古代術式の真実
普通の術式を解除したリートミュラー様。見た目は変わりありませんでしたが…彼がシャツの腕を捲って出てきたのは…
(…う、腕に…毛が…)
彼の腕には真っ白くて短い獣のような毛が生えていたのです。例えるなら…犬か猫のようです。
「こ、これって…」
「これは常夜の森の魔女の呪いです。服に隠れる場所に生えています」
「常夜の…呪いって…」
突然出てきた聞き慣れない言葉に、私はただその言葉を繰り返すしか出来ませんでした。そりゃあ平民の中には魔術を呪いだと言う方もいますが、呪いとは悪意で他人を害する類いのもので、そのように使う事は厳しく禁止されています。それに毛が生える呪いって…逆ならわかりますが…
「一体、どうして…誰がそんな術式を…」
「長くなりますので、お部屋に戻ってお話しましょう」
まくり上げた袖のボタンを締めながらリートミュラー様がそう仰ったので、私達はまた先ほどの部屋に戻りました。
お茶を淹れ直して貰って侍女達を下がらせると、私は遮音の魔術を展開しました。人に聞かれては困るように思ったからです。
「…どこからお話すべきですかね…」
そう言ってリートミュラー様は、古代文字の術式が彼に掛けられた経緯を話して下さいました。
この術を掛けたのは、リートミュラー辺境伯領とマイヤー侯爵領の間にある『常夜の森』に住む魔女だと、彼は言いました。事は十年前、リートミュラー様がまだ十三歳だった頃に遡ります。
ある日リーゼロッテ様は、家令達が森で狩った狼の子供を的にして、魔術の練習をしていました。魔力が弱いといってもそれは貴族の間での事で、実際は平民などよりもずっと魔力があります。力が弱い分、早くから当主として魔術の鍛錬を受けていたリーゼロッテ様でしたが…その的にした相手が悪かったのです。
「私の可愛い子をよくも…!」
リーゼロッテ様が的にしていた狼の子は、常夜の森にすむ魔女が可愛がっていた白狼の子だったのです。その魔女は齢三百年とも五百年とも言われ、かつては宮廷魔術師だったともいわれる凄腕の魔術師です。誰もその姿を見た事がなかったのでお伽噺だと思われていましたが…実在したのです。
傷ついた白狼の子の姿に怒り狂った魔女は、リーゼロッテ様に術を放ち…それを庇って受けたのが、婚約者で一緒に魔術の鍛錬をしていたウィルバート様だったそうです。
「それでは…リートミュラー様はマイヤー侯爵令嬢を庇って…」
「ええ。魔女は私が庇った事も気に入らなかったようです。私が解除出来ないようにと、この術式が見えないようにされていたのです」
「なるほど」
「ですが魔女は、どうしても彼女に罰を…と思ったのでしょう」
なるほど、確かにこの古代文字の術式自体はそんなに難しくはありませんわね。古代文字さえ理解出来れば魔術の腕が低くても解けるでしょう。もちろんそのためには古代文字の勉強を相当やらなければ無理でしょうが…
「でも、この術式はマイヤー侯爵令嬢への罰、ですよね?私が解いても大丈夫ですの?」
もしマイヤー侯爵令嬢しか解けないようになっているのなら、私が解こうとすると危険ではないでしょうか。
「そこは大丈夫です。もし…彼女以外の者が術を解いた場合、この術式はリーゼの元に戻る様になっているそうです」
「ええ?マイヤー侯爵令嬢に?」
「はい。彼女への罰ですからね。魔女は彼女にどうしても償わせたかったのでしょう」
まぁ、魔女も随分と意地悪と言いますか、執念深いですわね。でも…
「それで…リートミュラー様はそれでよろしいのですか?そこまで彼女を庇っていらっしゃったのなら…」
「彼女が私に寄り添い、術を解除しようとしてくれたのなら、私は一生このままでも構わないとすら思っていました。ですが…」
「彼女はクラウス王子と…」
「ええ。恩を仇で返されれば、情も失せるというものです」
「それは…確かに…」
「解除のお礼は私の魔術の腕と研究、で如何でしょうか?元の姿がお気に召したのであれば婿にして下さっても構いませんし、嫌なら専属魔術師として一生ゲルスター公爵家にお仕えしましょう」
なるほど、それは中々に魅力的な条件ですわね。リートミュラー様ほどの魔術師は希少ですし、そんな彼が我が家の専属になってくれれば、戦力は格段に上がるでしょう。ですが…
「…リートミュラー様、お願いがございますの」
術式を解くのは構いませんわ。最初から気になって仕方がなかったし、古代文字の研究の成果を実際に使える希少な経験ですから。でも、その前にどうしても試してみたい事があったのです。