14 王子からの呼び出し
今日は魔導宮での研究の後、レゼダに呼び出されているのだ。
しかしイリスは上の空だ。心ここにあらずで、王宮の中庭へと向かう。何しろ考えなければいけないことが多すぎる。
イリスはソージュの行ったワクチン化の魔法について考えていた。自分で作るのが一番良いのだが、魔法が使えないイリスには到底無理だ。再現できるのは、妖精の長並みの強い魔力を持つ上級魔道士や、聖なる乙女くらいのものだろう。しかし、彼らには免疫がない。毒性のある状態の瘡蓋を手渡すわけにはいかない。
今後もソージュにワクチンを作って欲しいと頼んでみたが、すげなく断られた。
曰く、妖精とは自分が祝福した者に力を貸す。それ以上でもそれ以下でもないと。
土痘の予防法についても、イリスが願い行動を起こしたから、力を貸しただけなのだという。
ソージュの魔力はただ単純な力であって、その魔力でワクチン化できたのは、あくまでイリスの願いがあってである。ソージュの魔力自体にワクチンを作る特性があるわけではなく、イリスの具体的な願いが叶えられただけだ。
また、妖精自ら薬を作ることはすべきではないとソージュは言った。妖精の祝福を受けたものがいなくなったとき、その力は失われるからと。まったくもって正論である。
汎用化できる技術じゃないといけないってことね。
「ワクチンはうまくいっている。でも、普及には程遠いのよ」
イリスはつぶやく。
「……わくちん?」
突然の声に、イリスは我に返った。気が付けば目の前にレゼダとニジェルがいた。今日はニジェルも剣の練習のため登城していたのだ。
慌ててカーテシーの形をとる。
「いいよ、そんなの。君と僕の仲じゃない」
レゼダが笑う。
「それでワクチン……てなに?」
「いえ、その、わ、ワクワク……」
チン、チンってなんかいい言いかえある? チンチロとかこの世界にないし、あ、青梗菜は最近輸入されたって聞いた!
「ワクワク?」
「ワクワク青梗菜! の略ですわ!」
「ワクワク青梗菜?」
「私、青梗菜を見たことがなくて見るのが楽しみだな~と……」
「ふーん?」
レゼダとニジェルは疑わし気にイリスを見た。イリスは白々しく目を逸らす。
「そ、それで殿下は?」
「レゼダだ」
「レゼダ様は?」
「イリスが遅いから心配で迎えに来た」
そう言うとおもむろに二人が両脇に歩みでた。ニジェルがイリスの腕に腕を絡ませ、ニッコリと笑う。
「さあ、行くよ。イリス」
戸惑うイリスをニジェルはズルズルと引きずっていく。
なにごと? 今日はまだ怒られるようなことしてないんだけど。
無言でレゼダは歩いて行く。
白いリラの咲き乱れる中庭に、お茶の席が用意されていた。そこへイリスは座らされる。当然のごとく両脇は二人に固められ、ニジェルにはブラウスの背中辺りを掴まれたままである。
「ねぇ、黒い森の聖なる乙女は知ってる?」
レゼダに問われ、イリスは首を振った。
最近黒い森に通ってはいるが、そこではまったく聞いたことがなかったからだ。
テーブルの脇のカートには今日も豪華なスイーツがふんだんに並べられている。イリスの関心はすでにスイーツに向けられていた。
ちょうど糖分が欲しかったの! ど・れ・に・し・よ・う・か・な?
イリスは目線だけで『天の神様のいうとおり』をしながら、カートの上を物色していると、目の前に紅茶が用意された。芳醇な香りがイリスを誘う。
先ずは水分水分!
手を伸ばし、カップに口につけようとした瞬間。
「黒い森の洞窟に、緑の巻き髪の聖なる乙女が現れるそうだよ。決まって夜に一人で、淡い光に包まれながらどこからともなく現れ、夜明け前に消えていくそうだ」
もしかしてそれって私のこと? 紅茶に口をつけてなくてよかった! 鼻から吹くところだった。
「……今の聖なる乙女は黄金の髪では? 変な噂ですねぇ?」
思わず声が裏返る。
「そうなんだ。不思議なことだよね」
「本当に不思議なことですね。夜だというし夢でも見られたのでは?」
目が泳ぐ。
「でもね、その聖女、証拠を残していったんだよ」
「証拠……ですか……?」
「ああ、凝ったアイリスの細工のある……どうやら短剣の鞘らしいけど」
あの水の!
「へ、へぇ?」
「奇遇だけど、僕はそういう女の子を知っていてね。緑の巻き髪で無謀なことをしそうな……」
レゼダはもったいぶるようにそこで言葉を切った。
イリスはいたたまれずに目を背ける。
「そういえば、君から預かっているチョーカーの細工もアイリスだった。偶然だとは思えないけど」
レゼダの瞳がアザラシで遊ぶシャチのようにキラキラと輝いている。
助けを求めてニジェルを見れば、ニジェルもこれまたニッコリと笑った。
騎士の威嚇を発動したニジェルが、イリスのブラウスを軽く引っ張る。
「イリス。短剣を出して」
「……ニジェル……」
「だ・し・て?」
ビクリとイリスは慄いた。
ヒィ! ニジェルが本気で怒ってる……。
オズオズとソージュの布で固く縛った短剣を取り出してテーブルに置いた。
レゼダは短剣を受け取って布をはぐ。中から鞘のない短剣が現れた。
上目づかいで窺うように二人を見れば、ニジェルは頭を抱え込み、レゼダは何とも言えないような顔をしている。
「ニジェルあの鞘は……」
「間違いなくイリスのものです」
ニジェルの答えを聞き、レゼダは厳しい顔をしてイリスを見た。
「ねぇ? イリス? 説明してくれる?」
これは言い逃れできない。怖い。レゼダ殿下、ゲームでもこんな怒った顔しないのに。
「申し開きをさせてくださいまし。私は決して聖なる乙女と名乗ったわけではありません。どうしてこんな噂になったのか皆目見当がつかないのでございます」
イリスは深々と頭を下げた。
レゼダは大きくため息をついた。
「僕が聞きたいのはそんなことじゃないんだ。イリス、そこで何をしているのかな?」
あからさまに怒りの含まれた声に、イリスは顔も上げられない。
「あそこは危ない場所だ。いくら騎士の家といえども令嬢が夜に一人で行くべき場所ではない」
わかってる。でも、昼間でも許されないだろう。
「もう一度聞く。何をしていたの? イリス」
イリスは覚悟を決めた。
「……土痘の瘡蓋を集めていました」
「何のために?」
「土痘の予防のためです」
「土痘の研究をしていると聞いてはいたけれど、シティスも共犯かな?」
「違います! シティス様は何もご存じありません!」
イリスはあわてた。
「シティスも呼んでくれ。転移魔法の使用を許可する」
レゼダはメイドに申し付ける。
「本当にシティス様は関係ありません。ですから」
「かばうの?」
「かばっているわけでは!」
「魔法を使えないイリスが一人でできることではない。共犯がいるのはあきらかだ。そしてそんなことができるものは数多くない」
ソージュに話してもらうのが一番簡単だが、イリスから呼び出すことはできない。ソージュはいつも勝手に現れ、勝手に消える。イリスの都合など関係ないのだ。
それに妖精は誰にでも見えるものではない。レゼダはまだ妖精を見たことがないと言っていた。
どうしよう。私が勝手にやったことなのに、シティス様を巻き込むわけにはいかないわ。
「まったく、これだから子供は嫌だ」
唐突にソージュの声が響いた。驚いて振り向けば、ソージュが背中からイリスを抱きしめる。
レゼダとニジェルがガタリと立ち上がる。
レゼダはソージュをにらみ上げると、唇をかみ跪いた。ニジェルはレゼダの様子を見て、慌ててその場に跪いた。
えっ? まって? 殿下やニジェルにも見えている? そしてなに? 殿下のこの振る舞い。もしかしてソージュ様ってすごい妖精だったの?
「王の子レゼダだな。初めて顔を見るが、まだ子供だ。そして騎士の子ニジェルと申したか」
「……話には聞いております。紫の布に金糸のセージ。妖精の長のお一人ソージュ様ですね?」
レゼダが答える。
「ああそうだ。だが面を上げよ。堅苦しいのは嫌いだからな」
ソージュの声にレゼダとニジェルが顔を上げる。
「あ、の? ソージュ様?」
イリスが驚きのあまり声を上げれば、ソージュは愉快そうに笑った。
「そろそろ、シティスもここに来る。話はそれからでも遅くあるまい?」
ソージュの言葉に、レゼダはメイドにお茶の準備をするように伝え、席へと促す。
「私はここで」
ソージュはイリスを椅子からおろすと、イリスの腰かけていた席につき、自分の膝にイリスをのせる。そして、意地悪に笑った。








