ベーシックインカム
世界は混沌の中にいた!!
「行き倒れ…?」
「う…」
微かに指先がピクリと動いた
動いたような気がする
動いたと思いたかっただけなのかもしれない
「生きてる!?父さん!大変!!
店に運ばなきゃ、父さーん!!」
意識が薄れていく
おれは
おれはこんなところで
ここは天国だろうか
それとも地獄だろうか
ミシミシと軋む年季の入ったベッドに清潔なシーツが敷かれていた
身体を覆う毛布も、新しいものでは無いがよく手入れされている
どうやら川の渡し守はまだ迎えには来ていないようだ
ガチャ
ゆっくりとドアが開く
「あ、気がついた?」
若い女性だ
洗濯物を山盛りに詰んだカゴを両手で抱えながら
ヒジと肩を使ってぐいっとドアを押し開ける
どうやらおれは彼女に命を救われたようだ
「君が助けてくれたのか?」
「見つけたのは私。運んだのはお父さんだけどね。自分の名前はわかる?」
「ああ…フリークスという…
助けてくれて感謝する。お父上にもお礼を…」
「あ、まだ寝てた方がいいよ。 お医者さんが言うにはたぶん栄養失調だって。何か食べられるもの持ってくるから横になっててね。」
ついでとばかりに枕元に置いてあったタオルと氷嚢を洗濯物の山に乗せ、慌ただしく部屋から飛び出していった。
つっかえ棒のように上半身を支えていた右腕を折り、どすんと枕に頭を落とす
右手をまっすぐ伸ばし、指の隙間を回るシーリングファンを眺める
「こんなところで死ぬわけにはいかない…」
拾われた命を噛み締めるように右手をぐっと握りしめた
「お待たせ!当店特製のたまご粥ですよ!
梅干しも入ってるから美味しいよ。」
ことりと置かれた真っ白な器から湯気が立ち上る
これは美味そうだ
「ありがとう、こんなまともな食事は久しぶりだな。」
「あなたも…ヒョウガキで…?」
「…。」
この国は豊かな国だった
産業も工業も発展し、小さな国だが近隣の大国にも劣らない国力を誇っていた
「今の皇帝、シヴァさまが即位されてから何もかもが変わってしまった。いくら働いても税で取られて何も残らない。都は他種族でごった返していて国民の居場所なんてないって噂も…」
ハッとして口元に手を当てる
「大丈夫、おれは命の恩人を売ったりしないよ。」
熱々のおかゆをレンゲで口に運びながら少し笑う
この国ではお上に意見することは禁じられている
書く場所が無いほど埋まっていた広場の掲示板も、検閲で何もかも黒塗りとなり、やがて撤去されてしまった
「全く…酷いもんだよな…」
レンゲを握る手に力がこもる
そんな雰囲気を払拭するように彼女が声を発した
「でも大丈夫!8時間働いて食えないなら10時間、それでも食えないなら12時間働けばいいんだから!」
「強いんだな。おれには眩し過ぎるよ。」
そう返すと、彼女はふふと笑った。
「そうだ、君は"ベーシックインカム"って聞いたことはあるかい?」
「ベーシック…インカム…?」
「ああ、とんでもないお宝らしい。
これさえあれば、それこそ働く必要がないほどにね。」
「ごめんなさい、聞いたことがないわ。」
その瞬間、
建物ごと揺れるような、大きな物音が響いた
「下からだわ!!」
すっくと立ち上がると、彼女は部屋を飛び出した
おれも彼女を追い、階段を駆け降りた
一階は酒場になっていた
二階は彼女たち親娘の自宅と貸し宿になっているようだ
店の真ん中には大柄な男、小柄な男、痩せっぽちの背の高い男が立っていた
その奥には店主と思しき男が倒れている
先ほどの物音はおそらく彼がテーブルに倒れ込んだ音だろう
脚の折れたテーブルの周りに酒瓶が散乱している
痩せっぽちの男が店主の襟を掴み、口付けでもするような距離で捲し立てる
「だからぁいい加減契約しろって言ってんだよォ。
たったの1000J$でオレらに定額守ってもらい放題なんてお得に決まってんだろ!?」
「あんたらと契約した店はどこも潰れちまったじゃ無いか、見回りだと言ってタダで飲み食いして…」
「ボディーガードが店に立ち寄って何が悪ぃんだぁぁン!?」
たまらず彼女が飛び出す
「お父さんを離して!!」
「なんだてめぇぇぇ!!」
まずい
彼女と男の間に割って入る
激昂して殴りかかる相手の拳をおれは右手で受け止めた
ジュウウウ
肉の焦げる匂い
「熱ぅぅぅッ!!な、なんだこいつ…
それは、炎!?」
右手から静かに炎が上がる
暖炉のようにパチパチと音を立てる炎を彼らは呆然と眺めていた
「炎のサブスクリプション…
あ、あんたコントラクターか!?」
「手荒なマネはしたくない。
テーブル代を置いてさっさと出て行ってくれないか?」
「クソッ…
おい女ぁ!領収書だせ領収書ぉぉぉ!!」
「あ、はい!お名前は?」
「プライマー様だよ!!
ここいらの密林はオレたちのボス、プライマー様のナワバリだ…あんたは敵に回しちゃいけない人を敵に回した…もうどこへも逃げられねぇぜ!!」
蜘蛛の子を散らすように男たちは店を後にする
スプレー塗料で"営業車"と描かれた車に乗り込むと、乱暴な運転で走り去った
「ありがとう、助かったよ。」
店主が腕を抑えながら控えめに頭を下げる
先ほどずいぶん強く打ち付けられたようだ
「働くのは嫌いだが、悪事を働く奴はもっと嫌いでね。こちらこそ、行き倒れているところを助けていただいたと聞いた。感謝する。」
「大したことじゃないよ。困ってる時はお互い様だ。でも…早くこの町を出たほうがいい。あんた厄介なやつに目をつけられちまった。」
彼らの走り去った方向を見つめる。
「プライマー、とは何者ですか?」
「皇帝シヴァの推薦とかでね。ここら一帯を取り仕切っている男だ。
あんたがいくら強くても相手が悪い。
コントラクターなんだ。…プライマーもな。」
なるほど、三下が強気に出るのも合点が行く
「事情はわかった。だが、それじゃこの店は…。」
「あんたが気にすることじゃ無いよ。どの道この町じゃやっていけんさ。あいつらと契約して食い潰されるか、逆らってぶっ壊されるかってだけさ。」
店主はそう言うと肩をすくめた
精一杯の強がりなのはわかる
何度も何度も考え抜いてたどり着いた結論なのだろう
「でも、悔しいね。」
娘がポツリと呟く
肩を震わせているが涙は流れていなかった
それが彼女の強さなのだろう
「私にも…
私にもサブスクリプションが使えたらな…」
「おじさん、プライマーの根城はどこだ。」
「あんた…」
「フリークスさん」
「サブスクリプションは魔法じゃない。
家賃、食費、光熱費…全てを支払って、
支払った上で更に代償を払って初めて得られる力なんだ。
腰を据えて一生懸命生きてる人たちには荷が重い。
こんな力はおれみたいな根無し草だけで十分なのさ。
ましてや他人から奪った金で力を手に入れたコントラクターなんて吐き気がするね。」
「フリークスさん…お願い…
プライマーを、アマゾン・プライマーをやっつけて!!」
「まかせろ、このニート・フリークスにな!!」