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11 妖精の長ソージュ


 それからイリスは定期的に魔導宮へ通うようになった。土痘の研究と妖精について学ぶためである。何しろイリスの縦ロールには今も妖精が入り込んでいる。どうやらイリスのあげたリボンのせいで、イリスの縦ロールと妖精の間に通路が結ばれたらしい。おかげでイリスは魔導宮の共有部にまでならシティスがいなくても入れるようになった。妖精は魔導宮の守護者なのだ。


 勉強してわかったのだが、妖精の祝福は珍しいもので、普通の魔導士なら一人の妖精から祝福をもらえればいい方なのだという。複数の祝福を得るのは上級魔導士か、聖なる乙女くらいのものらしい。

 魔力を待たないイリスは特殊な例として魔導宮でも注目されることになってしまった。しかも、不吉な土痘の痘痕持ちなのだ。前例から言えば、神から見放されたものとして、妖精の祝福など絶対に得られるものではなかったはずだった。

 その為、妖精研究をしている魔導士がイリスへ勉強を教えてくれることになったのだ。

 


 勉強の途中で魔導士が呼び出されて行ってしまった。イリスは前から気になっていたことを妖精に尋ねてみる。


「ねぇ、土痘に罹らない薬っていままでなかったのかしら?」

「治すじゃなくて? かからない薬?」


 土痘の歴史を調べているうちに、イリスは気が付いたのだ。百年前の土痘の大流行直前に今がとてもよく似ている。

 

「たぶん土痘は暖かい冬の年の夏に流行っているみたいなのよ。そして温かい冬の前は、寒い夏が記録されてるの。今年の夏は涼しいじゃない? そうすると、来年の夏、また土痘が流行るんじゃないかなって」

「イリス、すごーい!」

「たくさん勉強したんだねー!」


 妖精が褒めてくれるのは嬉しいが、流行の特徴がわかったところで止められなくては意味がないのだ。


 前世のワクチンみたいなものがあればいいんだけど。土痘は前世の天然痘によく似ているのよ。一度かかればうつらないと言われているってことは、免疫ができるウイルス性の疾患ってことでしょ。ワクチンがあれば予防できるはずよね。


「土痘は一度かかると二度とうつらないでしょ? 安全な形で病気をうつせないかなって思って。体の中に病気にならない土痘を入れるとか」

「どうやって?」

「体に傷をつけて?」

「えー、それこわーい!」


 妖精たちは引いた。


 確かに怖いかも。私も実際受けたことはないのよね。


 天然痘のワクチン接種は皮膚に傷をつけて皮内にワクチンを入れるのだ。受けたい人も少ないだろうし、処置できる人も限られる。衛生状況が悪ければ違う病気もうつしてしまう。

 この世界では現実的ではない。


「あ、土痘の瘡蓋を粉にして鼻から吸うとか?」


 イリスは思い出した。

 前世の記憶で、天然痘のワクチン接種がはじまる前には、瘡蓋を粉末にして鼻から吸うという方法があったと読んだのだ。それにどれほどの効果があったかイリスは知らないが、効果があるなら試してみたい。


「あるよー! これこれ!」


 妖精が持ってきた本は、『禁術』と書いてある。どこから持ってきたのか知らないが禁書の鎖が付いており鍵がかかっていた。


「……えっとー。なんで禁術か知っている?」

「だって、毒だもん!」


 紫の羽根を持つ妖精が元気いっぱい教えてくれた。


「毒……」

「イリスは魔女なの? 人を殺したいの?」


 無邪気な顔で物騒なことをいう妖精にイリスの顔はヒクついた。


「そんなわけありません! 瘡蓋のままなら毒かもしれないけど、毒性を取って抗原性だけ残せばワクチンになるかもしれないの!」

「こうげんせい?」

「わくちん?」


 妖精たちはキョトンとしてイリスを見た。


 うん、この世界にワクチンの概念はないもんね。 


「要するに、人間に害になる毒はなくして、病気だけ体に入れれば同じ病気にはかからない薬ができるかもってことなの!」

「わかんなーい!」


 妖精たちはキャラキャラと笑う。

 イリスは小さくため息をつく。


 瘡蓋には毒性があるって認識はあるのね? だったらなんとか無毒化できれば、ワクチンになるかもしれない。でも、この世界にそんな技術ってあるのかしら?


「面白いことを言うな」


 突然、聞き慣れない声がしてイリスは振り向いた。

 長身の女性が突然背後に現れたのだ。ストレートの白い髪はワンレングスで、司教の着るアルブのような白く長いくるぶし丈のローブに、ストラのように細長い布を首から下げていた。濃い紫の細い布には金糸でセージの刺繍が施されている。

 背中には、紫色の透明の羽根が六枚生えていて、瞳もまた同じく紫である。恐ろしく整った顔や口調は男性に思えなくもないが、体つきと声は明らかに女性のものだった。


 この人も妖精なの?


 イリスがあっけに取られていると、白い髪の女性は真面目な顔をして言った。


「毒を薬に変えようというのか? しかし、それは難しいぞ」

「なぜですか?」

「自分の命を引き換えにして、誰が土痘の瘡蓋を取ると思う? 刺し違えてでも殺したい相手がいるからできる禁術だ」

「私ならできるわ」


 イリスはそう言って、左腕の痘痕を見せた。

 女はあっけにとられた顔をして、しばしイリスをまじまじと見た。


「私は一度罹っています。もう二度と罹らない。だから私なら取りに行けるわ。でも問題はその先なんです。抗原性を持たせたまま無毒化する方法がわからないので……」

「簡単だ。魔法を使えばいい」


 イリスは困った顔をした。


「私には魔力がないんです」

「ならば貸してやるぞ。私は妖精の長の一人ソージュ。娘、名を聞こう」


 その威厳のある声に、イリスは慌てて丁寧なカーテシーをした。


「私はイリス・ド・シュバリィーと申します」

「騎士の娘だな。勇気と無謀は違うぞ。お前は本当に土痘の瘡蓋を取りに行く覚悟があるのか?」

「覚悟など必要ありませんわ」


 イリスは思わず笑ってしまう。


 もう罹らないんだから、ある意味最強よね。


「でも、問題は土痘の患者が身近にいないことです。土痘の患者は隠され隔離されてしまいますから」


 最近は土痘は流行っておらず、貴族の間では罹患者の噂も聞かない。

 

 それに、罹患者が出てもそれは隠されてしまうのだ。

 実際、イリスは回復するまで家の地下に隠され隔離されていた。部屋は立派なベッドが置かれてはいたが、家族は見舞いすら来ず、メイドが離れた場所に食事をおいていった。熱が出て苦しく辛い中、心細かったのを今でも忘れられない。二週間ほどたって瘡蓋が剥がれ落ちてから、その部屋から出ることを許された。


 貴族ですらそうなのだ。平民は町の外に追い出され、病人同士で洞窟などに身を寄せている。しかしそこは当然治安も悪く、病人以外は近寄ろうとするものがいないのだ。

 家の者にも協力は頼めない。絶対に反対されるに決まっているのだ。


 イリスはため息をついた。正直イリスは焦っている。


 王太子もシティスの恋人も今は健在だが、カミーユが入学する前に亡くなっているのだ。それに、ゲームの始まる直前に現在の聖なる乙女の力が急に衰えてしまうということは、聖なる力を酷使する何かがあったということだろう。王都になにかしらの窮地があったと考えるのが自然だ。

 本来なら聖なる乙女の任期は十年。ゲーム開始時点でまだ五年は任期が残っていたはずだ。それなのに聖なる乙女の力が衰えていた。 だからこそ、新しい聖なる乙女を探すことが急がれたのだ。


 イリスは今十三歳。学園に入学するのは十五歳。これから十五歳までの間に、王都を揺るがす何かが起こる。


 それが、土痘の大流行だとしたら……。何としても食い止めたい! でも、時間がないのよ。


 ソージュはイリスを試すような目で見た。


「イリスよ。私が力を貸してやろう。今宵、お前を迎えに行こう。瘡蓋を手に入れさせてやる。瘡蓋をどう使いたいのか具体的によく考えておけ。それがお前に力を与える」


 ソージュはそう言うと幻のように消えてしまった。




 イリスはソージュの言葉のまま、瘡蓋をどうしたらいいのか考えていた。

 

 ウイルスの原理を知らない人にとって、瘡蓋を取りに行くというのはとても勇気のいることだ。無毒化する前の瘡蓋には当然菌が生きている。

 しかし、ワクチンがあれば、予防もできるし、発症後すぐにワクチンを打つことで軽症にすることもできる。

 無毒化されているとわかっていても病人の瘡蓋を鼻から吸うというのも抵抗がある。

 それに、どうやら土痘は気候によって流行を左右される病のようなのだ。いつでもどこにでも、土痘の患者がいるわけではないのだろう。患者がいなくなれば瘡蓋もなくなってしまう。しかし、予防薬のために土痘の患者をわざと作っておくこともできない。

 前の土痘の大流行は百年も前のことだった。次の流行もそれだけの期間があいたら、治療法を確立しても廃れてしまうだろう。

 

 まずは、瘡蓋を抗原性を残したまま無毒化したい。できれば、百年後までワクチンが残るような保存方法も考えないと。あとはどうやって培養するか。効果を確認する方法も考えないと。私は罹ってしまっているから自分で実験できないし。接種を義務付けるのは難しいだろう。


 前世の世界で、途方もない時間と努力、たいへんな苦労や犠牲のもとに誕生したワクチン。普及させることがどんなに難しいかも知っている。天然痘はワクチンの発見から撲滅まで二百年かかっている。

 識字率が高くテレビがあった前世でも、新しいワクチンを普及させることは簡単なことではないのだ。


 短期間でなんて無理だと思うけど、できる限りのことはしなくちゃ。

 

 イリスは悶々と考えながら夜を待った。





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