53 聖なる乙女の最終審査 2
金の檻に見えるが、正しくは祈りの塔の最上階にある『光の御籠』と呼ばれる部分だ。聖なる乙女が祈りを捧げる場所であり、カミーユが無事聖なる乙女になることができれば、その檻は椿デザインの格子になる。
しかし、イリスがカミーユを殺した場合、そこはイリスが贖罪を続ける監獄となる。その場合は格子がアイリスの文様になるのだ。
金色の格子は、現在の聖なる乙女リリアルの百合の文様である。
体に力が入らない。
怖くてイリスは震えが止まらなかった。
中央には透明の珠が浮いており、祈りの塔の先端から集められた光が、聖なる乙女の魔法と混じり合い、王国を照らすのだ。
あの珠はイリスがバッドエンドで閉じ込められた魔法具じゃない!
そう気が付いた瞬間にイリスの胸は恐怖で支配された。イリスは息が荒くなる。吐き出しそうだ。
気持ちわるい。こわい。いや。
「では、カミーユ嬢から」
リリアルは、水色の筒状の紙をカミーユに手渡した。カミーユの今までの成績を神に伝えるための書簡である。学力テストは知性と勤勉さを、魔獣討伐は魔力と判断力を、人気コンテストでは民衆の好感度と人前に立つ才能を測り、神に報告する。
カミーユはそれを宙に浮いた珠に掲げる。
書簡は珠に吸い寄せられた。飲み込まれた書簡は中で溶け、乳白色に激しく輝いた。まるで星が一つ爆発したかのような輝きだ。
「きゃぁ!」
カミーユが叫ぶ。呆気にとられるブルエとレゼダ。
リリアルとパヴォが頷きあい、国王と王妃も頷いた。
「つぎはイリス嬢」
ミントグリーンの書簡を手渡され、イリスは硬直した。
恐怖のあまり動けなくなってしまったのだ。
どうしよう。あの珠に掲げなければ。でも、このまま書簡と一緒に吸いこまれてしまったら?
バッドエンドのイリスを思い出す。金の格子の中、簡単に死なないようにと、物の様に生命維持だけされ、一人孤独に死ぬまで生命力を吸い上げられる。苦しむ表情はなく、ただ、無表情にポッカリと口をあけ、空を見つめるイリスの絶望顔は美しく、悲壮だった。
それを私が?
イリスはゾッとした。潜在意識に刻まれた恐怖感に抗えない。
バッドエンドじゃないはずなのに、どうしてこんな? どうしても避けられないの? 逃げたい。
ガクリと膝の力が抜ける。イリスの気が遠くなった。
「イリス!!」
レゼダがイリスの前に飛び出し、その影で金色の世界を遮った。力の抜けてしまったイリスの身体を、レゼダが抱きとめたのだ。いつの間にか大きくなっていた胸に、イリスは安心する。
イリスは声も出せずに、ただ胸で息をするだけだ。身体に力が入らない。
「大丈夫?」
イリスはその優しげな声に泣きそうになる。
本当は何もかも捨てて逃げ出したい。怖い。でもそうしたら、レゼダは怒るだろうか。レゼダを嫌がってボイコットしているのだと、そう思われる? それは、いや。頑張って、最後まで。
「……大丈夫、です、でも、ちょっと、まって」
「ごめんね。聞き方を間違えた。……無理なんだね?」
覗き込む朱鷺色の瞳は酷く穏やかにイリスを見据えていた。
イリスの瞳に熱いものがブワリと盛り上がる。
「でも、ちゃんと、ちゃんと審査をしなきゃ。逃げるわけにはいかないわ」
「いいよ、イリス、一緒に逃げよう」
レゼダはそういうと、金の草原に魔法陣を描いた。魔法陣が二人を包み込み、レゼダがダンと草原を踏みしめた。
「駄目! レゼダ!」
イリスが叫ぶ。レゼダは嬉しそうに笑った。
瞬間、二人で落ちていく。
爽やかな金色の草原から、冷たく薄暗い石の部屋へ。
階下に落ちた二人はしばらく抱き締め合っていた。
いつだって、レゼダ様だ。行き詰った時に、困ったときに、助けてくれるのはいつだって、レゼダ様だ。ワクチンを吸って王宮を追い出され、今回だって。
イリスがギュッとレゼダに縋りつく。
「レゼダ様……」
「うん」
「ごめんなさい。ごめんなさい。私が逃げだしたせいで、きっとお咎めがあるわ」
レゼダは最終審査前に候補者を連れ出してしまったのだ。何かしら罪に問われるに違いない。
泣きながらレゼダの胸に顔を埋めるイリスの頭を、レゼダはよしよしと撫でる。
「イリスのせいじゃないよ。僕がイリスを傷つけたくなかっただけ」
レゼダにも、もうわかっていた。魔力のないイリスは聖なる乙女には成れない。それでも、イリスがここにいるのは、イリス自身のためではない。カミーユに正しく聖なる乙女の座を勝ち取らせるため。古い考えの貴族たちに、彼女を認めさせるため。
思い上がりかもしれないけど、僕のせいでもあるかもしれない。
― 聖なる乙女になったなら結婚を申し込む ―
幼い頃のレゼダの宣言に、イリスなりに誠意をもって答えたのだ。努力したうえで成れないのだと、レゼダを納得させるためだ。
酷いことを言ったんだね。
レゼダにしてみれば、イリスを追いつめる意図はなかった。十六までにイリスを振り向かせるという自分自身への誓いだった。
「勝手でごめんね、イリス」
レゼダの謝罪に、イリスはその胸に額をグリグリと押し付けた。
「レゼダ様は悪くないです。いつも私を助けてくれる。でも、私はレゼダ様を守れない。だから、やっぱり、巻き込んでごめんなさい」
レゼダの謝罪の意味はイリスには伝わらない。すれ違った思いは、なかなか交わらないのだ。
「……僕らはずっと共犯でしょ?」
レゼダは言い聞かせるようにイリスの髪を撫でた。
そこへ金色の魔法陣が下りてくる。リリアルを中心に、今まで『光の御籠』の中にいた者たちが下りてきたのだ。
「カミーユ嬢が聖なる乙女に認められました」
パヴォが厳かな声で、レゼダとイリスに告げた。
「イリス嬢の書簡は受け入れられませんでした。よって聖なる乙女の力はありません」
そう言ってリリアルを先頭に螺旋階段に向かう。パヴォはすれ違いざまイリスに近づいて、耳元で囁いた。
「よかったですね」
そして素知らぬふりをして螺旋階段を下って行く。
「イリス様っ! 大丈夫ですか?」
カミーユが心配そうに駆け寄ってくる。
「うん。ちょっと気分が悪いだけ」
イリスが微笑んで見せる。ブルエがそれを痛ましそうに見て、レゼダの頭をポンと叩いた。
「イリス嬢、すまないがもう少しお付き合い願うよ。気分が悪い時に申し訳ないけれど」
「いいえ。殿下、当然のことでございます」
イリスは立ち上がった。軽く制服をはたき螺旋階段を下る。レゼダが手を差し出してくれたが首を振って断った。
イリスは知っているのだ。この先、カミーユが聖なる乙女に認められるにはもう一波乱がある。イリスはカミーユが聖なる乙女になるところを見届けたいと思っていた。