19 シティスの恋人がしりたい
今日は魔導宮のシティスの執務室にやってきている。
シティスは宮廷魔道士だ。魔導宮の魔導士の中でも、特に優秀なものは宮廷魔道士の称号を受け、宮廷内の様々な事柄に直接魔術で対応する。その為、魔導宮の中に、個人の執務室と個人用のドアを持つことができる。シティスのドアは青だ。
イリスはシティスにどうしても聞きたいことがあった。
ブルエ殿下はワクチンを接種してくれた。あとは、シティスの恋人にもワクチン接種してほしいのよ。
ブルエとシティスの恋人はゲーム開始前になくなっていて、そのことが二人の攻略者の心の傷になっている。ゲームではこれをヒロインが癒すことで、恋が始まるのだが、そもそも、傷がなければ恋も始まらないのではとイリスは考えていた。
イリスは悪役令嬢なのである。ヒロインの恋路を邪魔すべき存在なのだ。
土痘で二人が亡くなるとは決まってないけれど、メリバの芽の可能性があるなら潰しておきたい! 残るはシティスの恋人よ! 問題はシティスの恋人が誰なのかわからないということね。
イリスはシティスの恋人について確認しにやってきたのだ。
シティスの執務室の応接セットにイリスがちょこんと座る。
妖精が数人がかりで紅茶の入ったティーセットを運んできた。
イリスが礼を言えば、妖精たちは各々イリスの髪を引っ張ってから、嬉しそうに飛んで行く。
う、妖精可愛い……。
思わずデレりとするイリスである。
「それで、何のお話ですか?」
シティスの質問にイリスは我に返った。キリリと顔を作り直す。
「シティス様に質問があってやって来ました。人前ではお答えいただけないと思って、ここまでやってきてしまいました」
「どうぞ、なんなりと」
シティスは微笑んだ。ワクチンという想像もできないものを作り出す少女だ。きっと、また何か面白いことを考えてきたにちがいない、シティスはそう期待した。だが。
「シティス様には恋人がいますよね?」
真顔で尋ねられた内容に、シティスは咽た。
「……それは……」
「いらっしゃらない?」
「……いえ」
シティスは恋人がいることを公言していない。社交の場にも二人でそろって出たことはない。それなのに、この少女はなぜ執拗に聞いてくるのか。
言葉を濁すシティスに、イリスは必死な顔を向けている。
シティスの恋人はもしかして公言できない相手なのかしら? 禁断の愛のシティスだものね。前の彼女もその可能性はあるわ……。シティスに他の兄弟はいないし、母もなくなっている……となると父? いや、父はゲーム後も生きていた。もしかして、少女趣味? そうよ、十も年下のカミーユを好きになるのよ? 前の彼女も十歳年下なら……、うん、犯罪。いや、ゲームならセーフなの? いや、犯罪。
「シティス様、年下の女性は好きですか?」
「とくに嫌う理由はありませんが」
シティスの答えに立ち上がり、グッと身を乗り出すイリス。
「何歳まで大丈夫ですか? 二つ? 五つ? 十?」
「あの……。イリス嬢?」
「私大丈夫です! ちゃんと秘密にします。シティス様が十歳年下の少女がお好きでも、犯罪かもしれないけれど、ちゃんと大人になるまで待ってくれるなら誰にも言いません!」
「何をおっしゃっているのです?」
テーブルの向かい側から身を乗り出して詰問するイリスにシティスは動揺した。
イリスはもしかして自分に好意があるのだろうか。好意は嬉しくはあるけれど、困る。自分には恋人もいる。それに彼女はまだ子供だし、第二王子の想い人でもある。
「シティス様! 本当のことをおっしゃって!」
必死なイリスの形相に、シティスは反射で答えた。
「私には恋人がおります! ただ、彼女が社交を嫌うので公言はしていないのです」
シティスの答えにイリスは黙ってソファーに座った。
泣くだろうか……。大人としてもう少しスマートな断りようはなかったか。シティスは気まずい気持ちでイリスを見る。
イリスは、グッと両手でこぶしを作った。
「やったわ……」
ボソリとイリスは呟いた。
シティスには何が何だかわからない。
「シティス様にお願いがあるのです。シティス様の恋人にワクチンを吸っていただきたいのです。シティス様からお願いしてくださいませ」
イリスは深く頭を下げた。
「この度のことで、民間療法どまりだったワクチンの吸引は貴族の間でも認められるかと思います。それでも、貴族のご令嬢にしてみれば恐ろしい薬だと思います。吸引を控える方も多いと思うのです。それを何とか説得していただきたく、お願いに参りました」
イリスの言葉を聞いて、シティスは疑問に思う。
なぜ、他人の恋人にまでそんな気を配るのか。
「どうしてイリス嬢がそのようなことを?」
「シティス様が悲しむ姿を見たくありません」
きっぱりとシティスを見て言えば、シティスは困ったように眉を八の字にした。
「イリス嬢には敵いませんね……」
シティスは力なく笑う。一瞬でもイリスの恋心が自分に向けられたのではと勘違いしたのが恥ずかしくもあった。
「……その件に関してはご心配いりません。彼女はすでに吸引済みです」
シティスの答えに、イリスは満面の笑みで顔を上げた。
ぴょこんと緑の巻き髪が跳ねあがる。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
シティスの言葉にイリスは両手を上げた。シティスはそれを眩しそうに見た。
「イリス嬢は本当に心根がお優しいのですね。見たことのない私の恋人のことまで心配していただけるとは」
「いえ、そんな……」
イリスはなんとなく据わりが悪い。
純粋に心配してるわけじゃないので立派ではない。でも、破滅フラグを折るためだなんて口が裂けても言えないし。
「本当に聖なる乙女のような方です」
シティスが笑って、イリスはヒクついた。
「と、と、と、とんでもないことでございます!! シティス様、冗談でもそんなこと口にしないでくださいね!!」
イリスはきつくお願いした。