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EP77 夢のような時間


「しゃ、社交ダンス!?」


 花は清也から繰り出された突飛な提案に、驚きの声を上げた。


「うん、父さんからこれだけは教え込まれたんだ。」


 清也の父、悠王は妻とダンスパーティで知り合ったのだ。

 世間は丁度バブル期で、征夜の祖父が立ち上げた後に()()()()()()()と呼ばれる事になる中小企業は、吹雪の剣豪が得たとされる東北の領地を売り払い、一気に巨大企業へと転身して行った。


 何処もかしこもパーティ天国と言える状況下でも、派手な女性が好きで無かった悠王は、敢えて古風な社交ダンスを選び、見事に清也の母の心を射抜いた。


 だからこそ、清也に向けた彼の持論は「女の子と付き合う時、絶対にダンスを踊れた方がいい。」だったのだ。


(うわぁ……"お坊ちゃん"て感じやなぁ……。)


 シンは清也との間に、圧倒的な育ちの違いを感じた。


「そこまで上手なわけじゃ無いけど……君さえ良いなら踊ろうよ。」


 清也は柔らかい笑みを浮かべながら、花の方を見上げた。

 花がこの誘いを断るはずが無かった。


「私、上手く踊れるか分からないけど……よろしくお願いします。」


 花は少し畏まって返事をした。


「私の手を取ってください、マダム。」


 清也はそう言うと、花に手を伸ばした。


「未婚の女性はマドモアゼルじゃ無いか?」


 シンは堪らずに聞いた。自分だけが置いてかれている気がしたからだ。


「それは差別用語だ。」


 花とのムードを邪魔されたからだろうか。清也は少し、乱暴な口調で返した。

 シンは空気を読まない発言を恥じ、顔の前で無言で手を合わせた。


(完敗だ……。)


 シンは以前、ふざけていたとは言え、花の事をマドモアゼルと呼んだのを思い出し、男としての力量の差を感じて、少し落ち込んだ。


「何でも良いから、曲を流してくれないか?」


 清也がそう頼むと、シンは近くにあった蓄音器で、重厚なメロディのクラシック音楽を再生した。

 どうやらこの世界で作曲された曲のようで、聞き覚えは無かったがダンスを踊るには十分な曲だった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 シンが空気を読み、周囲の机を退けたのを確認すると、清也は花の方を見つめ直した。


「私に合わせて踊ってください。ゆっくりと踊りますから、ご安心ください。」


 清也は丁寧な口調で花に語りかけた。

 言葉の節々から、ただ甘やかされていただけでは無い育ちの良さを感じさせる。

 

「はい……。」


 花はうっとりとした表情で、清也と目を合わせている。

 彼女は、初めて目にした彼の()()()としての一面に、完全に心を奪われていた。


 流れ続けていたクラシック音楽が一巡したのを合図に、清也は花と共に踊り始めた。


 手を握ったまま、ゆったりとした動きで花を次の動きへと誘導していく。

 緊張している花はぎこちない動きではあるが、清也に合わせようと必死になっている。


 しかし、それがむしろ花の動きにしなやかさを欠いていることが、清也には分かった。


「もう少し、肩の力を抜いてみて。そんなに怖がらなくて良いんだ。

 君は優雅で、少し暴走する事もあるけど、優しい女性じゃ無いか。

 誰よりも私がそれを知っている。もっと、私に委ねてごらん。」


 清也は透き通るような声で、花の心を溶かした。


 花は嬉しそうに笑うと、堰き止められた水が溢れ出したかのように、全身の動きが大胆になった。

 それは清也が全てを受け止めてくれると言う安心感から来る物で、清也自身も花の事を導きやすくなったので、動きにキレが大幅に増した。


 側から見れば完全に波に乗った状態である。


 だが、清也は実際のところかなり焦っていた――。


(おかしい……僕がこんなに踊れるはずが無い。最後に踊ったのは小学生なんだ……。

 それに変だ。花の動きが向かう先、未来の軌跡が見える……。あっ、左に行きたいのか。……あれ?)


 清也が花の動きを察知した時、感覚神経による伝達より先に、彼の体が動いたのだ。

 この事に彼自身も驚きを隠せない。"慣れ"とは違った何かが、この特異な状況を作り出している事を感じる。


 花は自在に踊れている感覚と、清也がエスコートしてくれていると言う事実によって、歓喜が頂点に達しようとしている。


 しかし、清也は自分の体が他人によって動かされているような不気味な感覚に、不快感が溢れ出て来る。

 実は、自分が考えるよりも先に、口から言葉が出てくるという妙な状況も、先程から頻発している。


(マダムって何だ……?僕、そんな言葉知らないぞ……。)


 清也は笑顔を取り繕いながら踊り続けるのに限界を感じ始めた頃になって、曲は終わった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「凄かったよ清也!」


 花はこの数分間で完全にダンスのコツ、いやダンスの極意を学び取った。

 先程まで無かったダンスに対する不思議な自信が、花の事を包み込んでいる。


「そ、それは良かった……。」


 清也は花と対照的に、かなり疲れている。

 それは肉体よりも心労の割合が大きかった。しかし、原因不明の汗が額から滴り落ちていく。


「清也はこれからどうするんだ?ここに居る感じか?」


 目の前で繰り広げられる、幻想的な光景に目を奪われていたシンは、我に帰ったかのように現実的な質問をした。


「部屋は私の寝室を貸してあげるから、遠慮しないでね!」


「え……いや……君は……どうするの?」


 清也は息も絶え絶えで、何となく答えの分かる質問をした。


「そんなの、一緒に寝るに決まってるでしょ♡」


 花は勿論、シンも当然だと言わんばかりに首を振っている。


「そ、そっか……。でも、僕は師匠のところに戻って……修行の続き……しないと……。」


 清也は窓の外に広がる、夕日が沈みつつある水平線を見つめながら言った。

 疲れているのか、目の焦点があっていない。


「海の向こうにいるの?」


「いや……そうじゃ無いけど。そろそろ……出発しないと……。」


 清也はよろけながら立ち上がるが、足がガクガクと震えている。


「そんなの無茶よ!」


 花は明らかに体調の悪そうな清也を見て、慌てて引き留めた。

 この様子で、そのまま行かせる方がおかしいと思ったので、シンもそれに同意した。


「ほら、肩貸してやるよ。ベッド、お前のに寝かせれば良いんだな?」


 シンは清也を背に乗せると、花に遠慮がちに聞いた。

 花は心配そうな顔をしながら、無言で首を振った。


「まだかなり早いけど、夕飯作っちゃうわね。」


 時刻はまだ夕方の四時半ほどだったが、夕飯の支度をし始めた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「すまない……助かった……。すぅ〜……。」


 清也はシンによって、花の寝室に寝かし付けられるとすぐに寝息を立て始めた。


「全く……人騒がせな……野郎……だぜ……。」


 シンはそれを見て、少し安心したかのように悪態をつくと、自らも強烈な眠気に襲われてしまった。






「シン!やったよ!私たちが優勝だよ!!!

 あの、上にジャンプしてからキックする奴、本当にカッコ良かった!!♡♡」


 シンが目を覚ますと、そこは花の寝室では無かった。

 数センチほど地面から浮遊した機械に乗って、大勢の観衆から祝福を浴びている。


 後ろから、歓喜に酔いしれた称賛の声がしたので、後部座席へと振り返ると突然、口を塞がれて上と下の唇の間に何かを差し込まれた。


(えっ?一体何だ!?)


 シンは何が起こったのか分からずに、混乱していると口に入れられた何かが舌に絡みついて来た。

 口全体に甘い味が広がり、差し込まれた物が誰かの舌だと察した。

 どうやら、自分は"深い方のキス"をしているらしい。シンはようやく、その事実を察した。


 キスをしている数秒間、シンの目には確かに相手の顔が見えていた。

 しかし、周りの様子に気を取られていたせいで、その顔は記憶に残らなかった。


 観客席には、相変わらず仲の良さそうな花と清也が抱き合っている。

 その横で青髪の目つきが少し鋭い男と、長く美しい黒髪の女がシンの方を向いて、嬉しそうに手を叩いている。

 そんな事を気にしていると、シンは口から相手の舌が引き抜かれたのを感じて、ようやく関心の対象をキスをしていた相手に戻した。




 彼は、肺の奥から自然と"ため息"が出るのを感じた。

 それは落胆による物では無く、陶酔から来る物だった。


 シンと先程まで口付けを交わしていた女性は、数々の女性と出会って来たシンでさえ、これまで見たこと無い程の美女だった。

 好みの問題が大きいだろうが、「()()()()美しい。」とシンには断言できた。


 女性が恥ずかしそうに口を開き、何かを喋ろうとした時、シンの視界は揺らぎ現実に連れ戻された。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「シン!シン!!起きてよ!!」


 花はベッドにもたれ掛かるように寝ているシンを揺り起こした。


「んだよ……良い夢見てんのに……。」


 シンは珍しく不機嫌だ。この発言に、その理由の全てが溢れている。

 花と清也の様子を見るうち燻り続けていた嫉妬心から、夢の中では解放されていたからだ。


 しかしその不機嫌さは花の発言によって、木っ端微塵に吹き飛ばされた。




「清也は!?彼はどこに行ったの!?」


 花は慌てている。

 シンは花が何を言っているのか分からなかったが、ベッドを見た時に全てを察した。


「あ、あれ!?寝かせたはずなのに!?」


 花のベッドには、誰も乗っていなかった。

 まるで、これまでの全てが夢だったかのように、清也は忽然と姿を消していたのだ。

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