EP103 もう一人
男に押さえつけられてから一時間後、雷夜は裸のままベッドに倒れ込んでいた。
気を失っているのだろうか?安らかな顔で寝息を立てている。
「水中で寝るって、結構な猛者だな。」
男は雷夜の寝顔を覗き込みながら、優しく微笑んだ。
何処からか取り出してきた毛布を、起こさないようにソッと掛ける。
彼女の額に軽くキスすると、男は水面に向かって泳ぎ出した。
「・・・置いて行かないで・・・。」
男が振り向くと雷夜は目を覚まして、寂しそうな顔でベッドの縁に座っている。
「こう見えて、俺も忙しいんだ。解析も丁度終わったし、そろそろ行かないとな。・・・楽しかったぞ。」
男の方も少し寂しそうな顔になって、雷夜に労いの言葉をかけた。
「そんなに焦って、一体どこに行くんですか?私も着いて行っちゃダメですか?」
「だめだ。お前が来たら本末転倒だし、来るならマスターも一緒に来てもらえないと困る。」
「マスターも一緒・・・ですか?もしかして、あの者に関係が!?」
「・・・まぁ、そんなところだ。でも、マスターの手は借りない。」
「どうしてですか!?マスターとあなたが合わされば、あの者を圧倒できると思います!
二人の戦いで生み出されたブラックホール、あれを打ち消したのはあなたですよね!?」
「端的に言えば、マスターが俺に会うと存在ごと消える可能性がある。だからダメだ。」
「そ、そんな・・・。」
「まぁ何とかなるだろ。俺一人でも十分お前を助け・・・いや、何でも無い。」
「・・・?では、私をメイドとしてで良いので、お傍に置いて頂けませんか・・・?」
「それも駄目だ。妻が嫉妬する。」
「・・・え!?奥様がいらっしゃるのですか!?」
雷夜は目を丸くして、体を隠していた毛布を取り落としてしまった。
「いないと思ったのか?」
「はい・・・。じゃあ、今のは不倫と言う事に・・・!」
「まぁ、不倫ってわけでも無いんだが・・・。
まぁいい、そもそも神の座を持つ者には何人も妾がいるのが普通だろ?むしろ、マスターみたいなのが異常なんだ。」
「あの方は本当に数奇な人生を送られて来ました・・・。
旅を住みかとするとはあの方の事を言うのでしょう・・・。
支えてくれる女性が欲しいというわけでも無く、ただ一人で孤独に戦い続けているのです・・・。
再誕した日より、常にあの方にお仕えしてしております。
ですが、再会した日には既にかつての柔らかい物腰は、微塵も残っていませんでした。」
「へぇ?マスターにも優しい時代があったのか・・・。
今でも十分優しいとは思うけどな。」
「あの方は変わってしまった・・・。
この世界で花様と出会うまでは本当に、目も当てられない程でした。
元々、人を従えるのが好きでは無いのに、その才能を生まれ持っていた。
それでいて、いつしか現世にある全ての存在を、その身に受けるようになってしまったのです。
最高神と言う地位を与えられて尚、叶わない些細な夢を前にして、精神が完全に崩壊しているのは当然の結果でしょう・・・。」
「そうか・・・。」
「あの人を動かしているのは、もはや蓬莱の力ではありません・・・。
身を裂くほどの憎しみと、魂が割れるほどの狂愛が、あの方を現世に留めている・・・。
あの方に死の救済は無く、死後の楽園も存在しない・・・。希望と言う、究極の地獄に縛られているに過ぎないのです・・・。」
「なら、お前が支えてやらないとな。そうだろ?お前と俺があの人を救うんだ。」
「・・・手伝ってくださるのですか?」
「もう手伝ってるさ。・・・まぁいい、そろそろ行くよ。
マスターに、もし暇なら臨界の扉に来てくれって、頼んどいてくれ。」
「・・・分かりました。約束、忘れないでくださいね・・・。ずっと、待ってますから・・・。」
「ちなみに、迎えに来る時の格好の注文とかあるか?」
「・・・ペガサスに乗ってきてくれると、嬉しいです・・・♡」
「分かった。・・・やっぱ心配だな。お前、流されやすそうだし・・・。」
男はそう言うと、再び雷夜の方へと泳いできた。
「まだ、何かあるのでしょうか・・・?」
「今から、お前に二つの封印をかける。一つが俺に会った記憶の封印。二つ目がお前の甘い部分の封印だ。
甘っちょろい部分がなくなれば、きっとお前は虐められなくなるだろう?それに俺の女が、雰囲気に流されて寝取られても困るからな。
とにかく、これはお前を守るためでもある。・・・分かったか?」
「・・・分かりました。
あなた様以外の女にならない様に、封印してください・・・♡あなたが来るまでは眠ることにします・・・♡」
「安心しろ。次に俺とキスした時に、人格の封印は解ける。・・・じゃあ、行くぞ。」
男はそう言うと、力強く雷夜を抱き寄せた。
「最初で最後かも知れないから、今ここで言っておく。」
雷夜はこう言われて、急に不安な気分になった。
光の反射のせいか、男が泣いているように見えるからだ。
深い覚悟と後悔を伴ったこの表情を、雷夜は主君の横顔からしか感じ取った事がない。
「・・・愛してる。」
男はそう言うと、雷夜に深い口づけをした――。
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男が去ってから数分の後に、雷夜の意識は現実に戻って来た。
いや、この表現には語弊がある。ベッドの端に座っている女性は、もはや雷夜では無いのだ。
頭髪は鮮やかな金から、黒みがかった紺色へと変化し、耳や尻尾は生えていない。
顔には一切の血の気が無くなり、能面のようである。
表情も硬くなっており、美しい長髪と巫女服だけが彼女の面影を残している。
雷夜と思わしき女性は、人間の方の耳に掛かった髪を掻き上げ、誰かに通信をし始めた。
「応答せよサム・アストレクス。こちらミッドナイト。」




