EP164 闇
「あ、大佐ぁ!私、すっかり元気ですよ!!!」
「ん?あぁ、それは良かった。」
「今からでも出発して、ソントに向かいますか?休憩込みでも、4日あれば到着できますよ!」
焦燥感に駆られた征夜にとって、ミサラの体調はどうでも良い事のように感じられた。
しかし一人の大人として、子供の事を酷使する訳にもいかない。それくらいの理性は、辛うじて残っている。
「いや、もう夜は遅いし、君の体調も心配だ。今夜は泊って行こう。」
「気遣ってくれるんですね!?ありがとうございます♡」
ミサラは最高の笑顔を作ると、征夜に向けて振りまいた。
全身から若々しい愛嬌を滲ませ、彼を落とそうと必死になる。しかし征夜は、そんな様子に気付くそぶりもない。
「話したい事があるんだ。取り敢えず、ホテルを取ろう。」
「え?ホテルで・・・話したい事ですか・・・?」
「うん、大事な事なんだ。」
「わ、分かりました・・・///」
ミサラはどうやら、猛烈な勘違いを起こしているようだ。
そのすれ違いに気づく事もないまま、征夜はミサラと共にホテルに向かった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
町で最も清潔感があるホテルの一室を借り、二人で一緒に入った。
扉を閉じ、外に音が漏れないように、厳重な注意を払う。
音漏れが起こらない事を祈りながら、征夜は荘厳な顔で口を開いた。
「君に、伝えなきゃいけない事がある。」
「な、なんですか・・・///」
(急すぎないっ!?でも・・・嬉しい・・・♡)
ミサラの心は、完全に幸福に包まれていた。
憧れの大佐と、友人よりも上の関係に立てるのだと思ったのだ。
彼女の勘違いも、ある意味で当然の事だろう。
若い男女が連れ添ってホテルに入り、"大事な話し合い"をする。それは明らかに、告白と"恋人以上の関係"を意味する。
むしろ、うら若き乙女であるミサラと手を繋ぎ、ホテルの同室に泊まる事に何の感慨も示さない征夜が、異常なのだろう。
同じベッドで寝るのはおかしいと分かっているが、そもそもホテルに入る時点で変だという観念は、彼の中に存在しない。
その結果、今度もミサラを傷付ける結果となったーー。
「僕の恋人と友人が、教団に狙われてるらしい・・・。」
「大佐!私も!あなたの事が・・・・・・えっ?」
征夜の話を聞く前に、ミサラは先走った。
告白の返事として飛び出た"OK"の単語は、虚しくも空に散っていく――。
「え、えぇっと・・・彼女さん・・・ですか・・・?」
「あぁ、僕の恋人も転生者で、一緒に教団を潰そうと思ってる仲間なんだ。
潜入捜査をしようと思ってたら、見つかってしまったらしい・・・世界全土の殺し屋が、彼女の事を狙ってる・・・。」
窓の外を見つめ、遠くにそびえる山々を見つめる征夜。
草原の彼方に立ち昇る雲さえも、不吉な予感を感じさせる。
だがミサラにとっては、自分を視界の端にすら入れてくれない疎外感が、何とも言いようがない悲哀を呼ぶ。
「あ・・・えと・・・あの・・・。」
「一刻も早く、彼女と合流しないと・・・。仲間が付いてるとは言え、流石に危険だ・・・。」
「そ、そうですか・・・。彼女さんて、どんな人なんですか?」
「一応、手配書に絵が描いてあったよ・・・。」
征夜はそう言うと、花の手配書を手渡した。
「・・・ん!?」
「どうしたの?」
「いえ・・・この人・・・。」
ミサラには、その似顔絵に既視感があった。
わずか数日前、猛烈な吹雪の夜に小屋を訪ねてきた遭難者に、瓜二つである。
(あの人・・・大佐の仲間だったんだ!?)
奇遇な事に、シンと花もあの島に来ていた。
そして驚異的な確率で、ミサラとも出会っていたのだ。
「花の事を知ってるのかい!?」
「あ、いえ・・・まぁ・・・。」
ハッキリ言って、良い思い出ではない。
色々と物をねだられ、憧れの人の持ち物を渡さざるを得なかった相手。
自分が欲しい物を全て持っているかのような、正反対の容姿と雰囲気。
なによりも、彼女は征夜の恋人なのだ。
乙女にとって、これ以上敵視できる存在も居ないだろう。
花にその意識は全く無いが、ミサラにとっては"悪印象の役満"も良いところだ。
だが、その嫉妬心を懸命に抑え込む。
ここで彼女を悪く言えば、恋仇の株を上げるに等しい行為だ。
「び、美人さん・・・ですねぇ・・・♪」
「だよね!?いやほんとに、初めて見たときビックリしたんだよ!」
この発言は、誤解を恐れずに言えば"クズ"である。
決して悪気は無いのだが、あまりにもデリカシーがない発言と言わざるを得ない。
花にとっては、そういう"飾らない面が好き"なので構わないが、ミサラにとっては悔しいものだ。
「クスノキ・・・ハナさんって・・・言うんだぁ・・・良い名前ぇ・・・。」
これ以上、話せる話題がないほどに、ミサラは言葉に詰まった。
征夜を取られるのは悲しいが、既にどうしようもなく負けているのだ。
(ど、どうしよう・・・大佐が・・・私の大佐が・・・。)
少なくとも、征夜はミサラの物ではない。
むしろ花の恋人という点で、圧倒的に"彼女の物"である。
(か、体付きも・・・凄かったしなぁ・・・。)
身長も肉付きも骨格も、まるで歯が立たない。
自分のスリムな体では、花のダイナマイトボディには太刀打ち出来ないだろう。
(そ、それでも・・・頑張らないと・・・!
お父さんも、お母さんも居ないけど、大佐になら着いて行けると・・・思ったんだから!!!)
負けられない戦い。それは女にもある。
孤独な世界の中に光を見出した少女は、希望に向けて伸ばした手を下す事が出来ないのだ。
「私!もう寝ます!」
「お、おぉ!おやすみ!」
"勝利"に向けて一念発起した彼女は、夢幻の世界へと足を踏み入れた――。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
午前11時を回った。
日はとっくに上り詰め、小鳥は囀る事をやめた。
朝食を手早く済ませた征夜は、街に蔓延る悪の誘惑を払い除けながら、ホテルに戻って来た。
(まだ・・・起きないのか・・・。)
ミサラは、寝息も立てずに眠り続けている。
昨晩の就寝が10時なので、とっくに起きても良い頃だ。
(赤魔法は疲れるのかな・・・。)
征夜は、魔法について一切知らない。
そのため、この長時間睡眠が何を意味するのか、見当を付けることしか出来ないのだ。
そんな中、征夜の中には二つの思考が芽生えていた。
(ミサラの事は心配だけど・・・心配だけど・・・!)
13時間睡眠など、明らかに普通ではない。
しかしやはり、それ以上に気掛かりなのは――。
(花・・・大丈夫かな・・・。)
差し迫った危機が、恋人に訪れている。
はやる気持ちが抑えきれずに、苛立ちがやってくる。
ミサラに当たるのはお門違いだと分かっていても、どうしても堪え切れない。
(そろそろ起きて欲しいなぁ・・・疲れてるのは分かるんだけど・・・。)
「ミサラ・・・起きてくれよ・・・もう11時だよ・・・!」
不機嫌な事を感じさせないように、細心の注意を払う。
しかしそれでも抑え切れないほどに、心の声が大きくなってしまう。
「そろそろ行かないと・・・!早く起きてくれ・・・!」
「・・・ん。」
肩を揺すられたミサラは、まるで気を失っていたかのように、ハッと目を覚ました。
(あぁ・・・やっと起きてくれた・・・これで、やっとソントに行ける・・・。)
安堵した征夜は、ミサラの瞳を覗き込んだ。
出来る限りの笑みを作るが、不機嫌さが抑え込めているかは微妙だ。
怒る気は全くないのだが、湧き上がる不快さが脳を支配している。
「そろそろ行こう!ご飯は買ってあるから!」
「え?・・・あ・・・。」
ミサラは寝ぼけているのだろうか。
目をゆっくりと擦りながら、強引に目を開こうとしている。
(暢気だなぁ・・・まぁ、真剣に成れって訳じゃないけど・・・もう少し、緊張感を持ってくれよ・・・。)
征夜の理不尽な苛立ちが、一定のラインを超えた時、それは起こった――。
「あっ、あっ・・・・・・あ"あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ッッッッッッッ!!!!!?????嫌アァァァァァッッッッッ!!!!!!!!」
「うわぁっ!?」
ミサラが突然、奇声を発した。
肩を揺する征夜の手を弾き飛ばし、部屋の隅へと逃げ込んで行く。
「ど、どうしたんだい!?」
「イヤ!イヤイヤイヤッ!!!嫌あぁぁぁッッッ!!!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!!!ごめんなさいぃっ!!!」
絶叫と共に謝罪をしながら、泣き続けるミサラ。
彼女へと伸ばされた征夜の手にすら、怯えているようにも見える。
「ま、待ってて!すぐにお医者さんを呼んでくるから!!!」
ミサラの豹変ぶりに対し、明らかに只事ではないと悟った征夜は、助けを求めて走り出した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ミサラは、どうでしょうか・・・?」
鎮静剤を打たれたミサラを見下ろしながら、征夜は傍に座る"魔法医師"に質問した。
その男は医者でありながら、魔法使いでもあるという職歴の者である。
征夜の問いかけに答えるために、男は彼の方へ向き直った。
「命に別状はありませんよ。ただ・・・。」
「ただ・・・?」
「精神がズタズタです・・・。」
「精神が・・・ですか・・・。」
「一体、何をしたんですか・・・?こんな症例・・・全く前例がない・・・。
彼女は、我々では想像も出来ないほどの恐怖と、苦痛を味わったようです・・・。その記憶が魂を蝕み・・・心を弱らせている・・・。」
一般的に、精神的なダメージを受ける際には、強いショックを感じ取った場合が多い。
あまりにも恐ろしい体験や、極限の緊張感。大きすぎる失敗を冒した際などが、顕著な例である。
だが今回に限っては、より大きな要因が他にもある。
「ミサラは・・・赤魔法を使ったと言ってました・・・。」
「赤・・・ですか・・・。」
男の表情は、突如として曇った。
それは恐らく、医師ではなく魔法使いとしての知識に起因するものだろう。
「赤魔法は・・・マズいんですか・・・?」
「使用者の負担が大きすぎて、大半は禁止されています・・・。
そもそもの要因として、赤には違法な呪文が多いんですよ・・・。」
「そ、そうなんですか!?」
「まぁ・・・訳有り者が多い街ですから、深くは聞きません・・・ただ、あまりに大きすぎる魔法を使うのは、お勧めしませんよ・・・。」
「はい・・・。」
征夜は、自分の行動を恥じた。
花の事を気にかけるあまり、ミサラに無理をさせてしまった。
保護者として、何よりも人として、今の自分は"失格"であると悟ったのだ。
「ハッキリ言いましょう・・・精神崩壊していないのが、不思議なくらいの重症です・・・。
三度も刻み付けられた心の傷が、深すぎて我々には手に負えません・・・。」
「はい・・・。」
「鎮静剤と、精神安定の薬を出しておきます。何か困ったら、私の診療所へ来てください。」
「はい、ありがとうございました・・・。」
部屋から出て行く医師を見送った征夜は、ベッドに眠っているミサラの元へと駆け寄った。
シーツの端からはみ出た手足を仕舞い込み、優しく手を握る。
「ミサラ・・・ごめん・・・。君にばかり、無理をさせてしまった・・・。
君が元に戻るまで、暫くはここで休もう・・・。だから、また元気になってくれ・・・。」
これまでの自分を猛省した征夜は、まずはミサラに対する罪滅ぼしをする事に決めた。
彼女が目を覚まし、心が元通りになるまで、彼はこの町に留まると決めたのだ――。




