8月6日
8月6日。
外から市役所からの放送が流れた。
私は洗濯物を干す手を止めて、その放送に耳を傾ける。
窓越しだから少し聞き取りづらい、アナウンス。
子供にもわかるような言葉で何の放送かが話され、やがて時間が来る。
午前8時15分。
黙祷、との言葉の後たっぷり3分ぐらい沈黙が流れた。
私はその場で手を合わせる。
ある人には長過ぎる、そしてある人には短過ぎる時間が過ぎて。
市役所からの放送は、ありがとうございましたと、感謝の言葉で終わった。
今年は戦後80年だそうだ。
新聞に並んだ文字を眺めて、不思議な気持ちになる。
私が習った教科書では40年とかそれぐらいの数字が書いてあった。
私たちの祖父母の世代は、まさに戦争の時代を生き抜いてきた人たちだった。
母方の祖父は戦地に行って中々帰れず、自分の葬式の最中にひょっこり帰ってきたと聞いた。
父方の祖父は働き手として無理矢理連れてこられて、帰れずにここに根付いた。
旦那の本家には、戦時中に旦那の祖父が賜ったらしい勲章がたくさん飾られていた。
祖父母たちは、たくさんは語らなかった。
だけど、その生き方で私たちにどれだけ辛かったのかを教えてくれた。
ふとした時に、本当に細やかなものも粗末にしないその手つきに。
食べられる時にはたくさんお食べ、と、私たちが食べているのを微笑んで見ているその眼差しに。
家族は大事だ、離れてはならない、その日は何が何でも来いと言う、その頑なさに。
私たちは、戦争を知らない。
そういう国を、戦争を知っている祖父母たちが作ってくれた。
私たちは、直接は戦争を知らないけれど、彼らと同じ時間を生きてきた。
だからかな、考える。
私たちは、子どもたちに何を教えられるのだろう。
飢えも、怖さも、悲しみも、知らないけれど、教えて貰った。
どうやったら、それを私たちは教えてやれるのだろう。
あと何年。こんな風に夏空の下、アナウンスがあって。
あの長い沈黙の時間を、皆で共有できるのだろう。
戦後100年とかになっても、こんな風に外から聞こえた放送に手を合わせられるだろうか。
そうであればいいなと、静かに願う。
ふと、祖母の優しい笑顔を思い出しました。