嘘と現実の狭間で意味をうたう
『自分につく嘘 それは到達する未来か 泡沫の泡か どちらにせよ 己の手で選ぶもの 嘘とは 虚構であり 未来の可能性でもある』
人は生きるなかで意味を求める。目の前に広がる現実に意味を見出し、自分が理解できるかたちに世界を整える。そして、その中で人生を歩む。意味とは最初からあったものではなく、人がこの世界を生きるなかで生み出したもの。だからこそ、世界は色で溢れている。
あなたはこのような経験をしたことはないだろうか。ある日、世界中の人が絶賛する作品を見る機会に恵まれた。ある人は作品を構成する色が素晴らしいといった。またある人は使われている素材を褒めた。創作者の背景を熱く語る人もいた。同時になぜ作品が絶賛されているのか分からず困惑した人もいた。
なぜこのようなことが起こるのか。同じ作品を見ているはずなのに出てくる意味づけは驚くほど異なっている。周りがおかしいのか。それとも自分がおかしいのか。人は戸惑い、理由を求める。確固たる事実を求め世界に問う。しかし、返ってくる答えは期待とは裏腹に驚くほど矛盾に満ちたものだ。
あなたは時に世界が返した結果に失望するかもしれない。怒りや疑念に苛まれることもあるだろう。そんなときは大きく深呼吸をしよう。温かい飲み物を飲み、空を見上げよう。私たちの瞳に映る空が無限の広がりを持つように、この世界に生きる人たちの心もまた無限の広がりを持っている。それは意味という問いに対するひとつの答えかもしれない。
意味とは絶対的な事実を指す言葉とは限らない。それは人がこの世界を生きるために作り出した意味という名の虚構かもしれない。それでもその虚構は確かに人を生かす熱となる。あなたが持つ意味も、他の人たちが持つ意味も、そこには確かな熱がある。生きているからこそ意味が生まれる。生きるために人は意味をつくる。その意味という循環の中で私たちは生きている。
意味という名の熱を抱き、この世界を懸命に生きるあなたに敬意を。あなたが生きるこの世界は無限の意味を内包している。どうかあなたの歩むその世界で、あなたを色づけ、温めてくれる意味を見出せますように。今日もあなたという色がこの世界に確かに存在している。




