【コミカライズ】くっくっく。聖女よ、もはやそなたを祖国には帰さぬ——って魔王様! 本当ですか!
「聖女よ、監禁生活の調子はどうだ?」
私がベッドに寝転がっていると、ふいに部屋の扉が開いた。見ると、そこにはいかにも恐ろしげな男性の姿。これは、魔王様。私を捕らえた張本人で、ここ、魔王城の主。
「くっくっく。いくら戻りたいと願おうが無駄だ。聖女よ、もはやそなたを祖国には帰さぬ」
魔王様はめちゃくちゃ邪悪な笑みを浮かべる。
だけど、
「あ、魔王様、どうもー。お世話になってますー。おかげさまで快適に暮らせてます」
私はベッドから降りると、満面の笑みで頭を下げる。
「貴様、なぜそうもくつろいだ態度なのだ!」
そう叫んだのは、魔王様の傍らに控える側近の男性。
「うーん、そう言われましても……」
確かに、我ながら緊張感がまるでないのは分かる。仮にも敵の本拠地に囚われているわけだし、本当はもっと悲愴な顔をした方がいいのかもしれない。だけど、これにはふかーいわけがあるのだ。
そもそも、なぜ聖女である私が、こうして魔王城にいるのか。そして、こうもくつろいでいるのか。事の発端は、少し前にさかのぼる。
*
エレアール聖王国、そのたった一人の聖女である私は疲れ果てていた。理由は簡単。聖女というのが、最低最悪のブラック職だったから。
聖女。莫大な癒しの力を持つ存在。魔王領含めた近隣諸国と絶賛交戦中のこの国で、それでも生活が成り立っているのは、聖女である私が、人々の暮らしを支えているためだった。
対魔族結界の保護。聖騎士の怪我の治癒。荒廃した土地の回復。それらが、聖女の主な仕事のはずだった。
それなのに、やれ、奇跡の力を見せて回れ。貴族たちの病気を癒せ。ポーションを作っておけ……。聖教会は調子に乗って、私に仕事を押しつけてくるようになった。
もちろん、上層部に訴えた。こんなに仕事をこなす時間は私にはない。そしたら、結果はどうなったか。聖女なら、回復魔法を自分にかけられるよね? だったら、寝なくていいんじゃね? その分の時間を仕事にあてれば解決じゃん。的な狂ったお達しが下ったのだ。
そして、連勤生活が始まり、百日目を迎えた辺りで、ついに私はおかしくなった。くっ、身体が震えやがるぜ。てか、ずっと前から動悸が止まんねえんだよ……。変な汗は出っ放しだし、ずっと視界の隅が黒くかすんでるし……。
それなのに、聖女スマイルを強要されたまま、朝から晩まで延々と働かせられる日々。どうしてこうなっちゃったんだろう。あー、聖女やめたい。逃げたい。でも、無理か。聖教会厳しいし。
こうなったら、もう死ぬしかない。うん、飛び降りよう!
おかしくなった頭で、ある夜、私はふらふらとバルコニーに出た。いひひ、ついにやっちゃいますか。よっしゃあ、来世に向かってダイブだぜ!
その時、
「くっくっくっく……」
うん? なんだろう? 幻聴?
「見つけたぞ、エレアールの聖女。貴様は我と共に来るのだ」
途端、私は黒い靄の中に引き込まれた。ええと、よく分かんないけど、とりあえず、職場から脱出できたってこと? やったー!
と、喜んでたのも束の間。気付けば、私は薄暗い大広間に立っていた。ここは……城、だよな? なんか、やけにおどろおどろしい雰囲気なんだけど。あと……周りをどう見ても魔族と思われる方々が取り囲んでるし……。
うん、認めよう。ここ、魔王城だ。
てか、隣にいる、私をさらってきたこの人、魔王様だよな? 頭にはおっきい角。鋭い爪。高い背丈。いかにも強者感が漂うこの姿は、戦場で遠目に見たことがあるような。まあ、何より如実にそう語ってるのは、そのオーラなんだけど。さっきから、背景に、ごごごごごご、って効果音が見えるんだよなあ、この人。
「ええと……この状況は、つまり……」
「くっくっく。ついに捕らえたぞ、聖女よ」
魔王様は笑う。流石魔王。めちゃくちゃ邪悪な笑みだ。
「これよりそなたを、この魔王城に監禁する。今までのような生活を送らせはせぬ。せいぜい覚悟を決めておくのだな」
そして、私はその台詞通り、さっそく塔の一室に閉じ込められた。はい、終わったー。人生終了のお知らせー。来世にジャンプのはずが、この世の地獄にきちゃったよ。あーあ、これからいったいどんな悲惨な目に合わせられるんだろう……。
と思ってたら、おや? おやおやおや? ここ、案外……いや、かなーり快適なのでは?
まず、パンとかチーズとか、ちゃんとした食べ物が出てくる。しかも、一日三回。付け加え、毎日お風呂に入らせてくれるし、着替えもくれる。掃除も担当の方がしてくれる。その他必要なものも、頼めば差し入れてくれるらしい。
そして何より、働かなくていい! 大切なことだから、もう一度言う。働かなくていい!
ここは天国? いや、魔王城か。だけど、王国にいた時なんかより、よっぽどいい生活だ。よって、満喫しないわけにはいかない!
こうして、私の素晴らしき監禁生活が幕を開けたのだった。
*
「……というわけで、国での扱いに比べれば、ここの生活は至れり尽くせりなわけなんですよ! だから、私をさらってくださった魔王様には、感謝してもしきれません! ほんと、ありがとうございます!」
私は深々と頭を下げる。
「この小娘……我々をおちょくるのもいいかげ……」
「ザイン」
魔王様が低い声で側近——ザインさんの言葉を遮る。すごいオーラ……。もしかしなくても、私、この方を怒らせてしまったんだろうか……?
「今すぐ、料理人に言って、ありったけの食事を作って持ってこさせろ。聖女に食わせる」
「しかし、この女は敵である聖女で……」
「関係ない」
魔王様は、私のことを見た。
「だってこの子、かわいそうじゃん……」
うん、ちょっと待って。いや、泣いてるんですけど、魔王様。どういうこと?
「はあ……またですか。魔王様は相変わらずお優しすぎますよ……」
そして、ザインさんは出ていった。
私は魔王様と二人残される。うーん、意味分からんな、この状況。あ、魔王様がハンカチで涙をぬぐいだした。子猫ちゃん柄。いや、かわいいな、おい。
間もなく、ザインさんが大量の食事を持って戻ってきた。私は物凄い勢いで、それにむしゃぶりつく。何これ⁉ めっちゃ美味しい!
「いひひ、十年ぶりの肉……! それに糖分! あと脂! やべえ、頭ががんぎまっていくうー!」
私が盛り上がってると、ザインさんの顔が、なんかひいてるみたいになってきた。
「魔王様……。この娘、その……やばいのでは?」
「くっくっく。よほど料理が美味いのだろう。気持ちのいい食べっぷりだ」
魔王様は、相変わらずの暗黒微笑だ。
「しかし、これほどまでに喜ぶとはな。国元では何を食べていたのだ?」
「草、ですかね」
「草⁉」
二人が声をそろえる。
「聖なる力を保つためには、俗世のものを食べちゃいけないらしく、聖域に生える草しか食べさせてくれなくて」
「それで死なぬのか?」
「聖女の魔力で、生命力は保てるんで。でも、心はばりばり死んでましたねー、あはは」
私が笑うと、
「かわいそうに……」
と、またも魔王様はハンカチを目に当てる。
その後、私は王国での生活について、聞かれたことに答えた。私の話に、相変わらず魔王様はショックを受け続けてるみたい。私からしたら、魔王軍の方が、ブラックなイメージがあったけど、案外そんなことないのかな?
「いやー、お腹いっぱい。どうもごちそうさまです。本当にありがとうございました」
食べ終えた私は、また深々と頭を下げる。
「くっくっく。それは良かった」
魔王様は言う。
「聖女よ、とりあえずはゆるりと過ごすがいい。もちろん、捕虜として、だがな」
結果、私は魔王様公認でくつろげるようになった——のだが……。
「魔王様……そこにいらっしゃいますよね……」
そう言うと、扉の隙間からこちらを覗いていた魔王様が姿を現す。なんだろう、あれから、魔王様にめちゃくちゃ気にかけられてるみたい……。
「なんか……すみません。毎日来ていただいちゃって……」
「くっくっく。そなたを監視するのも、城の主たる我の務め。あと、これは差し入れだ」
「わあ、クッキー。美味しそうですね! ありがとうございます!」
「くっくっく。我が手作りしたのだ」
うん、突っ込まないぞ……⁉
*
とまあ、相変わらずののんびりした日々が続いた、そんなある日のこと。
「どうだ、聖女よ。ずっと部屋の中にいては退屈だろう。そろそろ外に出たいのではないか?」
「そうですねー、って、いや……捕虜を外に出していいんですか?」
「くっくっく。安心しろ。問題に備え、我が隣で監視しておくからな」
「問題なんて起こしませんよ。私は完全に餌付けされてますし、ここで問題を起こすメリットなんてないでしょう?」
「いや、慣れない土地だ。トラブルになるかもしれない。我がきちんとサポートしてやろう」
あ、問題って、そっちの意味だったのか。優しいがすぎるな、おい。
ということで、私は魔王様と外出することになった。城下町を軽く歩き回って、私は気付いた。ここ、めっちゃいいところだ……! 町はきれいに整備されてるし、何より、住人である魔族の皆さんが穏やかで優しい。私が人間だと分かっても、興味を持たれるくらいで、一切の悪意を向けられない。
魔族は欲望に忠実で、節制を知らない野蛮な種族。エレアールではそう言われていたけど、むしろ、エレアール人の方がかなりすさんでる。うちの聖都、仮にも聖都って名前なのに、治安は最悪だったし。まあ、私も含めて、みんなぎりぎりの精神状態で生きてたからな……。
「ほら、聖女。食い物だ」
そんな折、魔王様が露店で買った串焼き肉を差し出してくる。
「くうっ、しみるうー! 口の中では肉汁が、そして、頭の中では脳汁が溢れてやがるぜ!」
「くっくっく。良かった。そうだ、あちらの店のものも買ってやろ……」
「魔王様! またこの娘にお構いになって!」
あ、ザインさんが来た。思い出したんだけど、この人、魔王軍参謀、智将ザインだ。結構有名人。そして、このザインさん、魔王様といると、いっつもどこからか現れるんだよな……。
「そもそもこの娘、本当に聖女なのですか? 今とて、およそ聖女に似つかわしくないキャラクターになっていたではありませんか」
いや、感情が高ぶると、ちょっと口調が変わるだけなんですけど。って、それはそれでおかしいのか?
「きっと、何らかの精神暗示をかけられているからなのです! この娘は、暗示で自分を聖女と思い込んでいる、ただ意地汚いだけの娘なのですよ! たまに現れる別人格が、その何よりの証拠です!」
おいおい、めちゃくちゃやばい設定を私に付与しないでくれよ……!
「まあ、何でもいいだろう。辛い目に合っていたのだ。聖女でないとて、放ってはおけまい」
魔王様聖人……。
だけど、
「私はきちんと聖女なんですけど!」
「ならば、証明してみたまえ!」
と、ザインさん。
「おうよ!」
やばい奴認定されて、黙ってるわけにはいかない。私は両手を胸の前で組む。瞬間、ぶわっと花が咲き乱れ、城下町は一面がお花畑になった。
そして、花々は魔王城にまで到達してしまっていた。いかにも邪悪な感じの魔王城に、花が咲き乱れてる。うん、めーっちゃファンシー。控えめに言って、珍妙。どうしよう、これ。
「何をしている! 魔王領を中途半端メルヘン王国にするなど、ふざけているのか!」
ザインさんが叫ぶ。
「くっくっく……」
うわー、魔王様、物凄く怖い笑いしてるんだけど。そりゃ、自分の家をいきなりファンシーにされたら怒るよなあ……。これ、私、消されるパターンなのでは……?
「すみません! でも、そのうち戻るので……」
「お花、かわいい」
うん? 魔王様、なんて?
「魔王様がお褒めだぞ! 聖女、よくやった!」
ザインさんがすかさず叫ぶ。いや、調子いいな、この人……。
「え……と、怒っていらっしゃらないので?」
「なぜ怒るのだ? こういうのも良いものではないか」
魔王様はしゃがみ込むと、凶暴そうな爪の生えた手で花を摘んで、手際よく花冠を作り上げる。それ、どうするんだろう。そう思ってたら、ふいに私の頭に花冠が載せられた。
「くっくっく。かわいいな、聖女」
「いや、あんたの方がよっぽどかわいいだろうがよお……!」
しまった。また心の叫びがまた溢れてしまった。
「くっくっく。照れる」
めちゃくちゃ邪悪な笑みで、魔王様は頬を赤らめる。これは……情報が大渋滞だ。
今までのことを踏まえ、私はこの魔王様について、結論を出すことにした。まず、大前提として、この人はめちゃくちゃ優しいいい人だ。そして、何より——かわいい。ここは大切なので、繰り返そう。この魔王様、めちゃくちゃかわいい……!
「魔王様! 私もかわいいですか⁉」
そう言い寄るザインさんは、魔王様の激しいオタクなんだろうな。で、そのせいでちょっとバカになってる。うん。
「貴様、今、物凄く失礼なことを考えただろう?」
あれ? なんでばれたんだろう?
「言っておくが、私は貴様を認めていないからな! そもそも、食い物でがんぎまりしてる聖女がどこにいる⁉ 神聖さの欠片もないではないか!」
「はああ? そっちこそ、智将のくせに、魔王様のことになるとただのバカですよね?」
ぎゃあぎゃあ言い合っている私たちを、
「くっくっく。仲良しでいいね」
と、魔王様が眺めていた。
*
「と、まあ、仕切り直しまして」
ザインさんが、こほん、と咳払いをする。私たちは往来で大騒ぎしすぎて、流石にいけないと思った魔王様に、軽食屋に連れ込まれていた。
「色々と言いたいことはありますが、聖女の力は予想以上に強力なようです。この力を手に入れたことは、エレアールの戦力を削っただけでなく、我が魔王軍にとって、新たに戦力を得たということでもあるでしょう。さっそく、次の戦に同行させ、仲間の回復に当たらせ……」
「あ、あの……そのことなんですけど……」
私はおずおずと申し出る。
「実は、聖女の力、最近はかなり弱まっていて……。それに、このままだと、私、近いうちにこの力を使えなくなるかと……」
「どういうことだ⁉」
「聖女の力の源は、美しい感情と言われています。そして、それを得るために、聖女は苦しみを抱き続けなければいけない。つまり、禁欲生活が必要なのです。でも、今はのびのびやらせていただいて、幸福で……。このままでは、私は普通の人間になってしまうでしょう」
「もう元には戻れないのか?」
ザインさんが尋ねる。
「また昔のような禁欲生活をすれば、元に戻るはずですけど……」
言いながら、気付いた。あれ? もしかして、私、めちゃくちゃやばいこと教えちゃってない? 聖女の力を手に入れるには、手っ取り早く、私の心を殺せばいいだけですよ。そう言ってるのと同じだよね、これ?
うあああ、私の大馬鹿野郎! そんなこと言ったら、エレアールでの日々が、ここでも再来する——
「そうか。では、聖女はやめだ。その力はもう使わなくて良いぞ」
「え?」
「そなたの心を殺してまで、そのような力を得ようなどとは思わぬ」
あっさりした魔王様の台詞に、私はあっけにとられる。
「しかし、魔王様! 聖女の力を手に入れるために、この娘をさらってきたのでは⁉」
ザインさんは納得いかなげだ。
「そもそも、我は最初から聖女を利用するなど言っておらん。そして、この先そうするつもりもない」
おっと? これは初情報。でも、だったら、なんでこの人、私をさらったんだろう? 確かに、私がいなくなればエレアールの戦力は大幅ダウンだけど、だったらさっさと殺せばいいのに。
「それで、ザイン。我の決定に異論があるのか?」
そう言われ、
「まさか、そのようなことはございません。全ては魔王様の御心のままに」
と、ザインさんは頭を下げた。
「そうだ、そなた、名前は何と言う? いつまでも聖女と呼んでいて、すまなかったな」
魔王様は私に向き直る。
「……ライザ、です」
「そうか、ライザ」
名前を呼ばれたのは、いったいいつぶりだろう。なんだか変にどきっとする。
「良いか? 今日からそなたは、ただのライザだ。エレアールの聖女ではない。よって、もはや捕虜でもない。これからは自由に生きるが良い」
お……おおん?
「……ええと、自由に、と言われても分かりません。私には聖女の仕事しかなかったので」
「難しいことではない。まずは小さくても良いから、欲を見つけ、そしてかなえていけ。そうだ。練習に、今ここで、何か一つ言ってみるのだ」
欲……。なんだろう?
「あ、私、魔王様のお名前が知りたいです。これからはそちらでお呼びしてもいいですか?」
「なんだと! 未だ何人たりとも、その御名を呼ぶことを許されていないのだぞ!」
え……そうだったの……⁉
「いや、構わぬ。我の名は、ギルガメルドロティアトロボロスと、長いうえに言いづらいのだ。それだと皆が困るため、魔王で統一しているだけだからな」
あ、名前を呼ばせない理由、優しかった。
「でも、それなら、ギル様、でいいのでは?」
「貴様! いやしくも魔王様のお名前を略すなど……」
「くっくっく。気に入った」
「素晴らしい呼び方でございますな! ギル様!」
「悪いが、ザイン。その呼び方はライザ限定にしようと思うのだ」
「え……! なぜです……⁉」
ザインさんは物凄く困惑して、その次に、私を恨めしげに見つめてくる。いや、そんな顔されても、私だって理由が分からないんだけど……。でも、まあ、魔王様——改め、ギル様は優しい。それだけは確かに分かることだ。
*
そして、私は聖女でなくなった。残っていた力も、その全てが使えなくなった。
ただのライザとして生きる。十数年ぶりのそれは、本当に慣れないことだった。最初のうち、私はただぼんやりと過ごし、だけど、そのうち思うようになった。いや、流石に働かなきゃだめじゃないか? 捕虜という職(?)を失った今、私、完全に無職の遊び人だもん。
ということで、私は魔王城でちょっとした仕事を習い始めた。先輩たちに優しく教わりながら、時におしゃべりして、休憩して、そしたらまた働いて——いや、働くのってこんなに楽しいことだったっけ?
というのも、魔王城、労働環境がめちゃくちゃいい。フレンドリーな人間関係、美味しいまかない、決まった時間にやって来る終業……ああ、素晴らしきかな、ホワイト職場。
結果、私はすっかりここに馴染んでいた。だけど、ギル様は相変わらず私を心配してるらしい。毎日様子を見に顔を出すし、何なら、二日に一回は一緒に夜ご飯を食べてる。
「ここの暮らしには慣れたか、ライザ?」
その日も、私たちは一緒に夕食の席についていた。
「そうですね。住人の方はいい方ばかりですし、ご飯は美味しいですし、控えめに言って、魔王領最高! って感じです」
「くっくっく。馴染めたようで良かった。実のところ、我は心配していたのだ」
「どうしてです?」
「人間は我々を邪な種族と呼び、恐れるものだ。魔族に囲まれて生活すること、人間であるそなたは苦痛ではないのか?」
「あー、聖教会は、魔族を神にあだなす穢れた存在とか言いますよねー。だけど、実のところ、私、魔族を穢らわしいとも憎いとも思ったことがないんですよ。こんなことを言うなんて、いよいよ聖女失格でしょうけど」
「くっくっく。そなたは変わらないな」
「どういうことです?」
「我は以前、そなたと会ったことがある。三か月ほど前、ギークスの森の戦でな。と言っても、フードを被っていたうえ、何より魔力が枯渇していたため、我が魔王ということに、そなたは気付いていないようだったがな」
「えっ! あれ、ギル様だったんですか⁉」
「ああ。あの日、我は兵を逃がすため、一人でしんがりを引き受け、かなり深手を負ってしまってな。魔力も切れ、転移魔法を使えず、途方に暮れていたのだ。そこに現れたのがそなただ。我が魔族だと、すぐに気が付いたはずだ。それなのに、そなたは我の傷を一瞬で治し、そして立ち去った。
あれから、我はそなたのことを忘れられなくなってしまってな。そなたをさらったのは、エレアールの戦力をそぐという名分の下、その実、もう一度会いたいと、我が願ってしまったからだったのだ」
あっ、私をさらった理由、ここにきてついに判明した! んだけどさあ……!
「いやいやいや、だったら、どうして最初に言ってくれなかったんです⁉ それに、途中まで、めっちゃ悪役ムーブしてましたよね⁉ あれはいったい何だったんですか⁉」
「くっくっく。魔王たる我に興味を持たれているなどと知れば、そなたを怖がらせてしまうと思ったのだ。それと、普通に緊張した。だが、あまりに非道な目に合っていたと知り、居ても立っても居られず、結果として、こうして今も、勝手にそなたの世話を焼いている。勝手なことをして、すまなかったな。ライザ、そなたが我のことを疎まず……そして怖がらないでいてくれると嬉しいのだが」
「まさか。私、ギル様のこと、大好きですよ」
途端、ギル様は、飲んでいたワインを思い切り吹き出した。
「ええー! 大丈夫ですか⁉」
「くっくっく。心配ない。少しむせただけだ」
いや、どうしたらこの状況で暗黒微笑ができるんだよ⁉
「……ずっと気になってたんですけど、どんな台詞の前でも、『くっくっく』って邪悪な笑みをなさるのは、いったいなぜなんです?」
「『くっくっく』は、魔王たちの間に代々伝わる、由緒格式ある笑い方なのだ。そして我は、歴代の中でも屈指の『くっくっく』の達人であると、評判なのだぞ」
へー、そうなんだー。うん、笑っちゃだめ。あれだ、異文化交流。魔王領では、これが常識なんだ、多分。
だけど、結局私は笑ってしまった。だって、「くっくっく」の達人って何だよ……⁉
「くっくっく。ライザがたくさん笑えるようになって、我は嬉しいぞ」
「全部、ギル様のおかげですよ」
あのままエレアールにいたら、私は一生笑えずに飼い殺されていただろう。
「あの日、私をさらってくださって、本当にありがとうございます……!」
私がにっこり笑うと、
「ライザ」
と、ギル様が、やけに真剣な表情で顔を近づけてくる。
「我はそなたのことを……」
その時、
「魔王様! なぜ私を呼んでくださらないのですか⁉」
ばたん、とドアが開いたかと思うと、ザインさんが部屋に飛び込んできた。もはや毎回恒例のこの乱入。いつもは快く迎え入れるギル様が、でも、今はちょっとしょんぼりな様子なのは、いったいどうしてなんだろう?
*
日々は平和に過ぎていき、それがいつまでも続くと思われた、そんなある日のこと。
「エレアールの軍勢が、聖女奪還を掲げ、ここ、魔王城に迫ってきております! いかがいたしましょうか、魔王様!」
魔王城に伝令が飛び込んできた。
「やはり聖女を奪い返しに来たか」
「くそっ、聖女を奪えば、もはや戦う余力はないとふんだのに……」
「これは戦うしかない」
「だが、精鋭部隊は今、他国との戦に出陣中ではないか」
「戦いを避ける方法を探すのだ」
大広間では、ギル様を取り囲み、配下たちが話し合っている。
「あの……!」
ギル様の隣に立っていた私は、声を上げる。
「私が戻れば、軍隊はひいてくれるんですよね。だったら、私、国に戻ります。でも、安心してください。もう聖女の力は使いません。そんなことをすれば、私は殺されるでしょう。だけど、私が死ねば、皆さんにとって一番……」
「ライザ」
その時、私の名前を呼ぶ声があった。
「そなたは誰の都合も考えずとも良い。ただ、己の欲望のみを言うのだ。正直にな」
ギル様の顔を見ていると、素直な気持ちが胸の奥から溢れてくる。
「……私、あんなくそ祖国に帰りたくありません! ここに、皆さんと一緒にいたいです!」
「随分と欲を出すのが上手くなった」
ギル様は満足げに頷く。
「くっくっく。我に任せておけ。エレアールの軍勢など、蹴散らしてくれるわ!」
*
その日の正午、魔王城近郊のナージャ平原で、両軍は向かい合った。私とザインさんは、魔王城から、魔法でその映像を見つめていた。ザインさんは参戦したがったけど、ギル様に言われ、渋々私のおもりを引き受けることになったのだ。うん……なんか申し訳ない。
「我々もエレアールも、むやみに兵士を死なせる余裕はない。これは防衛戦になるだろうな」
ザインさんの言葉通り、戦いは、結界の破壊合戦になっている。
だけど、その時、
「待て、魔物共よ! 我らの目的は、同胞たる聖女の奪還のみ! 血を流す意味はない! まだ双方から死人が出ぬうち、あくまで平和的に戦を終わらせようではないか!」
めーっちゃ芝居くさい声と一緒に、一人の男が前線に歩み出る。うわっ、この姿、見間違うはずがない。聖騎士長、レオンハルトだ……!
「魔王よ、姿を現せ! 私と一対一で話し合おうではないか! 姑息な手段などない! 我らの愛する聖女の名にかけて誓おう!」
うん! これ、百パーセント姑息な手段がある! だってあの人、私の名前覚えてないもん!
「絶対に行くべきじゃないですよね。ほんと、どうして応じると思ってんだか……」
横を見ると、あれ? ザインさんが、冷や汗をだらだら流してるんだけど。
「大変だ……。私が隣にお仕えしていないと、こういう時、魔王様は必ず行かれてしまう……」
「え……?」
「魔王様は、お優しいが故に、部下を失うまいとなさる癖がおありなのだ」
その時、結界から黒い影が飛び出した。私、そしてザインさんは凍りつく。これ、どう見てもギル様じゃん……。
「ギル様の馬鹿野郎! そいつは、天地がひっくり返っても、約束を守る奴じゃない!」
と、私は叫ぶ。
「うるさいぞ、ライザ! ここで叫んだとして、聞こえるわけがないだろうが!」
と、ザインさんも叫ぶ。
「レオンハルトは本気でやばいんです! 美男子の姿をした、内面はどろっどろぐっちょぐちょのくそ野郎なんですよ!」
くそっ……。私は映像を見つめる。
「ああ、魔王よ、よくぞ応じてくれた!」
レオンハルトは、両手を広げ、歓迎するポーズをとる。彼の前にギル様が降り立った、その瞬間。足元の魔法陣が反応し、ギル様の身体を、四方八方から光線が貫いた。
「はっはっは! まんまと引っかかったな、この人獣風情が! やはり脳みそは獣程度しかないのだな! さあ、見ているか、穢れた魔物たち! こいつの命と引き換えだ! こちらの要求を全て受け入れろ!」
レオンハルトは、げす顔で、勝ち誇った笑みを浮かべた。
だけど、
「くっくっく。笑止。こんなことで、我を捕らえたつもりか」
「なにっ⁉」
邪悪な笑みを浮かべたかと思うと、ギル様は靄となって消えた。
「羽虫の分際で!」
と、レオンハルトは地団駄を踏む。
「良かった……。これ、ご無事なんですよね!」
「おそらく、結界の中の本陣まで戻られたのだろう。だとして、あの魔法は厄介だ。特殊な魔術か、もしくは治癒の力がなくては、身体が蝕まれ続ける」
それなら、まだ状態は危険なまま……。
「……治癒なら、私、できるかもしれません。お願いです、今すぐ連れていってください!」
「しかし、貴様はもはや聖女では……」
「少しでも可能性があるんなら、行くしかないだろうが! 主人の危機に駆け付けない側近がどこにいんだ! いいから一緒に行くぞ!」
「相変わらず聖女らしからぬ物言いを……」
そう呟いた後、
「せいぜい吹き飛ばされないようにするのだな」
と、ザインさんは翼を広げ、私を連れて、魔王城を飛び立った。
*
私たちは、空から魔王軍本陣に降り立った。
「ギル様!」
部下たちに囲まれ、横たわっているギル様の元に、私はザインさんと共に駆け寄った。出血がひどい。しかも、魔法が傷の回復を拒んで、その上さらに傷口を侵食している。
「私に任せてください!」
私は両手を組み、聖女の力を使おうとする。でも、だめだ。全然使えない。
どうしよう。このままじゃ、ギル様が死んでしまう。息ができない。胸が張り裂ける。この人のいない世界なんて、耐えられない。
やばい。まさか、泣くのか、私。聖女になって、死んだような毎日を送り続ける中、一回も泣いたことなんてなかったのに……?
でも、もうだめだった。一滴、涙の雫がギル様の額に落ちた。
その瞬間、
「ライザ、なぜここにいるのだ?」
ギル様が目を開けた。その身体は、まるで何事もなかったみたいに癒えている。
「これほどの傷が一瞬で……!」
「強力すぎる……。これほどまでの魔力は見たことがない」
「いったいどうやったんだ?」
周囲がざわめく。だけど、それを一番知りたいのは私なんだよ……!
「いや、どうして? 私、禁欲しても、苦しんでもなくて、だから、聖女の力を失ったはずなのに……。それなのに、どうして力を、しかもこんな強いものを使えたんですか?」
「……愛、なのでは?」
ザインさんは言う。
「あい?」
「聖女の力である美しい感情。それを得るには、苦しみが必要なのだろう? だとすれば、愛とは、その最たるものなのではないか? 愛するものを失う恐怖、それは最も苦しいものだ。そして、だからこそ、深い愛というのは、どこまでも美しく、強力な力となり得るのだろう。貴様は愛を抱き、そして苦しんだ。だからこそ、強い力を手に入れた。違うか?」
「そっか……。私、愛してたんですね」
それは、エレアールでは決して抱いたことがない感情だった。
「私、ここでの生活を、本当に愛しているんだと思います。ギル様がいなくなってしまわれたら、最高の魔王領はもはや成り立たない。ですから、死なせるわけにはいかないのです」
一瞬、あっけにとられた表情を浮かべた後、
「くっくっく。ライザは面白い」
と、ギル様は笑う。
ああ、やっといつもの「くっくっく」が聞けた……! 本当に良かった……!
「くっくっく。さて、エレアールの聖騎士共に報復といくか」
身体を持ち上げようとするギル様を、私は止める。
「それですが、どうか私に戦わせてくださいませんか」
「しかし……」
「今の私、はっきり言って、かなーりぶちぎれてるんですよね。いやー、知らなかったなー。大切な人を傷つけられた時、こんなに相手をぐちゃぐちゃにしてやりたいと思うものだなんて」
さっきから、拳がぷるぷるしてる。魔力が、身体の中で、ぐるん、と反転。そして増幅していく。この怒りは、もう抑えられそうにない。
「なに⁉ いやしくも聖女でありながら、これほどまでに凶悪なオーラを放っているだと⁉」
と、ザインさん。
「……あのくそ聖騎士共。この手でぶっ潰したるわ!」
*
「お久しぶりですね」
私が一歩結界の外に出ると、すかさずレオンハルトが駆け寄ってきた。
「聖女! なんだ、無事だったのか」
ほっとした表情を浮かべたのも束の間、レオンハルトは思い切り私の頬を張った。
「まったく、聖女なんぞの分際で面倒をかけやがって! 戦が終わった後、さっそくこの疲れを癒させるからな! 今まで抜けていた分、いつもの倍は働いてもらう! ぼさっとしてないで、まずはさっさと結界を張りなおすのだ! 貴様はそれくらいしか能がないのだからな!」
当然のようにのたまうレオンハルトを見て、確信する。こいつ、いや、他の奴らも、つくづく私のことを道具としか見てないんだな。いや、確認できて良かった。私、やっぱりこいつらのこと、大っ嫌いだわ。
「実は、私、聖女をやめたんですよ」
「は?」
「だけど、やっぱりまた聖女を始めることにしました。魔王軍聖女、ライザとして」
「いやいや……ちょっと待て……」
「ってことで、これは挨拶だ! 受け取りやがれ、このくそ野郎共!」
身体の中で魔力が反転した結果、私は新しい魔法を習得した。聖女の力——生命力増強、治癒。その反転。生命力を奪い取り、身体に負荷を与える魔法。
私は両手を組み、最大火力で力を使う。瞬間、魔力が平原中を駆け抜ける。途端、エレアール兵たちがふらつき、地面にばったり倒れる。そのうち数人は、口元から吐しゃ物を垂らしている。
レオンハルトはしばらく耐えていたけど、やがて崩れ落ち、盛大にげろった。
「あはは、汚いですねー」
私はギル様の暗黒微笑でレオンハルトを見下ろす。
「……この、くそ女があああ!」
レオンハルトの叫びは、
「うわああああ!」
と、途中で絶叫になった。
なぜか。それは、私の背後に巨大な黒竜が降り立ったから。同時に、荒れ狂う風が、平原の人々を吹き飛ばしていく。黒竜は私の身体を前脚で包み込んで守ってくれた。
しばらくたって、私が前脚から身体を出した時、ナージャ平原からエレアール兵の姿は消え去っていた。
「助けに来てくださったんですね、ギル様」
私が微笑むと、黒竜は目の前でいつものギル様の姿に戻った。
「くっくっく。そなたの戦いぶり、実に見事だったぞ。ライザよ。我が何もせずとも、既に終わっていた。その魔力があれば、もはや魔王城に身を寄せる必要もなかろう。此度こそ、本当に自由になるが良い」
「自由にしていいんだったら、ギル様の下に永久就職させてください!」
私は迷わず言い放った。
「くっくっく。もちろん構わぬぞ。まあ、強いて言えば、下ではなく、その……隣が良いのだがな」
「え、それ、どう違うんです?」
「いや、それは……」
「はっ! もしや私、片腕として能力を買われていると……!」
その台詞に、ギル様は一瞬呆けた顔をしたけど、
「くっくっく。その通りだ」
と、頷いた。
その時、
「待てーい、ライザ! 魔王様の片腕は、既にこのザインがいることを忘れたか!」
と、ザインさんが隣に降り立った。
「何言ってるんです? 腕は二本あるもんでしょうが。一本ずつ分け合いましょう」
「はっ! た、確かに……!」
「私の就職は、もう止められませんから。そうですよね、ギル様?」
「くっくっく。ライザよ、もはやそなたをどこにもいかせはせぬ」
「もちろんです! ということで、これから末永くよろしくお願いしますね!」