!」
そう叫んでドアを乱暴に閉め、廊下を駆ける音が響いていた。
聖は満足そうに笑って、茶飲みに口をつけ、呟いた。
「本当、面白い子。」