引きちぎったカセットテープ
遺品整理をする中で、一つのカセットテープが目に留まった。
インデックスカードには、神経質なかっちりとした文字。
あの男が風呂に入るとき、必ず聞いていたサザンオールスターズのカセットテープだ。
風呂場の曇り硝子の扉。洗面所のマットの上に置かれた銀色のカセットデッキ。
ざああっというシャワーの音と、桑田佳祐のザラっとしたしゃがれ声。そこに交じる、扉越しのあの男の調子っぱずれな歌声。
女ならば笑え。無邪気でいろ、と。
あの男が私に求めることに類似した歌詞。
会ったこともない桑田佳祐に、見当違いの殺意が沸くのは、あの男のせいだ。
「入りなさい」
シャワーの音が途絶え、湯気でくぐもった声。
ズボンの裾を捲り上げ、扉に手をかける。
「失礼します」
ぬるい水たまり。足裏がぴちゃりと音を立て、むわっとした蒸気が頬や髪、腕、足の脛を覆う。
男が眉を顰める。
「スカートにしなさい、とあれほど」
「部活から帰ったばかりで」
「言い訳はいい」
暖かいはずの風呂場から出て自室に戻ったとき、私の指先はいつも冷えている。
風呂場に隣接する洗面所ではなく、階段を上ってすぐの突き当りにある洗面所。そこで幾度も冷水で手を洗い、口をゆすぐ。そのためだ。
洗面所の鏡に目をやれば、紅潮した頬に潤んだ瞳の売女が、頬に一筋の髪を張りつけている。
口の端を吊り上げてみれば、自然と険が取れ、目じりも下がった。
着信履歴を見た途端、ずん、と沈み込み、煮えたぎる溶鉱炉に落ちたような気がした。
どろりとした焼結鉱をかき分ける手足は、酷く重い。
灼熱の炎に焼かれる心臓が、記憶の彼方に追いやられていた痛みを訴えようとした。しかし、ゆるりと動きを止める。
久しく連絡を取っていなかった。
あの男が死んだ、と残された留守番電話のメッセージ。
鈍く痛むこめかみを揉み解し、荷造りに取り掛かる。
喪服、数珠、真珠のネックレスとイヤリング。黒いドークレーの鞄にパンプス。
袱紗に伸ばしかけた手を止める。
シンプルなハンカチ。数日分の下着、いくらかの衣服に化粧品の類とドライヤー。スマホの充電器。
足りないものは現地で調達すればいい。
「好きなものを持ってってちょうだい」
「お母さんは?」
「必要なものは、もう選り分けたから」
欲しいものなどない。
そんなことを口にするほどの反発心も期待も残ってはいなかったので、段ボールに綺麗に整理された遺品の数々を検分することにした。
そして私は、勢いよく磁気テープを引き抜いた。