EP27 森獣
月明かりのもとで二匹の獣が、殺気を剥き出しにして向かい合い、睨み合っている。
清也は伝承にある”吹雪の剣豪”のように、姿勢を低くし剣を両手で持ち、右腕を肩より後ろに回し、左腕を前に出した。
刃先が相手に向くようにしながら、右上から左下に向けて斜めに剣を構える。
清也は剣術に関する知識は、ほぼ皆無だった。
だからこそ、咄嗟に唯一知っているこの構えをしたのだが、素人でも分かるほどに、この構えは完成されていた。
姿勢を低くする事で足が通常よりも強固に接地され、簡単に突き飛ばされない安定感がある。
そして、剣を体の前に出し相手に刃を向ける事で、不意を突かれても簡単にはやられない。
それでいて前方からの攻撃に対し、盾を必要としないほどに剣で身体が覆われ、守られている。
だからこそ咄嗟の反撃にも移りやすく、少し構えを崩せば、すぐに攻めに転じる事が出来る。
このように、あらゆる戦いの場面に対応できる柔軟性、攻撃性、防御性、俊敏性がこの構えには備わっていた。
何より、全ての戦闘行為を剣のみで行うことができる点が、日本古来の剣術の特性を如実に表していて、清也の体に不思議と馴染んでいた。
しかし、弱点もある。
この構えは、素人が行うには疲労が大きすぎる。
一般的な構えと違い、剣を常に高く上げているので左腕が疲れやすい。
それに、地面に強固に接地していると言う事は、それだけ足にかかる体重は重くなる。
恐らく、この構えは長くは続かないだろうし、敵の大きさから考えて、盾を構えれば上から圧し潰されてしまうと考えた。
「短期決戦になるな。」
清也はそう呟き、剣を一層強く握りしめた。
野犬の方も清也の奇妙な構えに警戒している。
本能から、相手が素人であることがわかるが、それでも警戒せざるを得ない異様な雰囲気が、清也から漂い始めていた。
先に仕掛けたのは野犬の方だった。勢いよく清也に向かって飛び掛かる。
清也は、そのまま刃先を空中にいる野犬に向けた。
それに気付いた野犬は体を捻り、清也のがら空きとなった右脇を噛みつこうとする。
しかし清也の反応、いや剣の動きが一瞬速かった。
滑らかな動作で、そのまま右脇の野犬を斬りつけた。
その斬撃は野犬に当たったが、かすり傷しか与えることが出来なかった。
しかし、放たれた冷気が野犬の血を浴びた毛を凍りつかせ、右前足が固まり、機能しなくなった。
そのまま着地を失敗し、野犬は横倒しになった。
「今の攻撃、この構えでなければやられてた……。」
清也はこの構えが持つ、力の一端をまたも味わった。
姿勢を低くしていなければ、間違いなく剣が動くよりも先に、空中から右脇または肩を噛み付かれていた。
体のほぼ全ての部位が、剣で咄嗟に守ることの出来る範囲に含まれている。
その事が、驚異的な反撃を可能にしたのだと悟った。
「とんでもない構えだ……でもやっぱり疲労が凄いな。
この構えを使いこなす吹雪の剣豪って、一体どこまで強かったんだ……。」
清也は敵を前にしながらも、全く別のことに対して少し恐ろしくなった。
そんな事を考えているうちに、野犬は清也に気付かれないように静かに立ち上がる。
そして、よろよろと清也の背後に回り込み、獲物を持って逃げ帰ろうとした。
そう、獲物とは花の事だ。
野犬が花に近付き、咥えようとする直前で、花は目を覚ました。
「きゃあっ!せ、清也っ!助けてっ!」
その声で我に帰ると、野犬が再び花に噛みつこうとしている。
野犬にしてみれば、手ごわい敵である清也と戦うよりも、肉が柔らかい花を巣へ持ち帰った方が、良いに決まっている。
間に合わない。自分のせいで、また花が傷付いてしまう。
そう思った瞬間、不思議な感覚が清也を駆け巡った――。
(はぁぁぁぁっっっっっ!!!!!!!)
心の内で咆哮を上げると、体が凄まじい速さで動き、刃の先端が野犬へと届いた。
清也は自分でも、何が起こったのか分からなかった。精神の反応を越える速度で、体が動いたのだ。
吹き飛ばされた野犬は、まだしぶとく生きている。
体の半分が凍っているように見えるが、おそらく凍っているのは毛皮だけなのだろう。
立ち上がった野犬は次の獲物、旅団の民間人へ向けて走っていった。
「危ない!」
清也は叫んだが間に合わない。
構えを保ったまま、野犬にとどめを刺そうと駆け出したが、犠牲者が増える事を清也は覚悟した。
しかしその時、清也の背後で一際大きな咆哮が発せられた――。
「アォォォ――ーン!!」
剣を構えながら振り向くと、そこには金色に光る狼がいた。
狼は清也と花を飛び越えると、野犬に凄まじい勢いで体当たりして弾き飛ばす。
それに驚いた巨大な野犬は、遠吠えで萎縮してしまった他の野犬と共に、森の中へと去って行く。
清也が警戒しながら狼へと近付くと、狼は犬で言うところの"おすわり"をして、男とも女とも分からない声でこう語りかけた。
「あなたのその剣の構え、一体どこで会得したのですか?」
自己紹介でもするのかと思っていた清也は、突然の問いに驚いてこう言った。
「ど、独学です!今、初めて使いました。」
「独学……そうですか。どうやら私の勘違いだったようです……。
変な事を聞きましたね。では、私はこれで……。」
そう言って金色の狼は、走り去ろうとした。
「ちょっと待ってください!あなたは一体?」
「私にとっては名前や姿は意味をなしません。
私は数多の世界を渡り歩く者。今の私は森獣。明日の私は、私にもわかりません。では……。」
そう言って、今度こそ去ってしまった――。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「一体、何だったんだ……」
「う、うぅーん……。清也ぁ、私の杖とリュックを持ってきて……。」
花が地面に仰向けに倒れたまま、辛そうに呻き声を上げた。
「分かった!ちょっと待ってね!」
清也は急いで頼まれた二つを抱え上げ、花の元に持っていった。
「①って書かれた袋に入ってる草をすり潰して、粉を杖の持ち手の空洞に押し込んで……」
花は清也に対して、細かく指示した。
「うん、分かった!」
清也は急いで指示通りにする。
「出来たよ!どうするの?」
「貸して……。」
「どうぞ」
倒れ込んだままの花に、杖をゆっくりと手渡した。
花は体の上で何かを呟きながら、自分に向けて杖を振った。すると、傷がみるみる塞がっていく。
「ふぅ……これでよし。清也!助けてくれてありがとう!」
花はもういつも通りだ。
回復魔法はやはり、とんでもない技だと清也は再認識した。
「元気になってよかったよ……本当に……。」
清也は堪えていた疲れが溢れ出し、倒れ込んだ。それを見た花は急いで杖を振った。
だが、何の変化もない。清也は戦いの中で、一度も傷ついていなかった。
しばらく経つと、キャンプ場に朝日が差し込んだ。
その光は人々に希望と、凄惨な現実の二つを照らし出した。




