57 混乱魔法?
イリスは自分のクラスへと向かおうと歩き出した。
すると、グルリと周りを囲まれる。男子も女子も、同級生も先輩もいる。
な、なにごと? カミーユたんをニジェルに奪われた苦情なら、おねーちゃんが受けて立つわよ!
イリスは臨戦態勢で身構える。
「私に用があって?」
ツンと鼻を上に向け、悪役令嬢風に冷たい視線を投げてみる。
「イリス嬢、お昼休みにお時間をいただきたい」
「イリス嬢は心に決めた方がおられるのですか?」
「母からお茶会の案内を預かっているのです」
「放課後はお暇ですか?」
口々に話し出されて、イリスは面食らう。
どうやら苦情ではないらしい。
食らいつくような顔で、ジリジリと距離を詰めてくる人の輪に、イリスはたじろいで一歩下がる。
突然どういうことなの? 何が起こってるの? 集団で呪いにでもかかってる?
「突然なんですの? 集団でこのような。無礼ではありませんか。呪いでも受けているのですか。目を覚ましなさい!」
キッパリと叱りつける。
「私たち、目が覚めました! もうわかってしまいましたの。イリス様の冷たい態度の奥に隠された本当の温かさ」
「そうですわ、窘めながらも無礼を許す懐の広さ」
「カミーユさんやメガーヌさんが、本当は分け隔てなくとても気さくな方なのだと教えてくれました」
「勝手に私たちが高嶺の花だと垣根を作っていたのだと、今ならわかります」
唾を飛ばす勢いで主張して、ジリと近づいてくる。
イリスが下がれば下がっただけ、人の輪がさらに狭まる。イリスはゾッとした。イリスを取り囲む目が尋常ではない。
なにこれこわい。魔獣相手なら物理で倒すけど、生徒相手に暴力沙汰は事件、よね? せっかく、ヒロインのメリバもバドエンも阻止できたのに、なんでイリスだけこんな目に?
周囲の混乱状態に呪いを疑うイリスだが、メダパニなのはイリスの方である。
イリスは、ジリジリと後退する。背中が廊下の窓についた。もうこれ以上下がれない。
イリスは窓の外を確認する。ここは二階だ。
「ごめんあそばせ!」
イリスはそう叫ぶと、ガラリと窓を開け、二階の窓から外の木へ飛び移る。ワインレッドのスカートがバサリと音を立てて翻る。
多勢に無勢、三十六計逃げるに如かずよ!
「イリス様!?」
「イリス嬢!!」
あっけにとられた生徒たちが窓に張り付いて、木の上のイリスへワイワイと呼びかける。
「イリス嬢、危ない! 今助けに!」
「イリス様、兄を呼んでまいりますわ! 動かないでくださいまし!」
木の下にも生徒たちが集まって、異様な熱狂になっている。
こわい。こわい。こーわーいー!! 絶対変な呪いにかかってる!
イリスは恐怖のあまりフルフルと頭を振り、大きな幹に抱きついて身を隠す。そして、さらに上を目指そうと一枝登る。
「なんの騒ぎ?」
レゼダの声が響き、自然に人混みが割れ、レゼダの前に道ができる。
レゼダはツカツカとその道を歩き、二階の校舎の窓からイリスのいる木を見た。
一瞬、状況が把握出来ずに目を白黒させて、イリスと集まる生徒たちを見比べる。男子生徒はレゼダと目が合った瞬間にサッと目を逸らした。
レゼダはそれで理解する。
先日聖なる乙女の決定の際、結果としてイリスは『神に見放された娘』ではないというお墨付きを宮廷の重鎮たちから貰うことになった。唯一、イリスが貴族社会から受け入れられない理由がなくなったのだ。
もちろん、イリスの努力が大前提ではあるが、イリスが理解されるようレゼダはずっと画策してきた。土痘の誤解を解き、イリスの魅力を伝え、痘痕の迷信を否定し続けてきた日々がやっと実ったのだ。
これを機にイリスと近づきたいと躍起になる者がいて当然なのだが、イリスはまるで理解していない。それどころか周囲の変わり様にパニックを起こしてしまったのだ。
「だから早く婚約したかったのに……」
レゼダは誰にも聞こえないようにボソリと呟く。今となってはもう遅い。
「イリス? 何してるの? 木から降りられなくなった子猫のようだよ?」
レゼダの声にイリスは木の影からそっと窓を見た。同時に妖精たちも木々の間から顔を出す。妖精たちが、王子だ王子だ、と囁いて、助けに来たよとイリスに告げる。
いつも通りのレゼダの様子にイリスはホッとする。レゼダは呪いにかかっていないようだ。
「あの、皆さんがおかしいのです。混乱の呪いにでもかかってしまったみたいで、なんと説明したらいいのか……」
イリスが周りを見渡しながらオロオロと言いあぐねると、レゼダが問う。
「誘われるのかな?」
イリスはコクコクと頷いた。
レゼダは呆れたようにため息をついた。
「それは当然なんだよ。今までがおかしかったんだ。変な呪いが解けただけだよ」
「呪いが解けた?」
「正確にはイリスが解いてくれた」
イリスがキョトンとしてレゼダを見れば、レゼダは困ったように笑った。
「意味がわからないのですが」
「イリスが頑張ったから、土痘は神からの『バチ』ではなくなったんだよ。土痘の痘痕が神に見放された証拠だなんてバカバカしい迷信とみんな気が付いたんだ」
イリスは驚いたように目を瞬かせる。
土痘に対する不当な差別がなくなったなら嬉しい。
「国としてはとても喜ばしいことだけどね、僕としては複雑だ」
「?」
「根拠のない古い言い伝えから目が覚めれば、イリスは素敵な女性だって誰にでもわかるからね。ライバルが増えてしまう」
公然での大げさすぎる褒め言葉に、思わずイリスは顔が真っ赤になる。
「な?」
「まず、勇者の血を引く美しい侯爵令嬢。聖なる乙女の候補者というだけでも妻にしたいと思って当然だ」
「ええ?」
「そのうえ、妖精の祝福のみならず、妖精の長からも愛され、ワクチンの発案者。土痘の流行では自ら手当をし、民衆からの人望も厚い」
「買いかぶりすぎです。レゼダ様がいたからできたことだわ」
「そう? 周りを見てごらん。買いかぶりじゃないと思うよ」
レゼダの言葉でイリスがオズオズと周りを見渡せば、生徒たちがウンウンと頷いている。妖精もウンウンと頷いた。