29 かわいいひと 1
はぁぁぁぁぁ。
二階の廊下の窓に寄りかかって、レゼダは大きく息を吐いた。
校舎北側の薄暗い裏庭には誰も使っていないベンチとテーブルが一セット置いてある。裏庭、と名乗るために便宜上置いただけというような味気ないものだ。
そこにイリスとカミーユがいた。
薄暗い裏庭。なのに二人の周囲は仄かに光って見える。遠目にはわからないが妖精たちがいるのだろう。魔力の強いカミーユは妖精が見えるらしく、妖精は見えるカミーユの周囲に集まりやすい。妖精の祝福を受けているイリスは、日ごろから良く妖精と戯れている。日常的な光景ではあるのだが、ほとんどの生徒には妖精は見えない。きっと他の生徒には二人自身が輝いて見えるに違いない。
カミーユとイリスは放課後に二人で課題を仕上げるべく何やら格闘しているのだ。
初めカミーユはレゼダに相談した。魔法や勉学に関して、実力的にカミーユが相談できるものはクラスでレゼダぐらいのものだからだ。
しかし、レゼダは断った。理由は簡単だ。イリスに誤解をされたらいやだからである。イリスはレゼダを冷たいと詰り、結果今の状況に至る。
レゼダにすれば、少し心外ではある。王族でもある自分が、女子と二人きりで何かするなんて誤解の種を蒔くようなものだ。自重して当然ではないかと思う。しかし、同時に後悔もしていた。
「失敗したかもしれない……」
はぁぁぁぁ。
レゼダの桃色の唇から零れ落ちる悩まし気なため息に、女生徒が見惚れ息を止める。
レゼダが視線を感じあたりをみると、そう多くはない北側の窓にチラホラと生徒たちが集まっている。レゼダと同じように裏庭を見ているのだ。
こんなことになるなら、同席すればよかった。
レゼダは小さく息を吐く。
「殿下まで覗き見ですか。王族ともあろうものが嘆かわしい」
非難するような顔でニジェルがレゼダの横に立ち、階下をうかがう。
イリスとカミーユが仲睦まじげに顔を寄せ合っている。
「今度、君からイリスに注意しておいてほしい。人目につくところでこのようなことをするなと」
「このようなこと?」
「他の生徒にまでイリスが可愛いと知れてしまうだろう?」
レゼダは他の窓に張り付いている生徒たちを見て言った。
「イリスは生まれた時から可愛いです」
「さすがに生まれたときなんて覚えてないだろう?」
「細胞が覚えています」
レゼダの非難にニジェルがサラリと答えた。
ニジェルも相当のシスコンだ。
レゼダは呆れてため息をつく。ニジェルは勇敢なる騎士であり、気の置けない友人だ。それでも、ニジェルの姉好きは少し目に余ると思う。
レゼダの覗き見を非難しながら、自分もここにとどまって同じように階下を覗いている。
今日出された課題は、魔法のかかった文書を筒状にして、組紐で封印するものだ。魔法が正確に発動できること。組紐を綺麗に結べること。この二点が評価の基準になる。
組紐は紐の特殊な結び方だ。花や昆虫、吉祥柄を模した結び方で、複雑であり美しい。貴族ならば各々決まった紐と独自の結び方を持っている。
秘密にしたいものや大切にしたいものは組紐で封印する。そうすれば、他の者には結び直すことはできないからだ。紐と結びがあっていなければ、何かの意図を察するものだ。特に恋にまつわるものは組紐で結び送られることが多い。
しかし、これは貴族特有の文化で平民出身のカミーユは知らない。まずは自分の組紐の結び方を考えるところから始めなくてはならないのだ。
イリスはカミーユに組紐を教えているらしい。
イリスの紐はミントグリーンの地に、濃い紫の金と綾の入った貴族らしく豪華なものだ。それでアイリスを模して紐を結ぶ。
カミーユが手に持っているのは練習用に与えられた白い紐だ。カミーユは自分の紐をまだ持っていない。まずは練習用の紐で椿の花を結ぼうと奮闘しているのだ。
どうやらカミーユはコツを掴んだようで、嬉しそうにイリスに見せる。
イリスもそれを喜んで、にこやかに笑った。
「僕のイリスの笑顔が眩しい」
レゼダが言えば。
「殿下のものではありません」
ピシャリとニジェルが答える。
「僕の未来の花嫁が可愛い」
「花嫁になりません」
「わからないじゃないか」
「わかります」
二人の会話は当然イリスには聞こえない。
イリスは真剣な顔をして、紐のかけられた小箱を取り出した。この箱の中に、教師が魔法をかけた文書が入っている。箱に掛けられた紐は封印用の魔法の紐だ。文書には動き回るよう魔法がかけられているので、これを魔法で制止させ、筒状に丸めた上で自分の組紐で封印するのだ。
イリスとカミーユが二人で目配せした。
まずは、イリスが開けてみるらしい。
イリスは、大胆にシュルリと封印の紐を解き、蓋を開ける。文書がヒラリと舞い出てくる。そこを普通は魔力でとめるのだ。イリスは杖を構えた。きっと呪文を唱えたのだろう。それでも文書は動きを止めず、スルリと机から飛び降りた。
慌てたイリスは杖を投げた。杖は文書を貫き、文書を地面に縫い止める。イリスはそれを直接手で捕まえた。
そして無理やりグルグルと巻きだす。当然紙は嫌がって、バタバタと暴れ抵抗する。
「……イリスが、犯罪的にかわいい」
レゼダがその様子を見て窓から下を覗き込む。
強引に丸められた文書は、水揚げされた魚のようにビタビタと跳ねまくる。
イリスは相当頭に来たのか、その文書をそのままスパコーンとテーブルに叩きつけた。
あっけにとられるカミーユと、覗き見していた生徒たち。
グッタリと力つきた文書。
イリスは満面の笑みで、文書を組紐で封印する。
満足げにドヤ顔を決めるイリス。
「かわいいがすぎる……」
レゼダが撃沈し、ニジェルは頭を抱えた。
「なんですか、『かわいいがすぎる』って」
「下町の言葉じゃない? イリスが使ってた。かわいいよね」
ニジェルは語彙力を失ったレゼダに呆れた。王子としてどうなのだろう。
レゼダ殿下は盲目すぎやしないか、ニジェルは心配になる。どう考えても今の行動は、可愛いには分類されないとニジェルにでもわかった。どちらかと言えば、『おばか』である。