第二十話 黒龍の対決
八月二十二日、Ayaは、イタリアローマのコロッセオ前で違和感のあるフランス語を耳にした。
『ああ、大丈夫。では、さようなら』
向こうで、スマートフォンを切り、手渡した音もする。
『ありがとう』
Ayaは、黒の帽子に黒のジャケットとパンツに赤いサングラスで目立つ格好ではあった。
けれども、身を忍ばせ、気取られぬようにフランス語の二人を見る。
男二人だ。
「どうやら、向こう側にいて礼を言った男の代わりに、手前のもう一人の青い帽子の男が電話をしたと言う見方で合っているようね」
雑踏の中でしかもこんなに離れていても、Ayaは、見る力が優れている。
「二人は丁度重なってしまっているのが残念だわ。これから、どかしますか」
顔を確認しようとした。
太陽に恵まれた昼日中、電話の持ち主の手元が光った。
「あのスマホは、新しい機種だわ。コジカ NFW-02J、日本のだわ」
そして、いつなんどきも疑問を捨て置けないAyaは、どうして違和感を覚えたのか、考えを巡らせる。
「フランス語の発音は、一般的レベルで合格かしらね。ネイティブではない様子でしたけれども。会話も不自然ではない内容だわ。雑踏に紛れての密売は、否定できる環境ね。服装は、観光客なら溶け込んでいるし」
次々と情報を整理した。
そして、もう一度、すっとそちらを見ると、まだ二人ともそこにいて近付き難い。
タイミングを見計らっていたその時だった。
『マドモアゼルむく』
Ayaは、はっとした。
「むく様に手紙を届けたのだわ。何か関係があるのかしら」
先程までいた日本のことを思い出す。
Ayaは、情報を奪われない為に、スマートフォンでさえ、逐一奪われてもいいようにしてある。
「むく様の事かしらね。声からして、電話の持ち主が話されたと推察しますわ」
サングラスを直した。
「聞き覚えのある声です。この方は」
そこからのAyaは、豹の様に素早かった。
シュヴァルツ・ドラッヘをゆっくりと取り出す。
そして、コロッセオの天高く輝く太陽にちらつかせた。
その光は、フランス語の二人への合図だ。
「こっちを見たわね。電話を掛けた青い帽子の男」
Ayaは、黒の帽子を目深に被り、流し目で眼力を飛ばした。
「これ、効くかしら」
すると、奥にいた声の主が、こちらを見た。
「目が合ったわ! 失敗。眼力強過ぎたかしら」
どきっとする。
向こうから軽く手を挙げて、こちらに近付いて来た。
「Kou……!」
「Aya」
「どうして、どうして、いつも際遇するのかしら? Kou」
Ayaは胸が一杯になる。
「それは、神様でも分からないよ」
素早くKouのスマートフォンは奪われ、随分といい音でAyaに破壊された。
「シュヴァルツ・ドラッヘでは、勿体ないので、素手で叩かせて貰ったわ。電話は、おじゃんよ」
「手厳しいな。相変わらず」
Kouは、いつものように優しく目を細めた。
この際遇が二人の歯車を狂わせる事になるとは、AyaにもKouにも分からなかった。
◇◇◇
シュヴァルツ・ドラッヘは、黒龍の証だ。
銃口のペインティングが物語っている。
Ayaが十歳でこれを手にした時から、継承されている。
ドラゴンは、竜の証だ。
その名に竜を刻む者が組織のトップを表している。
朝比奈竜は、李建との間で何かを交わした筈だ。
「Kou、どうしてそんな話をするの」
「まあ、焦るな。今から凛を守りに対決をするのだろう。Aya」
「李雪は、朝比奈竜の実子だな。それを李建の後妻として三年前に連れて行った。そして、李家の権限をいくつか分けられた。具体的には、李家の動かす総会での発言権と経常利益の五割の配分だ」
「その金で、バイオリンを買ったのかしら? あれは金塊と同じ扱いになるのね」
「まあ、ここまでやられたら、バンバン撃って構わないよ。俺は新たな体術で落とすしてやる」
「コンサート会場の近くで、更地にしたばかりのいい物件があるのよね」
「OK。Aya」
「OK。Kou」
◇◇◇
コンサートが終わって、リュウ・アサヒナ、つまりはドラゴンが花束に囲まれて夫人の瀬戸麻桜子より先に音楽堂の外に現れた。
「ハアイ! ドラゴン!」
隣の良好物件から、Ayaも花束を投げる。
その向こうから、シュヴァルツ・ドラッヘのトリガーを引いた。
散り行く花びらとドラゴンに刺さる重音で、Ayaはきらめいた。
手応えありと踏む。
「ふ、ははは……」
しかし、ドラゴンの高笑いが聞こえる。
「柏から、キミの話を聞いているよ。私は不死身なのだ。見給え」
スーツに穴は開いていたが、体は無事なようだ。
「はん。防弾チョッキね」
Ayaの想定内だ。
隙など与えず、シングルアクションでぶち込む。
流石、ドラゴンはかわしたが、それも想定内のAyaの弾道で、バイオリニストとしての深手を追う。
「うぐ……。私の右手を……。美しいボーイングを奪うのか?」
「ほざけばいい。凛様と私を裂いた罪。凛様に盲目の危機を与えた罪。脅迫状の罪!」
「脅迫など要らぬだろう。李家は私の物だ。最後の汁一滴まで吸い取ってやる」
「組織Jと無縁とは言わせないわ」
「無縁だ」
「何ですって?」
「李家の衰退を見たい。それが私の計画。決してそれ以外の望みはない……。我々は、ドラゴンの継承者だ」
引き金を迷いなく引く。
ターゲット、ロック・オン!
シングルアクションだ……!
ドラゴンの両の足首を一発で狙った。
ひっくり返る時、ドラゴンがバイオリンケースを杖にしていた。
ケース毎ガランと音がする。
「私のバイオリンが! 駒は倒れていないか? 魂柱がこけたりしていないだろな。ひび割れてでもしたら、許さんからな!」
「まだまだ、いけるわよ。ドラゴン。金に汚いだけのドラゴンの成り下がりよ! タツノオトシゴを尊敬しちゃうわ」
「許さん……! 叩きのめしてやる。おい、柏。肩を貸せ」
「はっ」
ドラゴンが何やら呪文風のものを唱え始めた。
Ayaは、危機を感じ、資材置き場に跳ね上がった。
ドラゴンが、資材へ向けて念を送って来る。
それだけなのに、Ayaの足下が揺らいだ。
はっと、はっそう飛びで交わす。
「ふふふ。私が、ドラゴンだ! 竜の名を継ぐもの。朝比奈は、瀬戸麻桜子との間に麻子ができたので、夫婦別姓で婚姻関係にある丁度いい隠れ蓑さ」
ドラゴンの油断していた時だった。
音楽堂をも凌駕する眩しい光が、螺旋となりて、ドラゴンへと向かう。
「Ayaを守れ! Ayaを守れ! Ayaを守れ!」
強い愛の想いで、Kouが六芒星の光球を放った。
Ayaは、信じられない現象に驚きながらも、六芒星の光をさけ、資材から降りる。
「ん――。Ayaよ。守られたわ」
「Aya! これは俺の独り言だ。耳を塞ぐようにな。立ち聞きはマナー違反だぞ」
ドラゴンは、シュウシュウと音を立てて湯気を出していた。
「ぐっ。ぐほっ。み、水を。ミネラルウォーターが、奥入瀬の渓流水が欲しい。いつものだ」
「ボス! しっかりなさってください。負けちゃうじゃないですか? 負けたら、どうなります? アンダー・リーフズの神は」
「今すぐ、暗殺されるかな。げほっ」
「分かりました。柏が責任を持ちます」
そして、柏が、バイオリンケースのポケットに入っていた弓でドラゴンの手の甲を刺した。
「えい! だあ! やあ!」
ドラゴンは恐らく命の次に大切な手を庇って、痙攣している。
「そこまでになさい。柏」
「Ayaか。オレは柏ではないが」
「まさか!」
「そう、オレは、ドラゴンだ」
黒龍として、ドラゴンと名のつく者は全て見逃せないわ。




