日差しを浴びてよどみをとかす
「視界に広がる深緑 頬を撫でる優しい風 そのやわらかさは、世界のよどみを静かにとかすでしょう」
晴れた日に散歩をしていると、たくさんの緑の葉っぱをつけた植物が目に入ることがある。太陽の日差しを受けて、風に揺れるその葉はとてもみずみずしく、力強い生命力にあふれている。あなたはこのような経験をしたことはないだろうか。忙しい日々をすごす中で張り詰めていた神経が、太陽の眩しいひざしの中、みずみずしく輝く植物を見て心が緩んだ。木々の葉っぱが風に揺れて作り出す音を聞いて、ついウトウトしてしまった。これは、自然という美に触れることによって、私たちの精神がゆるんだ結果だ。
忙しすぎたり、精神的負荷が高い状態にあると、人は自然の癒しを忘れてしまうことがある。そんな時は、ベンチに腰をかけ、ゆっくりと周りを観察しよう。目にうつる深緑、太陽の日差しから感じる暖かさ、肌を通りすぎる風、耳から聞こえる植物のざわめき。そのすべてが、あなたの緊張をやわらかくとかしていく。大切なことは焦らないこと。自然に触れるという行為は、言い換えれば、自分の中にある本来の感覚を取り戻していくということ。楽器が定期的に調律を必要とするように、あなたの精神にも休息は必要だ。
社会を生きるなかで、人が持つ柔らかさは、生きていくうえで弱点になると考える人もいる。精神の固さは周囲の影響をはねのけ、常に緊張状態にあることで、競争本能を高め、パフォーマンスを劇的に向上させる。それをほどく行為は、己を弱め、パフォーマンスを劇的に低下させる悪しき習慣だ。この考えを否定するつもりはない。人は誰しも、自分の中に世界を持っている。生きてきた環境、体験した世界。見えている景色が違えば、考え方も違うものとなる。全ての考え方の根底にあるのは、人が生きていく中で生み出した強い想いの結晶だ。そしてその全ての考えが、この世界には必要だ。
そのうえで、こういう考え方もある。人が持つ柔らかさとは、つまり精神の柔軟性だ。精神が柔らかくなれば、見える範囲も、考え出す手段も格段に多くなる。イメージして欲しいのは、一本の剣だ。硬さのみを追及した剣は、衝撃で簡単に破損してしまう。製造過程で柔らかさを持たせることによって、その剣は初めて実用に耐える品質になる。これは、人が持つ精神にも当てはめることができると私は思う。硬さを持ちつつも、適度な柔らかさを獲得したあなたは、今まで見えなかった世界を見ることができるかもしれない。そしてその世界は、あなたに新たな価値を与えてくれる。
柔らかい緑の葉が芽吹くこの世界で、懸命に生きるあなたに敬意を。あなたが持つ柔らかさとは、あなたの強さにほかならない。その強さは、確かに世界を変えていく灯りとなる。今日もあなたという灯りが、世界を確かに照らしている。




