EP57 忘れろ、そして思い出すな
閉じられた運命の輪が、未来への干渉を始める――。
シンは凄まじく強かった。
その動きは人間技では無く、怪人の域に達していた。
全盛期、賦遊理威四代目総長だった頃から、少しも衰える事のないその動き。
回し蹴り1発で5人を気絶させ、顔面へのストレートパンチで、その背後に並ぶ4人をドミノ倒しに吹き飛ばした。
「こいつが汚ねぇだと?笑わせんじゃねぇよ!俺のダチなんだぞ!」
シンは、自分でも無茶苦茶な理論だと分かっていた。
それでも、シンは目の前の連中への攻撃を止めてはならないと、本能で感じていた。
勝った方が正義、それを絶対の真理としている世界で生きてきたシンにとって、これは喧嘩では無く、花の名誉を賭けた"裁判"だったからだ。
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挑んでくる町の男達を1人残らず叩きのめしたシンは、傍に落ちた拳鍔を持ち上げた。
そして、何事も無かったかの様な顔で花に向き直った。花は気を失ったまま、地面に倒れ込んでいた。
(ふぅ〜バレてないバレてない。)
シンにとって、暴走族であった過去は決して恥ではなく、むしろ名誉であった。
しかし、仲間に変な目で見られるのは避けたかったので、隠しておこうと思っていた。
花を背負おうと地面にかがみこみ、下から体を持ち上げる。
不思議なことに、男達と喧嘩をする前よりも明らかに花が軽く感じる。
(こりゃ、アドレナリンって奴だな。いや、病は気からって奴か?普通に考えれば、俺が女1人持ち上げるのに苦労する方が変だ。
おっと、清也ぁ〜許せよ〜俺はこんな事望んでないからなぁ〜♪)
シンは花の太ももを抱えて、持ち上げた。サランに跨っている時よりも、花が体に密着している。
(う〜ん……。品定めとかをしてるわけじゃないが、間違いない。
何がとは言わんが萎んだな、弾力が減ったし、柔らかみも減った。
それに太ももが骨張ってる。こりゃまずいな、征夜にバレたら殺される……。)
シンはセクハラ紛いの事をしている事よりも、健康を損なってる事実を知られる方がマズいと思った。
「おい!そこの坊主!宿屋しらねぇか?高くていいから!」
シンは花をすぐに介抱するべきだと悟り、慌てて居合わせた少年に聞いた。
少年は大量の返り血を浴びた男に、強い警戒心を示していた。
しかし背負っている花を見ると、すぐに血相を変えた。
「あの宿屋がいいよ!高いけど、とってもサービスがいいんだ!
そのお姉ちゃんは早くお医者さんに見せないと死んじゃうよ!!急いで!」
「ありがとよ!恩に着るぜ!」
シンはすぐさま走り出した。サランもその後に着いて行った。
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「いらっしゃ……どうなさいましたか!?」
少年に示された高級ホテルに入ると、支配人らしき中年の男性に出迎えられた。
しかし、とても驚いた様子でシンに質問した。
「俺のことは気にするな。それよりも連れがヤバいんだ。何とかしてくれ。」
シンがそう言うと、男は途端に意地の悪い顔になった。
「お金は……あるんでしょうね?当ホテルは高いですよ?」
その問いには少し、疑念が込められている。
それもそのはず、この宿屋に来る者の多くは若妻を連れた老紳士や、複数の妾を連れた貴族などである。
痩せ細った女を背負った血まみれの男は、明らかにその対象から逸脱している。
「金ならある!さっさとこいつをなんとかしろ!ほら!」
シンはそう叫ぶと、握りしめた手の中に金貨を生み出そうとした。
しかし、いくら待っても金貨は現れなかった。
「すみませんねぇ〜。お金がある時にまたいらしてくれませんか〜?」
男は完全に馬鹿にした態度で言った。
(そ、そんな馬鹿な!……そうか!潮風で粒子が錆びて、黄金が生成できないんだ!くそっ!)
「ふざけんじゃねぇ!こいつの命がかかってんだ!なんとかしろ!」
シンは拳鍔を握りしめた。
「おっとぉ、暴力反対ですよぉ〜!一つだけ方法ありますよ!聞きたいですか!?」
男は下品な笑いを浮かべている。とても高級ホテルの支配人とは思えない顔だ。
「当ててやろうか?こいつに体売れって言いたいんだろ?」
シンは確信を持って言った。同じ様な人間をシンは何人も見ていた。
「そんなに酷いことじゃありませんよ〜!
ただ、体調が良くなったら私と、一夜を共にして欲しいだけですよぉ〜!」
男は悪びれもせずに言った。
「気持ち悪いジジイだな!誰がそんな事させるかよ!」
いつものシンなら、俺と寝るんじゃだめか?ぐらいの冗談を言って、軽く流しただろう。
しかし、今のシンは完全な興奮状態にあり、冷静な判断ができなくなっていた。
シンが叫ぶと、30人を超える武装したガードマンが一斉に槍を花とシンに向けた。
「女は生け捕りだ、傷を付けるなよペットに加える。
男は海にでも放り込んだけ、どうせすぐに食われて死ぬ。」
男は完全に見下した声でガードマンに命令した。
ガードマン部隊がシンに近寄ってくる。流石のシンも槍を持った男30人では、花を庇いきれない。
逃げようと走り出したが、すぐに転ばされる。そしてシンを縄で縛ると、男たちは花に手を伸ばした。
「見れば見るほど良い女だ!体調さえ戻れば、間違いなく最高のペットになる!!」
支配人は花の胸を触ろうとした。
しかし、その手が花に触れることはなかった――。
<死ぬ覚悟はできてるよな。>
シンの背後から男の声がする。
恐ろしく無機質な声だ。しかし、その節々から凄まじい憎しみが溢れ出している。
パチィーッン!!!……ドォォォンッッッ!!!
直後に一筋のフィンガースナップが聞こえ、天を裂くような凄まじい轟音と、大地を割るような断末魔がエントランスに響き渡った。
「なんだお前は!たっ、助けてくれ!」
後ろから支配人の声がする。
先程は聞こえなかった、高く飛ぶ様に軽い足音が聞こえてくる。
シンが驚いて後ろを振り返ると、周囲には凄惨な光景が広がっていた。
”先程まで人間であった”と思わしき肉塊が、稲妻を浴びたかの様な無残な姿で、周囲に飛び散っていた。
血は殆どが沸騰し、鉄製の槍も大部分が溶け、肉が焦げた様な匂いと黒煙が充満している。
しかし奇妙な事に、ガードマン達と程近い位置に倒れていた花には、稲妻どころか肉片すら付着していない。
黒煙も、何かに阻まれる様に花を避けていく。
<どんな死に方がいい?>
全身を黒いマントで覆い隠した、身長は180センチほど。
細身で、顔が見えないほど深くフードを被った男が、支配人の首を絞めながら聞いている。
「た、助け……。」
支配人は泡を吹きながら、必死になって男の腕を振り解こうとしている。
しかし、その指先は空を掻くばかりだ。
<聞こえない。>
男は短いが圧の込められた声で聞くと、首を絞めることを止めて地面に落とした。
「ゲホッ、ガフォッ……お、女に囲まれて……。」
支配人が答えるのを聞くと、男は冷淡な口調で言った。
<却下だ。>
男はそう言うと、地面に座り込んだ支配人の腹を軽く足で小突いた。
シンから見た支配人の体は、まるで発泡スチロールのようだった。
緩やかに動く足は、支配人の体をいとも容易く貫通し、大きく後ろに吹き飛ばした。
シンは支配人の体はホテルの壁にぶつかって止まると思ったが、それは間違いだった。
吹き飛んだ体は壁に風穴を開け、道を挟んだ反対側の民家の外壁にも風穴を開け、直線上にあるその他全ての物を貫通した。
壁にぶつかる度に、体のどこか一部が欠落していくようにも見える。
「お前は誰だ!」
シンは男に向けて叫んだ。
しかし、男は気にすることなく花に近付いていった。
「その子に触るな!」
シンは男に向けて駆け出した。
しかし、足が不自然に痺れてその場に膝をついてしまった。
「かなりやつれているね……可哀想に……。」
男は先程までとは一転して、恋人を労る様な口調の優しい声で呟くと、もう一度指を鳴らした。
不思議な光景だった。
花の頬にはみるみる赤みが戻り、服の上から判断できるほど胸の膨らみが増し、痩せこけた顔は元に戻り、目の下の隈は綺麗に消えた。
「う、うぅ〜ん……。」
花が目を覚まそうとしている。
すると、男は優しい声で囁いた。
「疲れてるよね。まだ寝ててもいいんだよ、私の可愛いお姫様……。」
その言葉を聞くと、花はとても幸せそうな顔で再び寝息を立て始めた。
「花に何をした!!」
シンが男に声をかけると、男は背を向けたまま人差し指を自分の口に当て、静かにこう言った。
「大きな声を出してはいけない。彼女が起きてしまう。安心してくれ、彼女は休んでいるだけだよ。ここまで運んでくれて助かったよ。
しかし、早すぎる。まだその時じゃない……。」
男はそう言うと、再び指を高く掲げて鳴らした。
そして、付け加えるかのような調子で、透き通るような声を出す。
<ここで起こった全てを"忘れろ、そして思い出すな"。>
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チュンチュンと、窓の外で小鳥が囀っている。
シンはベッドからゆっくりと上体を起こした。木製の部屋の壁に、大きな風景画が飾ってある。
「あっ、起きたんですね。具合はどうですか?」
看護師と思わしき若い女性が、シンの額に手を当てながら聞いている。
「至って健康です。ここはどこですか?」
シンは女性に聞いた。
「記憶が混乱しているのですね。ここはホテル・グレートの看護施設です。
貴方は女性を背負ってこのホテルに来た後、倒れてしまったじゃないですか。」
看護師さんは優しい声で諭した。
「そうでしたか、ありがとうございます。実は今、手持ちがあまり無くて……」
シンは申し訳なさそうに言った。
「あ、宿泊費でしたら失礼ながら、2日前にこちらの方で精算させていただきました。
ご安心ください、治療費は無料ですので。」
看護師さんは天使の様な笑顔を浮かべている。
「そうでしたか……?花は!連れの方はどうしました!?」
シンは焦った様子で聞いた。
やつれ切った花の安否が心配でならなかったのだ。
「あ、連れの方でしたら2日前に目を覚まされましたよ。貴方ほど衰弱していなかった様ですね。
むしろ、貴方の方が3日も目を覚まさないので、彼女に心配されていましたよ。
それはそうと、町で一番の有名人ですよ!”翔脚のシン”さん!」
看護師さんは少し興奮した様に言った。
シンは驚いた様に聞き返した。
「3日も経ってるのに!?というか、俺は3日間も寝てたのか!?
花は今どこにいる?歩ける様な体調じゃなかったと思うんだが?」
「落ち着いてください。連れの方は1日目には完全に回復されてましたよ。
ポケットに入りきらないほど大量の金貨を持っていたので、宿泊費はそこから頂きました。」
「え?金貨は渡してないと思うんだけどな……。まぁ、いいか。」
シンは自分でも驚くほど容易に納得した。
「あっ、目を覚まされたのですね!」
シンから見て左斜めの扉が開いて、女性が入ってきた。
「申し遅れました。私はこのホテルの支配人です。
心配しましたよ!血まみれの貴方が、突然エントランスで倒れるんですから!」
女性は胸を撫で下ろしている。
「あなたが、支配人なのか?」
シンは不思議な事に、それが捏造された事実の様に感じられてならなかった。
3日前、喧嘩をした後の詳細を思い出そうと記憶を辿るが、強烈な頭痛と共に湧いてきた一つの言葉によって掻き消された。
<忘れろ、そして思い出すな。>
シンはその直後から、目の前にいる女性が支配人であることを、微塵も疑わなくなった。
そして、今湧いてきた言葉も、夢か現実かさえ分からない男の存在も、既に忘却の彼方に消えていた――。




