13 死を待つ洞窟
イリスが視線を感じて顔を上げると、暗闇の中が揺らめいた。
こ、こわい……。
水泡まみれの老若男女がジッとこちらを窺っていたのだ。
でも、できるだけたくさん集めなくちゃ。
イリスは自身を奮い立たせる。
「土痘の瘡蓋を集めています。ご協力いただけませんか? お願いします」
イリスは闇に向かって声を張り上げ、深々と頭を下げた。
「何のためだ?」
「ワクチン……予防薬を作りたいんです」
闇からの声に答えれば、ざわざわと闇が揺れる。中には不審や怨嗟の声が混じっている。
「予防薬? いまさら予防だって? 薬だ! 治す薬を作ってくれ!」
「これ以上オレたちからなにを取ろうっていうんだ。仕事も家族も失って、死ぬ間際に瘡蓋までよこせだと?」
イリスはキッと顔を上げた。
「確かに私たちには間に合わなかった。だけど、予防薬ができれば家族を助けられます! うまくいけば、罹ったばかりの人を助けられるかもしれない!」
イリスはそう声を上げて、左腕をさらした。
その腕の周りを、光を帯びた妖精たちがフワフワと舞い踊る。
「あんた」
「私も同じです。あなたたちと同じなんです。生き残りです」
闇の中が静まり返った。
その闇の中から一人の男が前に進み出てきた。顔に傷のあるガラの悪そうな男だった。そんな男でも病にかかるのだ。
「オレのでよければやる」
「ありがとうございます」
イリスはひるまずその男の腕を取った。瘡蓋だけでなく切り傷まみれの腕だ。
そっと銀のナイフを腕に沿わせ、その瘡蓋をそぎ落とす。そうやって丁寧に瘡蓋を集めてから、母子にしてやったように、感謝の気持ちを込めてカミーユのオイルを塗り込める。
男は大きくため息をついた。
「ああ、これは気持ちが良いな」
それを皮切りに人々が集まってきた。イリスは罹り始めの人たちに協力してもらい、瘡蓋の粉を吸ってもらった。
天然痘ワクチンは発症からあまり時間がたっていなければ、重篤化を防げたはずなのだ。
ここで効果が表れれば、ワクチンとしての効果も期待できる。
取れるだけの瘡蓋を取り、持ってきた水や果物を分け与える。瘡蓋のお礼である。
「せめて綺麗な水がいつでも使えれば少しはマシでしょうに……」
「あるぞ」
思わずイリスがつぶやけばソージュが造作もないことのように言った。
「え?」
「ついてこい」
ソージュに言われるがまま洞窟の外に出る。
少し離れた岩肌に、チロチロと水がしみだしていた。
「残念ね、これだと水を汲んだりできないわ。もう少し岩肌から離れて水が出てくれたらいいのに……」
「なにか固い筒があればなんとかなる」
ソージュに言われてイリスはしばし考えた。
「あるわ! この鞘を使って!」
懐刀を取り出してソージュへ手渡す。アイリスの細工も鮮やかな金色の鞘である。
「これは……いいのか? 返せないぞ?」
ソージュは苦笑いした。
「いいわ。本当はいらないの」
イリスは迷いなく答えた。
「本当にお前は面白い。では先ほどと同じように願え」
ソージュの持つ懐刀にイリスは手を添えて願った。
蛇口みたいに、きれいな水がたくさん出て!!
ソージュはイリスを見て笑い、封印のついた懐刀から剣を抜き、鞘を水の染み出る岩肌に突き刺した。
鞘が黄金の光を放つ。
そして、その先端をイリスの懐刀ですっぱりと切れば、そこから水がほとばしった。
「す……ごい……!」
妖精の長ってこんなことができるの?
なんなの? チートすぎるじゃない。なんでゲームに出てこないの?
あっけにとられるイリスを見て、ソージュは自信ありげに笑った。
「さて、この剣はどうする?」
「布でも巻いておくわ」
「ではこれを使え」
ソージュは首にかけていた紫の布をイリスに手渡した。セージの刺繍のついた紫色のストラである。
「これって……人には見えないはずでは?」
だとしたらこれで剣を巻いても危なくない?
イリスが恐る恐る受け取れば、イリスのふれた場所からストラははっきりと重みをもった。
「ひ? 実体化した?」
イリスはびっくりする。ソージュはそれを見て愉快そうに笑った。
「そもそもわれらは実体化している。見えないだけだ」
「それはそうなのでしょうけれど……」
このファンタジーに慣れないわ……。
イリスはそう思いながら、グルグルとストラで剣を巻いた。ストラはだいぶ長く、巻くと丸々と太ってしまった。ソージュはそれを見てさらに笑う。
「長すぎみたい」
「だな。切ってしまおう」
ソージュが言えば、ストラは程よい長さで切れてしまう。
ハラリと土に落ちそうになるストラを、イリスはあわててキャッチして、残りをソージュの首にかけなおした。
ソージュはそれを受けて破顔する。
「ソージュ様って笑い上戸だわ」
イリスは唇を尖らせた。
「さぁ、水のことを教えてこい。そろそろ夜が明ける時間だ」
ソージュに言われイリスはあわてて洞窟の中に知らせに行った。夏にしては肌寒い空が白々と明けだした。
この日以降、イリスはソージュに頼んで定期的に黒い森の洞窟へ通うようになった。
とはいっても、夜にそっと様子を見に行き、瘡蓋をもらい、代わりに必要なものを届けるくらいのことだ。
瘡蓋を吸った者の経過は順調で、ワクチンとしての効果が確認できた。あの母子も元気になって町へ戻っていった。カミーユのオイルの効果は高く、治りたてから使っていれば痘痕はほとんど残らないのだ。
治った者は『聖なる乙女』に恩返しをしたいと、食べ物やカミーユのオイルなどを届けるようになっていた。顔に傷のある男が取りまとめをし、おかげで洞窟の様子もずいぶんよくなった。
彼は身を挺して洞窟へ通うイリスの姿に感化されたのだが、その事実はイリスに知らされることはなかった。