EP134 旋風
あの日から、清也は資正と殆ど会話しなかった。
それは手の内を隠すためであり、決戦に向けた闘気を溜める意図もある。
資正にもそれは分かっていた。だからこそ、無駄に世話を焼かないようにした。
そしてトオルと別れてから、二週間が経った日の朝――。
「もう一度!僕と勝負してください!」
朝焼けに包まれた道場の表で、清也は深々と頭を下げる。
「うむ、満足のいく修業が出来たようだな。」
「はい!」
資正の方も弟子の確かな成長を感じ、嬉しく思っているようだ。
笑ってこそいないが、口調から感情が滲み出ている。
「それでは、早速行くとしよう。」
「あっ、忘れ物をしちゃったので、先に行ってください!」
「分かった、焦らずに来い。」
そう言うと、資正は竹林に向けて歩みだし、清也は道場に駆け込んで行った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
竹林で腕を組みながら待つ資正の元に、何かを背負った清也が歩み寄って来る。
「お待たせしました。意外と奥に隠されていたので・・・。」
「お前が背負っているのは・・・なるほど、”打ち破れ”と言ったなら殺されても構わんな・・・。」
呆れているような、感服しているような、小さな笑みを浮かべている。
「”真剣”を使うか・・・まぁ、それも良いだろう。何度も言うが、打ち破ればよいのだから。」
「流石ですね師匠・・・。隠したつもりだったのですが。」
清也の方も、同じような笑みを浮かべている。
真剣を背負って現れた弟子に対し、大きな動揺を起こさない資正は、やはり肝が据わっている。
「慮るでないぞ。全力で殺しに来い。弟子に負けるなら、某も本望だ。」
資正は何の躊躇もなく、清也の挑戦を受けた。
彼にとって自分は、次世代の剣士が超えるべき壁であり、生きる事に未練はない。
深呼吸し、清也に向けて木刀を向く。死ぬ覚悟など、当の昔に決まっていたのだ。
しかし清也は、背負った日本刀を抜かない。
鞘に込めたまま右手に握り替え、斜め向けに高く掲げた。
「いえ、これを使うのは”僕じゃありません”。」
そう言うと清也は、握りしめた日本刀を、10m先にいる資正に対して投げ渡した――。
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清也が行おうとする暴挙。これには、流石の資正も予想外だった。
投げ渡された日本刀を見下ろしながら、ゆっくりと口を開く。
「・・・某に真剣を握らせても、勝つ自信があると?
我ながら、舐められたものだ・・・。慢心は命とりだと教えたはずだが・・・。
まさかとは思うが、某がお前に容赦すると思っておるのか?」
先ほどよりも、明らかに怒っている。
不利な条件を付けられるよりも、有利な戦いを強いられる方が彼にとっては屈辱だ。
しかし清也とて、考えなしに無謀な戦いを挑んでいるわけでは無い。
資正の同情を誘い、手加減をしてもらおうなど、彼の目的とはむしろ真逆である。
「違います。これは僕の覚悟です。試練は”作業”では無い。本能をぶつけない限り、人は成長しないんです。
そして、それを引き出すには”命を張る”ほかに無い。僕は先日、それを悟りました。」
トオルに指を掛けられた痕、首に付いた痣は今でも痛む。
しかしあの体験を経たことで、清也の中に眠る力は覚醒した。もっと言えば、初めて真空点を作った際も、彼は命の危機に瀕していた。
「公平な戦いでない事は承知しています。師匠がそんな事を望んでいない事も・・・。
しかし、僕が剣士としての更なる進化を経る為に、どうかお願いします!」
声を張り上げ、大きく頭を下げる。
彼の思いは本気だ。あとは相手方に認めてもらう他に無い――。
「・・・・・・前言撤回だ。悟ったな、清也・・・。」
資正は考えを改めた。感慨深そうな顔を浮かべながら、私用の木刀を森に放り投げた。
「負ける気も、死ぬ気もありません。だからこそ、殺す気で来てください。」
「その心意気、受け取ったぞ。
これは試練でありながら、果たし合いでもある。挑んだからには、死を覚悟してもらおう。」
ここから先の戦いにおいて、彼は清也の師では無い。一人の剣士として、決闘に臨むのだ。
清也に対して、最後の警告を放つ。そこを越えれば、後に戻る道は無い。
「何度でも言います。僕は負けません。」
威圧感の有刺鉄線を乗り越え、清也の魂は決闘の場に踏み込んだ。勝敗が決するまで、出る事は許されない。
「・・・後悔するなよ。某はお前に勝っても、絶対に後悔しない。
もしお前が負けたなら、この流派に意味は無いのだから・・・。」
そこまで言うと、資正は一呼吸置いた。彼が大きく息を吸うと、周囲の空気が一変する。
調気の極意の影響ではない。覇者の放つ闘気が、竹林に充満しているのだ――。
「名乗るが良い!若き挑戦者よ!」
老人とは思えない覇気を放ち、決闘の礼節に則る。清也を見つめる眼は、本能に満ちた武士の物だ。
「我、氷狼神眼流門下生・清也なり!伝承者の座を賭け、其方に果たし合いを望まん!」
資正の覇気に負けじと、声を張り上げる。気合で負ける訳には行かないのだ。
「我、氷狼神眼流開祖・資正なり。武士として、挑戦者との果たし合いを受けるなり。」
今度は逆に、余裕を持った声を出す。殺気を隠し、勝利への意志を悟られない為だ。
名乗りを終えた両者は、お互いに得物を抜く。
清也は白樺を削った木刀に、資正は玉鋼で打った日本刀に、自らの命を乗せる。
両者が構えを終えて向かい合った時、遂に死闘は始まった――。
~~~~~~~~~~
「行くぞッ!」
「来いッ!」
いつもと何も変わらない展開。資正が先に仕掛け、清也はそれを受ける。
最大の障害である勇者の結界は、すぐに展開された。
(やはり見えない!いや、感じろ・・・どこにいるのか・・・風を読め・・・!)
フェイントを仕掛け、すぐには襲ってこない。単調な攻めを許すほど、清也は弱くないからだ。
竹林は風に巻かれてしまう為、一切の音が頼りにならない。信じられるのは、肌を撫でる風の感覚だけだ。
(8時の方向に3歩!反時計回りに5時へ来ようとしてる・・・だったらこうだ!)
「はぁぁぁッッッッ!!!!!!」
振り向きざまに、大きな咆哮を上げる。
特訓の成果は火を見るより明らかだ。今の彼は、吐息一つで体温を自在に操作できる。
斬撃を放ちながら、気圧と気圧をぶつけ、資正の結界を払い飛ばす。
カシャーンッ!
金属にぶつかる音と、確かな感触。2週間挑み続けても得られなかった物が、そこには確かにあった。
鍔迫り合いする木刀の剣先を見ると、結界を払われた資正と目線が合う。
(我が結界を破ったか!)
(破らねば始まらんでしょう!ここからが勝負です!)
目線だけで会話する。言葉など、もはや必要ない。
(その通りだっ!!!)
刃同士を弾き合い、お互いに4歩下がる。ここまでは前哨戦であり、ここからが勝負なのだ。
(奥義の習得、僅か2週間でどれほどの物になるか・・・見せてみろ!)
資正は目線で訴えると、またも姿を消した。今回は結界では無く、単純な高速移動だ。しかしそれでも、目を見張るものがある。
(300歳であのスピードなのか!)
(この程度も捉えられんかぁッ!)
空き地を囲む竹の幹を蹴って、空中を駆け巡る。その姿はもはや、侍ではなく忍者である。
(我が奥義を使えば打ち落とせる。だが、威力が足りんのだろう!付け焼刃では某に勝てんぞ!)
勝ち誇ったように清也の周囲を旋回しながら、攻撃の隙を伺う。清也は翻弄されているが、防御には余念がない。
”奥義・金剛霜斬”の欠点、それは威力の低さにある。
もっと正確に言えば、慣れるまでは威力が低いのだ。極める事さえ出来れば、必中必殺の究極奥義ともなり得るが、それに至るにはあまりに時間が足りない。
(動きが速い・・・まずは地上に落とす!)
資正の誘いに乗って、空中戦に挑む事にした。竹藪を足場にして、迫りくる資正を迎え撃つ。
竹林に囲まれた半径10mほどの決闘場。その外周を回りながら、資正は同じ土俵に立った清也を狙う。
(あくまで受けと言うわけだ!それも良いが、お前に某が捉えられるか!)
狙うは迎撃。アクロバティックな戦闘法でも、その基本は先手必敗と言う”鉄の掟”から逸脱しない。
しかし資正は、避ける事無く清也に向かってくる。
(狙うは正面勝負!迎え撃つこちらが有利!)
胴に一撃を叩き込む為に、清也は握り締めた木刀に力を込める。
(甘い!搦め手を用いてこそ、真の決闘なのだ!)
(ハッ!跳んだッ!?)
清也の間合いに入る直前で、資正は跳び上がった。清也の頭上を越え、後頭部に叩き込むつもりなのだ。
<兜割り>
幾度も強敵を葬って来た資正の技。真剣で頭を一刀両断されては、生き残る術が無い。
しかし清也は、決して無策では無かった――。
<木枯らし殺法!>
「なにっ!?」
リーチの外に逃げられた。ならば、リーチを伸ばしてしまえば良い。
清也が考えた”第一の技・木枯らし殺法”。その原理は単純で、刀身に風を纏わせる事で射程を伸ばす。
この技自体は、資正も知っていた。名前こそ違うが、同じ技を彼も使える。
問題は、習得のスピードである。驚いた理由もそこにあった。
半月前まで調気の極意を殆ど知らなかった者が、ここまでの境地に至った。そんな事はあり得ない筈なのだ。
(誰にも教わらずに、本当にここまで来たのか!?)
”手の内を隠す”と言う、ある意味で卑怯な戦術は、早くも成果を出した。
資正は、清也がトオルと出会った事を知らないのだ。紙一重で刃を避けたが、兜割りには失敗した。
体勢を崩した資正は、地上に落下する。とは言え、その着地は見事なものだ。清也にとって、撃墜とは言い難い。
(勝負は決まらない・・・。だけど、そこは僕の領域だ!)
後を追うようにして、地面へと舞い降りる。着地狩りを狙われないように、入念に場所を選んだ着地だ。
「すぅ~・・・はぁ~・・・・。」
大きく息を吸い、奥義発動に備える。隙を晒しているように見えて、”来るなら来い”と言わんばかりに威圧感を放っている。
(脱力中も、防御は鉄壁・・・流石だな・・・。)
資正は満足そうに清也を眺める。指を咥えて見ているのとは違うが、攻撃は出来ないのだ。
彼にできる事は自らの息を整え、闘気を高める事。即ち、清也と同じ事だ。
(同じ奥義でも、威力が低ければ意味が無い・・・。さぁ、どうする!)
目をカッと見開き、清也を見つめる。その頬は緩み、期待に満ちた笑みを浮かべている。
ありとあらゆる清也の戦法を予想する。”跳び上がり、空中で遠心力を付ける”と言うのが、資正の想像する清也の戦法だった。
しかし清也は、その想像さえも上回った――。
<<旋風狼剣・竜巻!!>>
清也が放ったのは、金剛霜斬では無かったのだ。
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清也の剣先に膨大な量の風が集約され、巨大な渦を巻いていく。
ある程度まで肥大したつむじ風を、清也は勢いよく発射した。広場の中心で、巨大な竜巻が発生する。
「なっ!?」
資正は驚いた。こんな技は使った事が無い。自分でも試せば使えるだろうが、ここは奥義を放つべき場面だ。他の技を放つなど、考えもしなかった。
清也は、呆気にとられる資正をよそに、息つく間もなく次の技を放つ構えを取る――。
<<旋風狼剣・疾風!!>>
凄まじい速度と威力の”真空刃”が、清也の刃に沿って打ち出される。
高速でスピンしながら、グングンと音を立てて進む刃は、”青白い光”を放っていた。
今度こそ自分に向けての攻撃かと思い、資正は身構えた。
しかしそれは、先に発射した”竜巻”に衝突し、消えてしまった――。
(なぜ金剛霜斬を打たんのだ・・・何か訳が有って・・・。)
清也が現段階で知る技の中で、金剛霜斬を超える技は存在しない。
なのに何故、清也はその技を出し渋るのだろうか――。
(まさかアイツ・・・金剛霜斬を知らんのか!教えなかったとは言え、書物には記したはず!読んでいないのか!?
・・・いや、違うな・・・。知らないのではなく、使えないのか・・・?だとしたら、何故に勝負を挑んだ?)
清也の真意を知るために、深く考え込む。しかし資正には、その意図が分からないのだ――。
思考の迷路に入り込んだ資正をよそに、清也はまたも新たな技を放つ準備を始めた。
(ここからが難しい・・・気を引き締めるぞ・・・!)
心の中で自らを激励し、清也は竜巻に向けて走り込んだ。
今なお、勢いが衰えない風の渦に引き込まれないよう、注意しながら切り込んでいく。
<<旋風狼剣・疾風斬!!>>
広場の中央で回転する風の渦に対して、高速の斬撃を叩き込む。乱された気流のうねりは、ゆっくりと中心から動き出す。
しかし清也は、まるで”舞を踊る”ように次の技を叩き込んだ。
<<旋風狼剣・竜巻斬!!>>
動き始めた竜巻の中心で、大きく回転する。
剣に巻き込まれた風の流れが、竜巻の回転を加速させる――。
(そう言う事か!)
資正はここにきて、清也の真意に初めて気が付いた。
清也の放つ”究極の一撃”に備え、身構える。
竜巻の中で回転を続ける清也は、最後の技を放った――。
<<旋風狼剣・吹雪!!>>
”微かな冷気”が、清也の肉体から放たれる。それは魔法でも、剣の持つ力でもない。
極みに至った調気の極意が、彼の肉体を”冷気を放てるほどに冷たく”した。まさに”命がけの大技”が放たれる――。
高速で回転し資正に迫りくる竜巻が、青白く輝いた。
巻き込まれた空気と水分が、冷気によって凍り付いたのだ。それはまさしく”氷狼神眼流奥義”の姿に、他ならない。
彼は不足している鍛錬に注ぐ時間を、”工程を5つに分ける”と言う荒業によって補完したのだ。
完成した奥義を解き放つために、清也は力の限り叫んだ――。
<<<雹狼神剣・金剛霜斬!!!>>>
溜め込んだ冷気の渦が氷柱や雹、霰となって四方八方に飛散する。
飛び散った先でそれらの氷は、融ける代わりに”炸裂”する。
1度目で仕留められずとも、2度目でとどめを刺せる。隙を生じぬ2段構えが、この奥義にはあった――。
~~~~~~~~~~
清也の放った金剛霜斬の威力は、凄まじかった。
周囲の地面を凍て付かせ、竜巻が陣取った部分の土は抉れている。
竹林一面に深い霧が広がり、冷たい空気が漂っている。
(や、やったか・・・?)
調気の極意の乱用により、清也は満身創痍だった。
熱っぽくも有りながら、寒気がする。体温調節が壊れているのだ。これ以上の調気の極意は、本当に命に関わる。
白い霧に包まれて、一寸先も見えない。たとえ見えても、万全な戦闘は出来ない。
金剛霜斬は、確かに成功した。その過程は異なるが、結果は同じ。むしろオリジナル以上の威力かも知れない。
必中必殺の奥義は、資正を打ち破ったのだろうか。深い霧に包まれたせいで、それすらも分からない。
しかし資正と言う男は、そう簡単に倒れなかった。
白いもやを斬り払いながら、前方より迫って来る気配がある。戦いはまだ、終わっていない――。
資正の姿が、清也の瞳に映し出される。
奥義を喰らったはずなのに、傷は負いつつも倒れてはいない。
ネタ晴らしをすれば、彼は金剛霜斬の威力を、”自らの金剛霜斬”で相殺していたのだ。
”威力が低ければ敵わない”の意味はここにあり、最初から打ち消すつもりで戦いに臨んでいた。
しかし目論見は外れ、威力では清也が上だった。いや、むしろ”期待通りに”超えて来たのだ。
本来なら、そこで資正は負けるはずだったのだ。
(得物の差が・・・出たな・・・。)
勝負は正に、この一点に集約していた。同じ木刀で打ち合ったなら、資正は既に倒れていた。
しかし資正を倒しきるには、僅かに清也の威力が足りなかった――。
(倒し・・・切れなかったか・・・。)
瞬時に資正を迎え撃つ構えを取るが、満身創痍なのだろうか。動きに正確さを欠いている。
斬った刀の向きが違う。清也の刀は向かおうとする向きが、資正と接触していない。
これでは、当たるはずが無い――。
(奥義の習得・・・褒めてやろう・・・。だが一歩及ばん・・・。)
遠慮なく斬れと言われたのだ。それを躊躇うほど、資正は軟弱では無い。
「悪く思うな!お前は、最高の弟子だった!!!」
勝利と決着の宣言が炸裂する。そして、その声を追うようにして、刀が清也に斬りかかる。
永遠のように感じる一瞬が、資正と清也を取り囲む。
剣が清也に斬りかかる刹那、世界の時間が完全に止まった――。
両者の動きは完全に静止し、辺りを覆う霧も一切動かない。川のせせらぎも聞こえなくなり、木枯しの吹く感覚も消えた。
そして二人の心臓の鼓動も、やがて聞こえなくなった。ただあるのは、睨み合った二つの魂のみ。
時の止まった世界の中で、刃だけが動いたのだ。
いや、時が止まったかのように感じる一瞬は、彼の一太刀の為に捧げられた物かも知れない――。
<<<秘剣・燕返し>>>
神速の刃から鮮烈な青い光を放ちながら、遂に時は動き出した――。
「そ、その技は・・・!」
当たらない筈だった清也の刃は、ほぼ直角に屈折する。
資正は慌てて避けようとするが、その剣先は確かに、彼のみぞおちを直撃した。
満身創痍とは思えないほどに、速度も威力も申し分ない。
「よく・・・やった・・・。」
満足そうな笑みを浮かべた資正は、清也の頭を優しく撫でるとその場に倒れ込んだ。
その瞬間を以って、果し合いの勝者は決定したのだ。
「僕の・・・勝ち・・・です・・・。」
最後の力を振り絞り勝利宣言した清也は、資正に折り重なるようにして、音も無く崩れ落ちた――。




