第1話「ハゲ薬を飲んだ。性欲がなくなった。」
ハゲるくらいなら、性欲なんていらなかった。
──いや、正確に言うと、そう思ってた。
その時までは。
俺の名前は葛城達生、24歳。
国立大の大学院で応用心理学を専攻してる、ちょっとオタク寄りの陰キャ──だと思う。
特技は、人混みに入ると無意識に姿勢が悪くなること。
長所は、空気を読んで会話を切り上げるのが得意なところ。
短所は……まあ、いろいろあるけど。
一番の悩みは──そう、ハゲだ。
高校の頃から兆候はあった。
家系的にも、「来るな」って分かってた。でも、わかってたからこそ怖かった。
髪が抜けるたび、鏡の前で「まだ大丈夫」と言い聞かせる日々。
女の子と目が合うと、自分の髪を見られてる気がして、無駄に頭をかく。
……そんな自分が、どんどん嫌いになっていった。
そしてある日、SNSの広告で見つけた。
“最新のAGA治療薬──副作用、性欲減退”。
正直、迷わなかった。
性欲なんて、今の俺には邪魔なだけだと思ったから。
彼女いない歴=年齢、童貞、マッチングアプリで3回連続既読スルー。
そんな俺に、性欲なんて……もう、ただの苦痛だ。
届いた箱の中には、淡いピンクのカプセルが30錠。
ラベルには「副作用:性欲の減退が確認されています」。
むしろ、俺にとっては“主作用”だ。ありがたかった。
そして──数日後。
朝起きて、いつものようにスマホでAVを開いた瞬間。
……なにも、感じなかった。
「え?」
裸の女の子たちが画面の中で喘いでいるのに、なにも反応しない。
胸も、尻も、脚も、ただの皮膚の塊にしか見えない。
興奮しない。勃たない。
──“欲”が、どこかに消えていた。
焦りもあった。
けど、不思議とスッキリしていた。
視界がクリアになるような、頭の中が静かになるような……そんな感覚。
「……ま、いっか。どうせ使う予定もないし」
そう思って、学校に向かった。
だがその日から、明らかに何かが変わっていった。
女性と話すときに、心拍数が上がらない。
目を合わせても、動揺しない。
どこを見ればいいか悩まなくなった。
──いや、それ以前に、女の子たちの態度が……妙に優しい。
「葛城くんって、案外ちゃんと喋れるんだね」
「前より雰囲気柔らかくなった? なんか話しやすいかも」
「今日、駅前のカフェ寄ってかない?研究の話、ちょっと聞きたくて」
……なにこれ。
俺、いまモテてる……のか?
正直、怖かった。
目の前の現実に、実感が追いつかない。
“性欲ゼロ”の俺に、なぜか女子たちが惹かれてくる──
これはきっと、ただの始まりだ。
──この薬は、俺から何を奪って、何を与えたのか。
まだその代償を、俺は知らない。
(第1話・了)