言の葉なくして想いは通じず、以心伝心とは誤解とすれ違いの分岐点
「言葉とは意志の伝達であり 他者との世界を繋げる橋かけ作業 橋なくして往来はなく 往来なくして理解はない 往来なき理解は夢うつつ 橋の強度とは 理解の強度でもある」
世界には様々な言語がある。日本語、英語、中国語、フランス語、ロシア語。これらはすべて根底にある設計思想も発音も文法もバラバラで、一見異なったものにみえる。しかし、どのような言語でも、言語である限り逃れることのできない絶対的な制約を持っている。それが意志を伝達する手段であるということ。極論を言えば意志の伝達さえ出来るのであれば、口から発せられる言語でなくてもそれは言葉となる。身振り、目つき、態度、距離感、あなたが思い付く限りの意思伝達手段その全てが、あなたと他者を結びつける言葉となる。
あなたはこのような経験をしたことはないだろうか。にこやかに微笑みながら足取り軽く歩いている人を見て良いことがあったのかなと想像した。険しい表情で腕を組み、周囲を睨む相手を見て、これは怒っているのか、それとも虫の居所が悪いのか分からず困惑した。ここで押さえておいて欲しいことは、相手はこちらに対して何も言っていないということ。それは全てあなたが導き出した解そのもので、完全な事実とは限らない。
相手の態度を見て気持ちを察する。それは一見すれば理想的な意志の伝達手段だと思うかもしれない。自分が言葉を発しなくとも相手が勝手に察する。背景を想像してくれるので話すことで発生する様々なコストを削減できる。しかし、大きな落とし穴がある。それはあなたの言葉の解釈が相手に委ねられてしまうということ。自分の意志で発した明確な言葉ですら間違った解釈をされてしまうことはある。それはどれほどお互いを知り尽くしている相手でも起きる。これは人であれば避けられないこと。言葉を伴わない言語であれば、その認識のひずみはあなたが想像している以上に大きなものとなるかもしれない。
ここで間違えないで欲しいことは察する、察してもらおうとする行為そのものが悪いものではないということ。察するという能力はあなたが持つ優しさでもあり、人生の中で積み上げてきた努力と経験の賜物でもある。それはまるで磨き上げることによって光を反射する宝玉のようなもので。材質、大きさ、純度、形、その全てが人によって異なる。あなたが持つ宝玉は、あなたしか持ちえないもの。故に察するという名の宝玉に反射する光と光景は、あなたの宝玉に映るものと他人の宝玉に映るもので全く異なったものとなる。
だからこそ言葉を尽くそう。あなたが持つ宝玉と他者が持つ宝玉との間に言葉という明確な意思がこもった橋を築こう。言葉とは橋を作る建材。その橋は言葉を含めたあらゆる言語を積み重ねることによって広く、強固に、より柔軟になっていく。そして、橋とは一度作って完成というものでもない。継続して言葉をやり取りすることによってその橋は維持される。だからこそあなたが築きたいと思う橋を築こう。その橋はあなたという宝玉に新たな色をもたらしてくれるかもしれない。そして、あなたは自分の意志でその橋をかけることができる。
数多の宝玉が映し出す世界の中で懸命に生きるあなたに敬意を。あなたが築いた橋があなたに新たな景色をもたらしてくれますように。そしてその景色があなたの持つ宝玉をより美しく暖めてくれるものでありますように。今日もあなたという灯火が世界に確かに灯っている。




