番(つがい)と言われても愛せない
[竜王妃視点]
同い年の幼馴染みと結婚して、畑を耕して、子供を産み育てる筈だった。でも、ある日いきなり白い光に包まれて、私は見知らぬ広間の真ん中に立っていた。私の正面には金髪の貴公子がいて、うっとりと私を見つめて微笑んだ。
「ようこそ、我が番。」
そこは人間や獣人が共存する世界で、彼はその頂点に立つ竜人の王子なのだという。竜人の王族は魔力を持ち、年頃になると唯一無二の番を探し、見つからなければ他の世界から召喚するのだという。私は元の世界に返してくれと泣いて頼んだ。でも異世界召喚は一方通行で帰り道は無いという。来週結婚する筈だったのにと呟くと彼の形相が変わり、私を寝室に連れ込んで3日3晩離さなかった。ようやく解放されて涙も枯れ果てた私に、侍女長が噛んで含める様に言い聞かせた。
「神聖なる番召喚で呼ばれたあなたは王太子殿下の唯一無二の番様なのです。お気持ちを穏やかにされて愛に身を委ねれば皆が幸せになれるのです。」
そう、私は彼をひと目見て恋に落ちた。体の関係を持った今、その気持ちはさらに深まっている。でも、その為に全てを捨てさせられたの?心を揺さぶる様な恋ではなかったけれど、許婚との間には長い間育んだ信頼と友情があった。口うるさいけど優しい両親、生意気だけど可愛い弟、それに些細な事で口喧嘩しては仲直りする女友達。私は皆との心のつながりを感じて幸せに暮らしていたのに。
婚姻の儀式で私は彼に愛の言葉を述べなければいけないという。それにより、彼はこの世界で最強の魔力を得て私は竜人と同じ寿命を得るという。皆が死んだ後も私は生き続けるの?無理だ。
「全く人間の心とは厄介なものだ。至高の愛が目の前にあるのに生まれ育った群れの中での馴れ合いに拘るのだから。仕方ない、今回も愛と真実の首輪を使おう。彼女が有象無象に向けている中途半端な愛を全て唯一無二の相手に注ぎ、真実のみを口にする様に。」
大神官にその奇妙な首輪を付けられると、不思議な事に家族や友人に向かっていた想いが全て彼に向けられた。口からは愛の言葉が淀みなく流れ出た。結婚の儀式は無事に終わり、夫は戴冠して国王となり私を豪華な宮殿に囲った。何十年か経って息子が生まれる頃には日々の幸福に埋もれて故郷の事は思い出さなくなっていた。月日はさらに流れ、既に青年期も半ばに差し掛かった息子がある日興奮してやって来た。夢で番の姿を見たらしい。
「私の番が漸く現れました。此処と良く似た魔術のある世界ですが住人は人間しか居ないようです。早速神官達に召喚陣を用意させて番召喚の儀を行います。」
王族と主だった貴族、高位神官達が集まる召喚の間に現れたのは15、6歳の綺麗な少女だった。息子は舞い上がっていて役に立たないので私が彼女に話しかける。
「こんにちは、お嬢さん。此処は竜人の国であなたの国とは違う世界にあるのよ。」
「竜人?人間を食べたりしませんよね。」
「もちろん危害を加えられることは無いわ。ただ、申し訳ないけど元の世界に戻ることはできないの。番召喚は一方通行なのですって。」
「技術的に無理なら仕方ありませんが、ずいぶん出来の悪いシステムですね。ところでその首輪は魔道具ですよね。私は魔道具師なんです。働き口を紹介して頂けませんか。」
「働く必要は無いのよ。あなたはそこにいる私の息子の番として呼ばれたの。」
「番、ですか?それが私に期待されている役割という事でしょうか。」
漸く正気に戻った息子が口を開いた。
「そうだ。そなたが私の妃となれば私は強い魔力を得てこの地を外敵から守り、平和に治めることができる。そなたは竜人の寿命を得て末長く私を支え、私の子を為し、そうやってこの国の繁栄は続くのだ。」
「つまり、あなたが私のお婿さんになる事で皆が幸せになるという事ですね。私としては趣味で魔道具作りをさせてもらえれば別に構いません。」
何か微妙に噛み合っていない気がしたが、竜人は細かい事に余り拘らない。マイラという名前のその少女があっさり同意した事に皆満足し、その場で婚姻の儀が行われる事となった。大神官が息子とマイラの前に立つ。
「王太子殿下。貴方は番であり妃となるマイラを生涯愛し守る事を誓いますか。」
「誓います。」
「マイラ、あなたは番である王太子殿下を生涯愛し支えることを誓いますか。」
「私なりに支えることはできるかも知れませんが愛するのは無理です。」
その場が凍りついた。息子がすでに誓ってしまった以上、マイラがすぐに誓わないと婚姻の儀式は失敗し、息子は番を失ったと見做され最悪の場合発狂してしまう。焦った大神官はすぐ側にいた私から『愛と真実の首輪』を外してマイラに嵌めた。
「マイラ、王太子殿下を愛すると誓いなさい。」
「え、質問じゃなくて命令だったなら最初からそう言って下さいよ。でもこの魔道具のせいで嘘がつけないので無理です。」
一方、私の頭の中は混乱を極めていた。首輪が外された途端、その方向をねじ曲げられていた故郷の人々への想いが一気に溢れ出す。そして気づいた。皆とっくの昔に死んでしまっていることを。私は召喚の間に集まった王族、貴族、神官達を見渡した。愛の名の下に人の運命を弄ぶ傲慢な竜人族などこの世から消えて無くなれば良い。それでも。夫の姿が目に入った。私は彼を憎めない。愛することしか出来ない。ならば私はこの歪んだ世界からそっと退場しよう。私は簪を抜いて自らの心臓に突き立てた。
[マイラ視点]
アタシの家は首都警察お抱えの魔道具屋で、アタシは10歳の頃から魔道具作りをしていた。
「やあマイラ、探索防御の指輪は出来たかい?」
「はい、この石を回すとスイッチが入って探索の魔法から身を隠す事ができます。」
「おお、素晴らしい。でも普通に探されたら見つかってしまうわけだな。」
「そうですね、視覚による感知を防ぐ魔道具は実用的じゃないです。裸で何も持たず、背景に何も無い場所でじっとしていない限りバレてしまいますから。」
「なるほどね、いや、張り込みにはこれで十分だよ。君はまだ15歳だよね?大したものだ。」
「有難うございます。私も納得できる物が作れた時はとても嬉しく思います。仕事に戻っていいですか?お支払いは母にお願いします。」
「あら刑事さん、いらしてたのですね。すみませんね、褒められてもニコリともしない愛想のない子で。上の子と同じように育てたつもりだったのにどうしてこんな情の無い子になってしまったのかしら。」
「他人との心の繋がりを必要としない子供は少ないけれどいるものですよ。別に他人を害するわけではないし、ほとんどがルールを守って真面目で仕事熱心な大人になります。」
「でもそれは人として足りない異常者なのではないかしら?男ならともかく、情の無い女の子なんて嫌だわ。もっと普通の娘だったら良かったのに。」
「普通の人なんて本当はいないんですよ。私にもあなたにも普通でないところはあります。マイラは少し目立っているだけで人として足りないわけではありません。そうそう、取調室の記録魔道具が少し具合が悪いんで週明けに彼女を寄越して下さい。」
夕ごはんを食べながらアタシは考えていた。姿を見えないようにするよりも、見えていても記憶に残らず、従って個人を特定できない認識阻害の方が実用的かもしれないな。突然、母が人の話をちゃんと聞きなさい、とアタシを叱る。どうやら祖母と母と姉はずっと喋っていたらしい。魔道具師の父は寡黙な人だが母達はとてもお喋りだ。ただ、お喋りの内容が噂話ばかりで他人の名前を覚えるのが苦手なアタシには良く分からないのでつい聞き流してしまうのだ。
翌日の土曜日は探索防御の指輪に認識阻害を付与するのに熱中した。姉が仕事場にやって来て、一人で仕事ばかりしているから友達もできないのよ、と言う。友達というのは困った時に支え合う存在らしいが、姉が友達のナントカさんにやってあげることは彼女が泣いている時抱きしめて一緒に泣くだけだ。アタシには必要ないな。姉を意識から閉め出して作業に集中する。
日曜日、姉は婚約者とデートに出掛けた。祖母がお前も少しはお洒落して女の子らしくしないと婿の来手が無いわよと言う。別に魔道具作りは力仕事でないから婿は必要ないのではと言ったらそういうところが可愛くないのよと怒り始めた。困惑していたら父が来て、まあ必要なくても婿をとらんと世間体が悪いからね、と言ったらその場が収まったので仕事場に戻って認識阻害の指輪作りを続けた。よし、出来た。これなら魔力や五感で感知されても個人の特定ができない筈だ。しばらく自分で使ってみて不具合がなかったら刑事さんに見せよう。
月曜日、アタシは警察署で取調室の記録魔道具を修理していた。名前は忘れたけど、いつもアタシに話しかけて来る若い事務官が隣でずっと喋っていた。煩いので無視していたら声がどんどん大きくなり、そのうち刑事さんが来て彼の襟首を掴んで引きずって行った。
「済まん済まん、彼には厳重注意を与えた。」
「あの人は怒ってたんですかね。アタシは特に何もしませんでしたが。」
「うーん、彼は君にかまってもらいたかったんだよ。」
「?」
「大概の人は他人に好かれたり認められたいと思ってるんだ。特に自分が気にかけている相手にはね。」
「??」
「ほら、例えば君のお母さんが君が可愛げが無いとか愛想が無いとか言ってしょっちゅう腹を立ててるだろう。彼女は娘に期待通りの反応をして欲しいのさ。まあ、そういう期待が度を越すと自分が愛してるから相手も自分を愛してる筈だなんて妄想に囚われてストーカー行為をしたりするんだけどな。昨夜ストーカーの無理心中事件の始末が大変だったんだ。いや、もちろんさっきの彼は全然大丈夫だよ。」
記録魔道具の修理を終えて、昼ごはんに間に合う様家路を急ぐ。いきなり周りに白い光が溢れ、次の瞬間アタシは広い部屋の真ん中に立っていた。話しかけて来た女の人によると、アタシは異世界に呼ばれて元の世界には戻れないらしい。一方通行の瞬間移動の魔道具なんて不便で危険な物を誰が作ったんだろう?しかも女の人がしている精神制御の魔道具首輪は随分嵩張る代物だった。どうやらこの世界には良い魔道具師が居ないらしい。きっとすぐに働き口が見つかるだろうと思っていたら、彼女の息子さんと結婚して欲しいという。それで皆が幸せになれるらしい。特に反対する理由は無いので承諾した。
息子さんと並んで立ち、白い髭のお爺さんに質問されたので普通に答えたら、お爺さんは何故か慌て始めて女の人の首輪を外してアタシにつけた。精神制御の魔道具を了承なしに他人につけるなんて刑事さんが知ったら大変だよ。お爺さんはアタシに息子さんを愛する事を誓いなさいと命じた。最初からそう言ってくれればその場を収めるために嘘くらいついてあげたのに、首輪のせいで出来なかった。
息子さんがアタシに話しかけて来た。
「私を愛しいと思う気持ちは無いのか。」
「ありません。婿を迎えないと世間体が悪いって父が言ってたので結婚するのは構いませんが。」
「だが私はお前を愛している。だからお前も私を愛するのだ。私の側から離れることは許さん。」
あ、これ刑事さんが言ってたストーカーってやつだ。アタシは慌てて認識阻害の指輪のスイッチを入れて右往左往している人々の間に飛び込んだ。さっきの女の人が血塗れで倒れていてその旦那さんらしい人が号泣していて大混乱だ。広間を出て廊下を全速力で走る。後の方から怒号と悲鳴が聞こえ、背中に熱を感じたけど振り返らずに建物を飛び出し、そのまま門に向かって走った。門番がアタシを止めようとしたけど、その瞬間轟音と共に建物が燃え上がったので彼らもアタシと一緒に逃げ出した。1時間ほど走って商店街に着いた頃にはクタクタになっていた。おや、あそこに魔道具屋がある。とりあえずこの首輪を売り払って、どこかで昼ごはんを食べてそれから考えよう。
[あとがき 1]
マイラが認識阻害の指輪を使ったことにより彼女の気配を見失った王太子は半狂乱になりました。彼は竜化して暴れ回って召喚陣を壊し、参列者のほとんどをファイアブレスで消し炭にした挙句魔力切れで自滅しました。この事件以来、番召喚などと言う悪習は無くなり王族の優位性も薄れて竜人国は共和制への道を歩み始めたのでした。
[あとがき 2]
マイラはいわゆるスキゾイドパーソナリティ障害の気がありました。基本的に自分と自分の仕事だけに関心があり、他人に興味を持つ事も愛することもありませんが、世間と平和的な関係を保つために彼女なりの努力はしていました。竜人と人間だけでなく獣人やエルフやドワーフや魔族もいるこの世界ではマイラは特別視される事も無く快適に暮らしました。