20 嬉しい知らせ?
シュバリィー侯爵家での晩餐である。父と母は気持ちが悪いほど機嫌がよく、ニジェルは不思議に思っていた。
「イリスに内々だが、嬉しい知らせがある」
シュバリィー侯爵が言い出せば、イリスは顔をこわばらせた。
「聖なる乙女の候補者に名前が挙がった。そしてこれは本当に内密だが、レゼダ殿下からイリスに気持ちを打診してほしいとのお話があった」
イリスは不安がいっぱいな顔でシュバリィー侯爵を見た。
「気持ち……ですか? それは、なんの?」
「あッはッは、イリスは面白いことを聞くなぁ! そう言われれば婚約に決まっているだろう?」
「嫌です!! 絶対に嫌!! 死にたくない!!」
イリスは即座に返事をした。ついに来たゲーム補正だ。こちらが望まなくても強引にルートに乗せようとしてくるゲームの悪意を恨まずにはいられない。
その勢いにシュバリィー侯爵もその妻も驚いたように我が子を見た。
「どうしたの? イリス?」
優しい声でシュバリィー侯爵夫人が問い返す。
イリスはハッとした。
ゲームが補正してくるなら、私だって抵抗してやる!
慌てて泣き出しそうな顔を張り付け、自分の母に訴えた。
「私が王宮に上がることを良く思っていない方がたくさんいると知っています。そんな中で見世物のようにされるのは辛うございます……」
イリスは俯いた。
「気にすることはないぞ。殿下自ら望まれるのだ」
「いいえ! 私がいることで殿下まで悪く言われることでしょう。土痘の痘痕は神から見放された証拠。そんな者を妻に娶るとは、神に背く行為だと、そう言われます。それがつらいのです……」
イリスは手の中に顔を隠して、シクシクと泣き出した、ふりをした。
イリスの訴えに晩餐の席は凍り付いた。今まで家の中では避けられていた話題だ。だけど、社交の裏ではあからさまに投げつけられてきた言葉だ。
「どうか……、どうか、お父さま。わたくしをお守りになって」
涙を湛えた瞳でイリスはシュバリィー侯爵を見つめた。
シュバリィー侯爵は、愛娘の訴えに神妙に頷く。
「……お父様、おねがい……」
「なぁにイリス、心配はいらないよ。お前が聖なる乙女になってしまえば問題はない」
シュバリィー侯爵は、やさしく、やさぁしく微笑んだ。
お父様のあんぽんたんー!! 正常性バイアスかかりすぎー!!
「そんな……無理だとご存知でしょう? 我が家系は魔力が殆どございません。今までだって聖なる乙女をだしたことはないのですから」
「イリスが最初の一人目になればいいのだよ」
「いやいやいやいや、むりだから!」
イリスは思わず突っ込んだ。
シュバリィー侯爵は気にも留めない。
「今回の候補者はお前を入れて今のところ三人だ」
「三人?」
イリスは怪訝に思う。
ゲームでは二人だったはず。もう一人いたの? その子はゲーム開始前に何らかの事情で学園に来られなくなっているということね? ……嫌な予感がする。
「大きな声では言えないが、一人は下賤のものだと聞く。その者が選ばれるようなことはあるまい? もう一人は同じ侯爵家だが、最悪、力でねじ伏せれば問題なかろう?」
イリスはごくりとつばを飲み込む。
ゲーム開始以前にお父様が殺させたわけじゃないのよね?
「……まさか、暗殺……?」
シュバリィー侯爵は娘を見て、満足したように目を細めた。そして、獲物を狩るような楽し気なほほ笑みを口の端にのせて笑う。
「イリスよ……。相手を殺してまで望みを叶えようとするその心意気、父は気に入っている。だが、我が家は騎士の家系。貴族なら貴族らしく正々堂々と決闘を申し込むのだ。わかるな?」
物わかりの悪い子に言い聞かせるような父の声に眩暈を感じた。
なんで私が諭されるのよ? そもそも私に武力で勝てる令嬢とかいないでしょ!? 勝てる勝負を挑む時点で正々堂々じゃないし! 令嬢は決闘しないし!
「決闘だなんて問題大ありです! お父様!!」
「おお、イリスよ、元気になって嬉しいよ、さあ、食事を続けよう」
イリスは絶望した。まったくもってこの狸親父には話が通じないらしい。
でも、うちで暗殺はしないってことがわかっただけでも良しとしよう。
いや、そういうこと言ってるから、イリスはカミーユを刺しちゃうのでは……。
イリスは黙々と鴨肉のコンフィに食らいついた。
ニジェルは父の話を聞いて複雑な気持ちになった。双子としてずっと一緒に歩いてきた姉に、おいていかれるような気がしたのだ。
生まれたときから一緒にいるのが当たり前だった。イリスは一応姉ではあったが、「女の子だから守ってやるように」と父にも言われ、そういうものだと思ってきた。
それなのに今は口もはさめず話を聞くしかできない。
最近のイリスは王子と仲良く、妖精の長にも可愛がられている。宮廷魔導師にまで一目を置かれ、魔導宮にも通っている。それにワクチンの開発など、ニジェルには想像もできないことをやってのけるのだ。
訳の分からぬ焦燥感にテーブルの下でグッとこぶしを作った。
いつまでも一緒にいられない。一般的に女子のほうが結婚が決まるのも早い。わかってはいるが、今おいていかれるのは嫌だ。婚約などしてしまったら、一層距離が開くだろう。しかし、イリスは婚約を望んでいないと知り、少しだけ安堵した。
もう少しだけイリスを守る騎士は自分だけでいい、ひっそりとニジェルは思った。
晩餐を終えたイリスは、髪をポニーテールに縛り乗馬服を着て厩に来ていた。もう最後の手段である。レゼダに直談判するよりない。
暗闇に隠れ、えっちらおっちらと馬具を馬につけていれば、急に背後を取られた。
―― 不覚!!
イリスは瞬時に屈んで、頭突きをくらわそうとする。相手はそれを察して距離を取る。イリスは布のまかれた短剣を握りしめ相手に対峙した。
「ニジェル……?」
「イリスは本当に令嬢なの?」
「シュバリィー侯爵家のね」
ニジェルは呆れたように両手をあげて見せた。戦う意志はない、そう言うことだ。
「ニジェルで良かったわ。姉でなければ殺られてたかも」
「僕も弟じゃなかったら、殺られてた」
イリスはニジェルを見つめた。ニジェルは満足げに笑う。こんなふうに対等にできるのはやはりイリスだけなのだ。
「止めに来たの?」
「さすがに無謀でしょう? 夜の王宮に忍び込むつもり? 捕まったらイリスだけじゃなく、シュバリィー家にもお咎めが及ぶよ」
「捕まらなければいいのだわ」
「まったく、父上に似ているね」
ニジェルは力なく呟いた。頑固で自分の望む道をまい進し、その為であれば多少強引な手段でも厭わない辺りが、シュバリィー侯爵とイリスはよく似ていた。
しかし、イリスはそれを聞いて言葉を失った。不本意だったのである。
「……でも、このままでは話が進められてしまうわ。私は聖なる乙女には成れないし、妃にもなりたくないのよ」
「レゼダ殿下が嫌い?」
「嫌いではないけれど、……恋愛感情がないのは確かだわ」
「貴族の結婚なんてそんなものでしょう」
本当はイリスの言葉を聞いて少しうれしく思っていたのだが、ニジェルは常識論を唱えてみる。
「そうかもしれない。ならなおさら、今急いで婚約する理由もないわ」
イリスは唇を噛んだ。どうせ、レゼダはカミーユを好きになるのだ。だったら、カミーユが現れるまで婚約者を作らなければいい。
「イリス、今夜はやめよう」
ニジェルはイリスに言い聞かせる。ニジェルも婚約は邪魔したいのだ。しかし、手段も相手も悪い。
「今しかチャンスがないわ。お父様が明日殿下に会う前に断らなくちゃ、話が進んでしまう」
「イリス、落ち着いて。父上と殿下の練習は午後からだよ。午前中なら殿下はいるはずだ。会いに行くなら、午前だよ、イリス」
「……午前」
「使いの者を送って、きちんと手順を踏んで。ボクも一緒についていくから。ね? イリス」
イリスは頷いた。
「ニジェル、頼もしくなったわね」
しみじみとイリスが言う。
「そんなことないよ」
答えるニジェルの悲しげな顔は闇夜に紛れて、イリスに見られることはなかった。
イリスは部屋に戻って、妖精に声をかけた。イリスの縦ロールの間から、ひょこりと妖精が顔を出す。ニジェルや家族には妖精のことは秘密だった。
「これからレゼダ殿下のところへ行って欲しいの」
「どうして?」
「明日の朝、絶対にお会いしなくてはいけないから。手紙を届けてくれるかしら?」
「いいよー」
イリスは白い便箋にメッセージを書いて妖精に託した。妖精はそれをもって闇の中に消えていった。
父の妨害で使いの者が王宮へ行けない可能性があると思ったのだ。
そしてその予想は当たってしまう。翌朝、ニジェルから申し訳なさそうにその旨を伝えられることになった。ニジェルは手を尽くしてくれたが、被保護者である以上出来ないこともあるのだ。それは重々分かっていたので、イリスはニジェルに礼を言った。
そして、一人で王宮へ向かうことにした。