白雪姫 2
継母はすぐに答えることはなかった。姫は根気強く、彼女が再び口を開くのを待った。何故か彼女ならば賛同してくれるという確信があった。
「私はね…」
姫が書いた計画書を見ながら、彼女は話し始めた。
「私はね、小さな国の姫だったの。貧しい国だった。王の妃は何人もいて、兄弟や姉妹は十人以上もいたわ。私の母は貴族の中でも落ちぶれた一家の出で、王の妃となってからも他の妃から身分が低いという理由で、嫌がらせを受けていた。身分の低い母が唯一、誇れるものは彼女の美貌だけで、私にも美しくありなさいとずっと言っていたわ。そしたら、良い男性が見つけてくれて、幸せにしてくれるだろうから、と」
姫は静かに聞いていた。
「母が死んだ時、王は悲しんでくれるんだと信じていた。だって、彼は私の父親で、母の夫なのだから。でもね、私の父は何と言ったか分かるかしら」
「…分かりません」
「『あぁ、死んだのか』。それだけだった。王は妃である母を愛してはいなかった。ただの何人もいる妃の中の一人、そんな認識だったのだったのでしょうね。それがきっかけかしら。私が男性に何も期待しなくなったのは」
悲しげな声だった。
「私の父も国民に何もしてあげていなかったわ。民から搾り取ったお金で毎日贅沢三昧。母親を失った私のことも忘れていたみたいで、食事も満足に食べられない時もあったわ。そして、私が年頃になったらやっと思い出したみたいで、ここに嫁がされたの。ここの王も父と変わりはなかったけれど」
「それは…」
「でも」
継母は、優しげな微笑みを姫に向けた。
「そうね。貴方がもし本当に女王になってくれたら、私の母や私のような人は少なくなるかもしれないわ。母は受動的だった。幸せにしてもらいなさいと私にも教えていたから。自分から幸せに掴もうとは思わずにね。私もそうだった。…でも貴方が女王になって、私たちのような人の希望になってくれるなら」
継母は、姫に自分の右手を差し出した。
「私の力を貸してあげるわ」
「よろしくお願い致します」
姫も笑みを浮かべて、彼女の手をとった。二人は強く握手を交わした。
姫と継母は何度も話しあった。この計画で特に重要な人物は、勿論姫と、姫を狙う悪意ある者と、そして王子だ。二人目は誰かに嫌われるようにしなければいけない、と姫が言うと、私がやれば良いじゃない、と継母は受け持ってくれた。
「良いのですか?計画の中で、悪役となる役割です。この計画が成功すれば、貴方は国民からも嫌われることに…」
「構わないわ。元々、他国からの第二の妃ということで、良い目は向けられていなかったのだから。それに処刑にはしないのでしょう?」
「はい。勿論です。この計画で犠牲者は出させません。私の夢のために誰かを犠牲にするなんて、その時点で私の夢ではなくなっています。悪役となる方の処刑を求める声はきっと上がるでしょう。しかし、私が絶対に阻止します。それでも駄目ならば、処刑したということにして、外に逃がします」
「なら、いいわ。姫を信じるわ」
「私を信じてくれた貴方が悪役ならば、絶対に守ります。無事に女王になれた後は、平穏で穏やかな生活を保障できるよう努力しますね」
これで悪役を用意するという一つの問題は解決した。次は王子を誰にするか、だ。
「ずっと疑問だったのだけれど、この計画だと全て王子の手柄になってしまうのではないかしら?」
顎に手を当てて考え込むように彼女は言った。姫も改めて自分の計画書を見る。確かに姫である自分は何か特別なことをしている訳ではないのだ。結局最後は、通りがかりの王子が解決している。
「いいえ、これで良いと思っています。この話が国民の間に広まれば、私はただの無知な姫ではないのだという印象を与えることができるのです。殺されかける、なんて普段の日常ではまず起こらない被害です。それを乗り越えた人ならば、何か国のためにやってくれるのでは、と期待を持たせることができます」
「でも、もう少し王子の活躍を減らした方が良いんじゃないかしら?貴方の今までの労力は、驚くべきものよ。もっと貴方が称賛されるように書き換えたら?」
「私が目立ちすぎれば、物語が受け入れられない可能性がありますから」
姫は、あえて物語で王子を立てているのだということを伝えた。
「なるほどね。男性を優遇する価値観が残る国でも、受け入れられるように。良く考えているわ。…それで王子を誰にするか、よね」
「理想は私の考えを受け入れてくれてくれる人ですね。私が女王になるのを応援してくれる人」
「それは…難しいでしょうね。王子ということは、幼い頃から王になるのが当たり前だと教育されている人ということよ。『君が女王になりたいのならば、譲ります。さぁ、どうぞ、王座へ』なんて言いそうな王子なんて、私も会ったことがないわ」
「王子役はもう少し探してみることにします」
こうして継母との茶会は有意義に終わった。
数日後、舞踏会が催されることになった。姫が住むこの城で、他国の王族や貴族を呼んで踊り明かすのだ。朝から使用人たちが慌ただしく、用意をしていた。姫も主席せねばならないため、ドレスを着替えさせられたりと忙しかった。
(この舞踏会で運良く王子役が見つけられれば良いのだけれど)
この舞踏会は、姫が覚えている中で一番大きな舞踏会だ。招待客は多く、未婚者の王子も多いと聞く。できれば、この舞踏会中に相手を見つけておきたかった。
舞踏会が始まる時間になって、姫は席を立った。いつもよりも華やかなドレスを着て、会場へと向かう。
「白雪姫。噂通り、雪のように白い可愛らしい姫君だ。是非、私と踊って頂けませんか」
姫の美貌は、他国にも知れ渡っていたらしく、姫と踊ることを望む王子は多かった。
「喜んで」
はにかむような笑顔を顔に張り付けつつ、姫は一人ひとりを踊りながら見定める。
この王子は駄目だ。言動からプライドの高さが滲み出ている。
この王子も違う。権力に執着している。
この王子も向かない。王子本人は気が弱く、姫が彼の代わりに仕切っても文句は言わないだろう。しかし、確か王子の両親が厄介だったはずだ。
ダンスの誘いを全て受けて踊ってみたが、条件に合う王子は一人もいない。
(少し休憩しましょう。流石に何人も相手をしていたら疲れたわ)
姫は、少し息を吐こうと舞踏会の会場から離れて、城の庭へと出た。夜の庭は暗く、人気は少ないはずだ。休憩場所には丁度良い。
(あら?私の他にも抜け出している人なんていたのね)
姫が庭に着くと、ランプの明かりが一つ見えた。この庭にはランプは置かれていないはずなので、誰かがここに持ってきたのだろう。姫は目を凝らした。うっすらと見える人影は、身長からして姫と同じ歳だと分かった。
「どなた?」
姫は、人影に声をかけた。びくり、と影が動いた。
「別に責めている訳ではないのですが…そこは暗くありませんか?何をしていらっしゃるのですか?」
「…っ…と…て…」
人影が何かを喋るが、あまりにも声が小さ過ぎて、簡単に風の音にかき消される。しかし、声からして男性なのだということは分かった。
「…あの?」
「と、いて…」
「申し訳ありません。声が風のせいで聞こえず…」
「放っといてって言ってるんだよ!!」
突然、大声を上げられた。姫は驚き、暫く言葉を失う。
(こんな理不尽に怒られたのは初めてだわ…)
自分の何が彼の気に障ったのか分からない。姫は、ムッとして、ツカツカとこの人影に近づいた。
「急に怒鳴るとは失礼ではありませんか。ここは私の庭です。私の城の庭なのですから、招待客の貴方が私を追い払う権利などないと思いますが」
舞踏会に呼ばれているのは、この国の貴族か、他国の貴族とそして王族だ。王族ならば敬意を払わねばならないが、それでも他国の王族が自分にこの城の庭から出ていけと言える権限はない。
「なに…君」
「私の庭で何をしているのかと尋ねているのですが」
「君には関係ない」
「関係はあります。私はこの国の姫ですよ。そして、この庭はこの城のもの、王族の所有物です。よって私のものでもあるということになります。自分のものである場所で怪しい人物が何かをしていたら、気にならない訳がありません」
話さなければ、姫がここから動かないことをやっと理解したのか、影は「分かった…」とランプを持ち上げて、自分の手に持っているものを照らした。
「本…ですか?」
「本を読んでいたんだ。父様に無理矢理連れてこられたけど…僕、舞踏会とか好きじゃないし。人は多いし、五月蝿いし、頭が痛くなる」
ボソボソと喋る人物の顔が、ランプの明かりでぼんやりと見えた。柔和な顔立ちの、姫と同じ歳の男子だった。服装からして、やはり王族なのだろう。
彼は、舞踏会など行きたくなかったのに、無理矢理父親に連れてこられたのだと言った。嫌で部屋で閉じ籠っていたが、父親は部屋の扉を壊して、彼を担ぎ上げ、そのまま馬車に乗せられたそうだ。そして、この服に着替えねば部屋の本を全て燃やすと脅されて、衣装を着てこの舞踏会に参加したらしい。
しかし、舞踏会の予想以上の人の多さに体調を崩し、親の目を盗んでここまで逃げてきた。そして今、偶然見つけたランプをつけ、父から取り返して服の下に隠していた書物を読んでいる。