時間とは歯車と生命の二層構造
『時計の針 等速に進むも 認知とは程遠く 時の流れ 命の速度と捉えたり 人は 意味という時を歩む生き物である』
私たちは歯車が指し示す極めて正確な時の中を生きている。客観的な時間は社会を維持し機能させ拡張させるうえでとても重要な役割を果たしてきた。まとまりがなく不安定なこの世界において時間というものは人類の発展を保証する支柱のようなもの。その功績は疑いようのないものだ。だが、ふと時計の針を見て思う。変わらない秒針の速度、移り変わる自分の姿。そこには絶対的な乖離があった。客観的な時、それはどこまでも人類の発展を支えてくれる機構に他ならない。そこに、人という要素が入り込む余地はない。
あなたはこのような経験をしたことはないだろうか。好きな授業を受けていると瞬く間に時間が過ぎた、苦手な授業はとても長く感じた。時計の針で見ればあなたが過ごした時間は同じもの。しかし、あなたが感じた時間には確かな違いが存在している。人はこの差に戸惑う。
なぜこのようなことが生じるのか。それは、あなたが生きる時間と時計が刻む時間には決定的なずれが存在していることにある。時計とは歯車で回る機構だ。そのリズムは常に一定で、一切のずれを許さない。しかし、私たちはひとつの生命で完璧な機構とは程遠い。故にずれが生じる、誤差が出る。この世界に生きる全ての人は時計の針と自分が持つ生命の針を日々調整しながら生きている。
もしあなたが時計の針を見て苦々しい気持ちを抱くようになったらどうかそっと深呼吸をして欲しい。あなたが歩んできた時間はそれがどのようなものであったとしても、確かにあなたの生命が歩んできた時間だ。時計の針は絶対的な客観性を保証する。しかし、その意味を決める権利はあなたの手の中にある。歩んできた生命の時間にどのような意味を持たせるのか、それは時計の針が示すことのできない、あなただけが持つ自由。その自由は無限の可能性を秘めている。
絶対的な歯車と生命の鼓動が示す時間の中で懸命に生きるあなたに敬意を。あなたが歩んできた時間、そのすべてにあなたは意味を持たせることができる。あなたという命はこの世界に流れる絶対的な時間に意味を与えることができる大切な灯火。どうかそのことを忘れないで。今日もあなたという火が世界に確かに灯っている。




