貴女(モブ役令嬢)は私(悪役令嬢)の地位(ポジション)を引き継ぎなさい!!
レオルディア皇国ジョエルネイア恩賜魔法大学――。
才媛が結集するレオルディア皇国シエラレオネ恩賜魔法大学には及ばないものの、そこそこ高い地位にいる貴族の子女でそこそこの才能を持つ子女が集う大学である。
その大学の敷地内――。
ノエルレットは総身を震わせながら、30分も前から、厳寒の玄関に佇んでいた。あたりには小雪がちらつき、時折ヒュウッと音を立てて寒風が吹きすさぶ。あまりの寒さにあたりには誰もいない。時折大学の警備を担当する騎士が怪訝そうな顔つきで彼女に視線を送りながら、おりから積もってきた雪に足跡を付けながら巡回する。
彼女が美貌、あるいはほとばしる才能をオーラとして発散していたならば、騎士の足も止まっただろう。
しかしながら、容姿平凡、成績平凡、家柄平凡なノエルレットに視線をとどめる騎士はいない。
(クソ寒い・・・・!!)
ノエルレットは思わず内心毒づいた。そして慌てて、
(クソ寒い・・・・ですわ)
と、思い直す。思い直したところで全く何にもならないのだが、そこがモブ役令嬢のモブ役令嬢たる所以である。
そして、モブ役令嬢であるノエルレットは構内に引き返すことはできない。彼女を30分も待たせているのは、レオルディア皇国ジョエルネイア恩賜大学総合魔法学科で有名な存在、アッシュレイナ・フォン・レーヴァテイン伯爵令嬢だからだ。
ノエルレットは思う。とっくに来ていいはずなのに敢えて時間を遅らせているのは、アッシュレイナ・フォン・レーヴァテインが悪役令嬢である所以であり、モブ役令嬢である自分はそれにひれ伏さざるを得ない存在なのだから仕方ない、と。
しかし、モブ役令嬢であろうと寒いものは寒い。
クソ寒いですわ、とノエルレットはまたしても内心毒づいた。
(こんな時に一体何の用事なのでしょう。早く来られないかしら・・・・完全に凍死してしまいますわ)
ノエルレットは自身に炎のオーラを纏わせているのだが、如何せん成績平凡のモブ役令嬢ではあまり炎のオーラの扱いは上手くできない。
と、すぐそばでひときわ大きなブリザードが巻き起こった。あまりの冷気にノエルレットの全身が氷と雪に覆われる。甲高く峻烈な笑い声が巻き起こり、一人の女性が姿を現した。
「ホホホ・・・・少しやりすぎてしまいましたわ。門が凍り付いてしまって・・・って、あら、こんなところに彫像が」
「・・・・・・・・しひ。たすふぇ・・・ふひゃい」
「はい?」
女性は怪訝そうに彫像を覗き込み、大げさに口元に手を当てる。モブ役令嬢であるノエルレットの存在にたった今気が付いたようだった。
「まぁ、ノエルレット。貴女このようなところで何をしているの?」
ノエルレットは全身が凍り付いてしまって、自身に纏わせていた炎のオーラが消し飛ばされ、氷漬けになっていた。
女性が指を華麗に一つ鳴らすと、炎が立ち昇り、あっという間にシュウシュウと音を立てて氷が解けていった。
「あ・・・ありふぁとう・・・ございます・・・・わ」
「いったい何をしていらしたの?こんなところで」
ノエルレットは濡れほそったドレスと、その上で濡れてしまった毛皮の外套を恨めしそうに眺め、そして女性にその視線を移した。
「・・・・ニステ・アッシュレイナ。貴女様がお呼びになったのでは?」
ニステは古代レオルディア語で「途上の」という意味だが、この大学では、同じ学び舎で学ぶ同志として「親愛なる」の意味の愛称として使用している。
もっとも、モブ役令嬢ノエルレットの今の心境では完全に氷河絶壁の壁を二人の間にそそり立たせているのだが。
アッシュレイナは一瞬小首を傾げる仕草をしたが、すぐに思い出したかのように、
「あらあら、そうでしたわね。私としたことがついうっかりと。つい、ローメルド様の件で頭がいっぱいで見落としていましたわ」
ローメルドとはレオルディア皇国6聖将騎士団第三聖将兼第三空挺師団長ティアナ・シュトウツラル・フォン・ローメルドのことであり、この大学の客員教授でもある。
おそらく卒業後における今後の自分の在り方でも相談するつもりなのだろう。
一介のモブ役令嬢である自分とは完全に天と地の差、忘れられていても仕方がない、とノエルレットは思う。
「それで、私をお呼びになったのは、どのようなご用件でしょうか?・・・・ックションッ!!」
強烈な寒さが襲い、ノエルレットは身震いした。アッシュレイナはそんなノエルレットを値踏みするかのように笑みを含ませた眼で見つめる。
じいっと。
そして、殊更ゆっくりと話し出した。
「あなたは随分と『その他大勢』の立場にいらっしゃいましたわね。いつも私の周囲にいた取り巻きの一人でしたわ」
仕方ないだろう、モブなんだから、とノエルレットは思う。モブ役令嬢たる役目は、主役級よりも目立たぬように周囲の『その他大勢』に徹することなのだし。
アッシュレイナはレオルディア皇国ジョエルネイア恩賜大学では充分才能ある存在で、将来は宮廷の皇室付女官として上がることが約束されている。
「でも、それではつまらないのですわ」
「は?」
呆然と佇むノエルレットをしりめに、アッシュレイナは数歩優雅に歩を進める。そして横顔をノエルレットの視線の前まで移動させた。
念入りに整えられ、優雅なウェイヴを施された燃える様な赤い髪が白い肌を縁取っている。その髪の間から意志の強い茶色の瞳がノエルレットを捉えていた。
いったいどんなことをされるのだろう、とノエルレットは内心身構える。
アッシュレイナにはもう一つ有名な逸話がある。長年『悪役令嬢』としてこの大学に君臨し、ありとあらゆる方法で標的を襲い、周囲から恐れられ、下級生からは『死の天使』などと異名を取られていた。
「心配なさらなくとも、あなたには何も致しませんわ」
「・・・・・(嘘くさい)」
アッシュレイナは、今度はノエルレットを正面から見つめた。じっとモブ役令嬢の顔を見つめていたが、不意に肩の力を抜くように「フッ」と息を吐きだした。
「モブならモブらしくなどと卑屈になるのはもうおやめなさいな。あなたには私の地位と役目を継承してもらうのですから」
「え?」
いきなりの話で驚くノエルレットの前にアッシュレイナが指を3本立てた。
「容姿、成績、家柄において貴女は平凡だという事ですわね」
「今更何をおっしゃっているのか・・・・見ればお分かりでしょう。その通りですもの」
「あなたは今まで随分とモブに徹してきましたけれど、私の眼は誤魔化されなくてよ。人には人の個性があり、それは隠し通せないもの。そして、人間、何か役目を与えられた瞬間に嫌でも覚醒するものですわ。・・・・何故なら、私もそうでしたから」
レオルディア皇国ジョエルネイア恩賜大学には伝統がある、とアッシュレイナは言う。名実ともに才媛が結集するレオルディア皇国シエラレオネ恩賜大学に卒業後も負けぬよう、在学中において子弟を鍛え上げるために、誰かが意図的に悪役令嬢たるポジションを引き受けなくてはならないのだと。
「だからこそ『悪役』なのですわ。まったく・・・・こんな役目を負わされることがこれほど大変な事だとは思ってもみなかったけれど」
「つまり・・・・ニステ・アッシュレイナの今までの振る舞いはすべて『演技』でしたの?」
答える代わりにアッシュレイナは両手を組んで空に伸ばした。いつの間にか吹雪はやんで、あたりには穏やかな暖かさを感じる日差しが雲の切れ間から二人に降り注いでいた。
もうすぐ春なのだ。
そして、アッシュレイナが卒業する時期でもある。
「そろそろ私の後継者を探さなくてはならない時期なのですわ。そして、その後継者には貴女がふさわしいと思いましたの」
アッシュレイナはノエルレットを正面から見た。そしてまた指を3本示す。
「理由は3つですわ。一つ、貴女の容姿は意図的に平凡化されたもの。実際は違う事はあなたの寝室や浴室を捜索させていただいた私が知っています(なんて破廉恥な、とノエルレットは思った。)。一つ、貴女の成績も才能も貴女が意図的に手を抜いたもの。先ほど私は意図的にあなたを凍死させようとしましたけれど、あなたはそれを不自然にならない程度に耐え抜いていましたわ(なんて無謀なことを、とノエルレットは思った。)そして最後、貴女の家柄ですけれど――」
アッシュレイナは3本示した指の一本一本指を畳んでいく。
「貴女のゴトランド家は下級貴族ですけれど、貴女の本当のご実家は――」
アッシュレイナは口をつぐんだ。そして穏やかな微笑を浮かべた。『死の天使』などと異名を取られた女性らしからぬ笑顔だった。
「やめておきますわ。それこそ本当に私がどうにかされてしまいますもの」
「ニステ・アッシュレイナのお言葉ですから黙って聞いていましたが、荒唐無稽ですわね」
ノエルレットは無表情に、やや迷惑そうに言った。
「先ほども言いましたが、私の眼は誤魔化されませんわ」
「それほどおっしゃるならば証拠を出していただきたいですわ」
「確たる証拠などありませんわ。全ては私の推測の範疇でのこと。ですが当たっているのではなくて?」
「・・・・・・・・」
「私は手の内を明かしましたわ。そうでなければ貴女の信用を得られないのですから。もう、互いに化かしあいをするのはもうやめにいたしません?」
長い間二人は互いの顔を見つめあっていた。アッシュレイナは高飛車さの中に相手を試すような笑みを浮かべ、ノエルレットは殊更の無表情さの中に迷惑そうな色を浮かべて。
卒業を控え、授業が終わった構内には誰もいない。巡回の騎士の足音が遠くかすかに聞こえる他はほとんど音もしない。
木々の上に積もっていた雪が、不意に滑り落ちるようにして地面に落ちた。
ノエルレットは吐息を吐いた。それは先ほどまでのモブ役令嬢の顔ではなかった。
「・・・・どうしてわかったのですか?」
「貴女の眼ですわ。どんなに容姿や成績、家柄をごまかそうともその眼の輝きだけは真実なのですもの」
「それで、私にどうしろとおっしゃるのですか?」
「私の地位の継承を」
「私にはそのような資格はありませんわ」
ノエルレットはアッシュレイナの顔を見ながらきっぱりと言った。いつの間にかアッシュレイナの前には神々しいオーラを纏うアッシュレイナ以上に美しい女性の姿があった。まるで魔法が解けたかのように。
「そうですかしら、貴女ほどの才能があればこの大学の中心たる存在になれることはたやすいことですわ」
「そうではなくて、私が仮に今の貴女の地位を受け継いだところで貴女の二番煎じになってしまうか、それ以下になってしまうでしょう。貴女は先ほど言いましたね。人には人の個性があり、それは隠し通せないものなのだと。ならば貴女の真似事をしたところで、果たして上手くいくでしょうか」
その眼光の輝きにアッシュレイナは気圧されそうになる。アッシュレイナにもプライドと矜持はある。顔に出さないようにしながら踏みとどまった。
「あなたが手の内を明かしたのですから、私からも一つ申し上げましょう」
ノエルレットはアッシュレイナのやり方を真似るように、指を一本立てた。
「私はこれまでずっとあなた方のやり方を見てきましたが、賛同しかねる部分は沢山あります。ですが、敢えて何も言わなかったのは、誰が何故このようなことをし続けているのか、真意がわからなかったからです。あなたの話を聞くまではそのような伝統があることは知りませんでした」
「そうでしょうね。人知れず伝わったこの伝統の秘密は固いのですから」
アッシュレイナは知っている。自分の標的にされた生徒を、ノエルレットが人知れず庇い、そして手助けの手を差し伸べていた事を。
「やれと言われれば、あなたの想いを引き受けましょう。ただし、私は私のやり方で子弟を鍛え上げます。そのやり方はこの大学が今まで培ってきた伝統を覆すかもしれませんよ」
ノエルレットは優雅に微笑んだ。その微笑みの中に生まれ持った高貴さの他に、不敵さと厳しさ、そして優しさが見え隠れしている。アッシュレイナには羨ましかった。自分は与えられた役割をこなすことが精いっぱいだった。
風穴を開けて改革しようとする者は、容赦なく突き落とされた。悪役令嬢もまた、監視されている立場なのだ。それが怖かった。怖かったからこそ、アッシュレイナは自分の役割をやり通すほかなかった。けれど――。
「それでも本当に私に白羽の矢を立てるのですか?アッシュレイナ」
もはやモブ役令嬢の顔を脱ぎ捨てたノエルレットがアッシュレイナに尋ねる。この方はやはり違う、とアッシュレイナは思う。
そして、ノエルレットはアッシュレイナの想いを感じ、それを受け取った。その手ごたえをアッシュレイナは感じていた。
「ええ。私は与えられた役割をこなすことしかできませんでしたけれど、貴女ならばきっと――」
一陣の風が吹き込んできた。それは先ほどまでの寒風ではなく、暖かさを帯びていた。春の訪れを告げる湿った土の匂いが含まれていた。
「わかりました。アッシュレイナ、貴女の想いを引き受けますわ」
そう言い捨てると、ノエルレットはひらりと背を向ける。
アッシュレイナは遠ざかる背に向かい、丁寧に片膝を曲げて挨拶した。その背中は振り返ることはなく、まっすぐに前を向いて歩いていく。一つだけ確実に言えることがある。
この先どのようなことになろうとも、その歩みを止めることはないということが。
「先ほどまでのご無礼をお許しくださいませ、皇女殿下」
そして、臆病で自分に正直になれなかった私を、お許しくださいませ、とアッシュレイナは胸の中でつぶやく。
ノエルレットの背中は歩みを止めることなく構内に遠ざかっていく。
アッシュレイナは少し寂しそうな表情でそれを見送っていた。卒業と同時に今まで自分の手元にあったものが離れていく。悪いものも、良いものも。
やがて、ノエルレットの姿は構内に消えた。まるで最初からいなかったかのように。
(夢ではないかしら?)
ひょんなことからノエルレットの本当の姿について知り、衝撃を受け、話をすることを決意し、そしてたった今までこの場でこうして話をしたことが夢のようだった。
(いいえ、夢ではないのですわ)
アッシュレイナは自分自身に言い聞かせるように言うと、薄く目を閉じた。
(もしも私が私らしく、あの方と接することができていたら・・・・あの方は違った態度で私と接してくださったかしら)
答えは見つからなかった。それに対する答えをくれるべき人は、もう自分の届かない場所に去ってしまっている。
アッシュレイナは過去を振り払うようにもう一度両手を組んで背を伸ばすと、自身も正門に向かって歩き出した。
レオルディア皇国皇女ノエルレット・グランデ・エル・フォン・レオルディアがジョエルネイア恩賜魔法大学を皮切りに様々な教育の分野において改革を断行し、皇国を世界の学問の中心に、特に、魔導科学の最高峰たるレベルに引き上げることに成功するのはもう少し先のこととなる。




