9 聖なる乙女ではありません
「イリス嬢、このあと少し、レゼダ殿下の元へ参りましょう」
シティスの申し出にイリスは、思わず眉をひそめた。
「なぜです……?」
「……なぜ……ですか? これはもともと殿下の申し出でもありますから、時折報告を兼ねる約束をしております」
「……想定外だわ……」
イリスは思わず呟いた。
「想定外とは?」
シティスに問われて慌てて取り繕う。
「いえ、あの、殿下にご迷惑をおかけするなら、あさましいお願いをするのではなかったと思いましたの。それに、その、服装もこんなものですし」
「殿下はお喜びになると思いますよ?」
シティスはニッコリと笑う。イリスは顔をひきつらせた。
「そ、そうでしょうか?」
「それに、祝福の件はお話ししなければなりません」
シティスに言われてイリスはしかたなく、レゼダの元へ行くことになった。
魔導宮を出るときは簡単だった。大きな白い扉は外へつながっていたのだ。
魔導宮から出ると、先日お茶会をした温室へ向かった。温室の中には、あのメイドがすでにテーブルを整えており、レゼダは花の様子を見ているようだった。
温室のガラスを通して差し込む光に、花々がきらめいてレゼダがより一層輝いて見えた。薄紅の髪は朝露を受けた花びらのように瑞々しく輝いて、陶器のような滑らかな頬を縁取る。イリスは、恐ろしいほどの美しさに作画の本気を見せつけられるような思いだった。
レゼダはイリスを認めると、花が綻ぶように笑った。薔薇の精のように美しい。正直綺麗すぎて、花の王ですら隣には立てないだろう。
「お待ちしておりました。イリス嬢」
イケメンが過ぎるイケメンに、イリスは思わずよろめいた。チリリと首の鈴が鳴って思わず鈴を握りしめる。
「この度は格段のご配慮をありがとうございます」
イリスは心から礼を言った。魔導宮での時間はとても楽しかったのだ。
「喜んでもらえて嬉しい。こちらへどうぞ」
レゼダ自らエスコートをしてくれる。そのことに戸惑いながらも、温室の白い椅子にイリスは腰かけた。メイドが香りのよいお茶を淹れてくれる。
シティスがいるためか、共通の話題があったためか、先日とは違いスムーズに話ができた。むろん、イリスが妖精の祝福を受けたことも報告された。
レゼダは目を見開く。
「イリス嬢が、祝福を……?」
シティスが静かに頷く。
「イリス嬢には妖精がみえるのですか?」
「はい」
「僕にはまだ見えない」
レゼダは悔しそうな顔をした。
「そんなことがあり得るの?」
「とても、……とても珍しいことです。聖なる乙女ぐらいでしょうか」
二人がイリスを見た。メイドもイリスを見る。イリスは慄いて、椅子の背もたれにびったりと背を付けた。
冗談じゃないっ!
「イリスが聖なる乙女になる可能性がある?」
レゼダが困惑した声を上げた。
「いいえ! 違います! そんなことはあり得ません! 我が家には魔力など微塵もありませんもの!」
イリスは思いっきり否定した。ブンブンと頭を振れば、胸の上で縦ロールも左右に揺れた。小さく、目が回る、と声がしたが、イリスは気が付かない。
「今のところイリス嬢に魔力を感じません。だからと言って可能性は皆無ではないと思います。十六歳で審査を受けるまでは何とも……」
シティスの言葉が終わったとき、イリスの緑の縦ロールがひょこんと動いた。イリスが驚いてみれば、縦ロールの中に先ほどの妖精が一人入り込んでいた。イリスのリボンを解いたいたずらっ子だ。縦ロールから顔だけ出して、イリスにニッコリ笑う。
(イリスには魔力はないよね、でも、匂いがするの。聖なる匂い)
「聖なる匂い?」
妖精の囁きにイリスが思わず聞き返せば、レゼダとシティスが怪訝そうにイリスを見た。
イリスは慌てる。
「聖なる匂い、とは?」
シティスの片メガネの奥がキラリと光った。
「あの、妖精がついてきてしまって……」
オズオズと縦ロールの一つを持ち上げてシティスに見せる。シティスは顔をグッと寄せて、イリスの髪を覗き込んだ。レゼダはそれを見て不愉快そうに眉をひそめる。レゼダにはまだ妖精が見えないのだ。
シティスは妖精を認めると、呆れて溜息をついた。
妖精は緑の髪から飛び出して、イリスの左手を撫でるように飛んだ。ブラウスの袖がフワフワと揺れた。
(ここから匂いがするの、聖なる乙女の気配がするの)
「イリス嬢。少し左腕を見てもよろしいですか?」
「もちろん構いませんわ」
シティスはイリスの左手を取り、ブラウスの袖を捲った。そして痘痕を舐める様に見てから、おもむろに鼻先をつけ肌の匂いを嗅いだ。
「なっ!?」
流石に不躾なその行為に、イリスは動揺した。痘痕がなくともそんなに見られたいものではないし、匂いなど嗅がれたくない。完全に子供だと思われているからできることだ。分かってはいるけれど、羞恥でイリスの顔が真っ赤になる。
「シティス、それは流石に目に余る」
レゼダの厳しい声にシティスが我に返った。
「失礼いたしました。イリス嬢。しかし、私にはただの良い香りしか感じません」
イリスの顔は茹でタコのようだ。あまつさえ体臭を嗅がれた上に、サラッと感想を言われてしまったのである。
デリカシー!! 仕事してよ!! 確かに十も離れていれば子供にしか見えないのはわかるけど、こっちは思春期乙女なんですからね!!
シティスは不思議そうに妖精を見つめた。妖精は不機嫌にプンとする。
(だって、するもん!! 嘘ついてないもん!!)
イリスは少し考えて、思い当たることを口にした。
「少し不思議なオイルをつけているのです。そのせいかもしれませんわ」
ヒロインの聖なる乙女カミーユが作った椿油だ。ゲームの設定では、聖なる力が込められているとされていた。
「オイル?」
「はい。傷跡に効くという噂の椿油がございまして、そちらを痘痕に塗っているのです。もしかしたら、そちらを作っている方に何かしらの力があるのではないでしょうか?」
イリスは丁度良いチャンスだと思った。カミーユの存在を二人に知らせておくチャンスだ。
聖なる乙女がシティスの妹である可能性を示唆しておけば、その後はシティスが調べるだろうし、恋になど落ちないだろう。
レゼダもイリスとの婚約前にカミーユに出会っていれば、そもそもイリスとの婚約自体がされないのではないか。そうすれば、二人は順当に結婚し、イリスの喉も潰されずに済む。
おねがい! 上手くいって!
「詳しく教えてくださいますか?」
シティスの眼鏡が光った。
「町で『傷が薄くなる』と噂になっている椿油がございまして、私も使っているのです。そこには私と同じ年の娘がおります。その娘が椿油の精製を手伝っていると聞きました。不思議なことにその油だけ効果が高いと噂なのです」
「しかし……市井のものです。聖なる乙女とは考えにくい」
シティスは考える様に顎に手を置いた。今まで選ばれてきた聖なる乙女は、いずれも貴族の血が入ったものだったからだ。聖なる乙女は、十五歳までに候補者が数名絞られ、学園へ召集される。その中から審査で選ばれるのだ。
事実、カミーユにもシティスの父の血が流れていた。そして、魔力の保持も確認されていたのだろう。聖なる乙女の候補者として、学園にやってくるのだ。
ここが正念場、生きるか死ぬかの分かれ目なんだから!
「一度だけ拝見しましたが、水色の髪の美しい少女です。そこはかとなく……魔導士様と面影が似ておりますが、遠い親戚に心当たりはございませんか? 彼女の父は素性が分からないのだそうです」
イリスはシティスの不興をかうことを覚悟のうえで、踏み込んだことを言った。必死だったのだ。
怒られてもいい! 王都炎上は阻止させていただきます!
当然シティスは眉をひそめた。
「店を教えてもらえないだろうか。行ってみる」
「はい!」
よ、よかった! 信じて貰えた!
イリスはホッとした。