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撃滅機関の老害共  作者: 長埜 恵
本編
8/57

5 粒子化

 バイクを飛び降りながら、ああ、まずいな、とウサギは思った。

 死を覚悟したのではなく、ただこの場から逃げたいがためだけの愚行。それを、ウサギの目の前の中年男は実行しようとしていた。


「カメ」


 彼に似つかわしくないぼそりとした声でウサギは言う。Aという錠剤で強化された両の目が、ゆっくりと男の人差し指の動きを追う。


 ――なるほど、自分一人であったなら、男を救うまでは至らなかったのだろう。

 それだけは、認めてやっていいのかもしれない。


 ガキン、と金属と金属がかち合う音が響く。

 同時に拳銃はあっけなく男の手から離れ、床を滑って行った。


「……まったく、お説教は苦手分野なんだがねぇ」


 硬質化した足を突き出したカメが、イヤミったらしく男を睨みつける。


「いい年した男が恥ずかしくないのか? 好きなことを好きにやって、いざ追い詰められたならママの名前を呼んでサヨナラかい。自分の行動に責任を取る、これが最低限の大人の条件だというのに」

「……二人、いたのか……!」

「その通り。最初にこのアホがガラスを突き破った時に、僕はドサクサに紛れて侵入していた。それにすら気づかないとは、よっぽどそのバナナは美味しかったんだな」


 唇を捻じ曲げ、カメは笑う。死ぬ手段も逃げ道も絶たれた男は、もはや抵抗する気力すら萎えたようで、ガックリとうなだれた。

 ようやく、こちらの勝利である。ウサギは安堵に肩の力を抜きつつ、男と同じ目線の高さにしゃがみこんだ。


「ただのバナナ大好き坊やにこんな事したくないけど、規則だからな」

「……」


 専用具で手足が拘束される間も、男はうなだれたまま何も言わない。完全に敗北を認めたのだろう。あるいは、スリープにぶち込まれるショックに絶望しているのかもしれない。


 その姿に、ふと一つの疑問がウサギの頭をもたげた。


 ――この男の名は、何というのだろう。


「おお、ウサギよ。無事に大捕物が終わったようだな。あとはとっとと太陽君達に引き渡して、僕たちはめでたくクソつまらん日常へと戻ろうか」


 あくびをしながら大型バイクに戻ろうとするカメだったが、ぐんと服の裾を引っ張られ足を止める。振り返ると、男から目を離さないままのウサギがカメの服を掴んでいた。


「なんだ。幼児退行か、ウサギちゃん?」

「うるせぇなお前は。まだこいつの名前を聞いてねぇだろ」

「ハン、必要無いだろう。これから楽しい楽しい夢の国に誘われる中年君の名前など……」

「ねぇねぇボク、お名前なんてぇの?」

「聞けや」


 ウサギの問いに、男はぼんやりとした目で彼を見上げた。


「なまえ……?」

「そうそう、名前。あるだろ?ちなみにオレの名前はウサギってんだけど……」

「なまえ……なまえ? あれ? あれ……」


 男の瞳が混乱に揺れる。奇妙に思ったウサギが次の言葉を投げる前に、男は取り乱したように呟き始めた。


「そんなはずは……! だって、僕はしがないサラリーマンで、小さいけど家を持ってて、子供だって……子供? 何人? 性別は? 妻は? 妻の名前は? 会社の名前は? 親の名前は? あれ? あれ? あれれ?」


 ――様子が、おかしい。

 目の前で繰り広げられる異変に二人が動けないでいる中、正気を失った男はウサギに倒れこんできた。

 開き切った瞳孔に、引きつった顔をした老人の姿が映り込んでいる。男は拘束具の下で芋虫のようにうねりながら、泣き叫んだ。


「どうして!! どうして僕には名前が無いんですか!! IDだけじゃなく、名前まで僕には与えられないというんですか!!」

「お、お、落ち着いて!」

「こんなにお腹が空いているのに! こんなに人が憎いのに! なんで! なんでだ!!」

「ウサギ、離れろ!」


 カメの鋭い言葉に、ウサギは身をよじって男から飛び退いた。もたれかかる柱が無くなった男は、あああああと泣きながら床に倒れこむ。


「データがありません、データがありません、データがありません、データが……」


 意味の分からない言葉に、ウサギの肌が粟立つ。これは、なんなんだ。一体何が起こっているというんだ。


 とにかく、一刻も早く彼を太陽の元に連れて行かねばならない。そう判断したウサギは、男の拘束具の取っ手を掴んだ。


 が、移動させようとする前に、第二の異変が起こってしまう。男は数秒前の激情では考えられないほど無機質な声色で、空に向かって言った。


「異常を検知。消去を開始いたします」

「は?」

「皆様、今までどうもありがとうございました。良い人生でした」

「な、何を……」

「3、2、1」


 ゼロ。

 その音が男の口から飛び出た瞬間、拘束具に包まれた男の体が粒子化し始めた。慌ててそれを掴もうとしたウサギだったが、カメに後ろから襟首を取られ阻止される。


「何するんだ!」

「バカが! 得体の知れんものを触ろうとするんじゃない!」

「このままだと逃げられちまうよ!」

「お前という能天気は、まだあれを逃亡と捉えているのか」


 二人が言い争っている間に、男の体はどんどん崩れてただの粒になっていく。カメの骨張った手が、ウサギの金髪を掴んで男に向かせた。


「……死んでるんだよ。見ろ、あんなことになって生きているヤツなんているか」

「……!」


 息をのむ。顔の半分が粒子になった男は、もはや何も喋らない。ただ、ウサギには、その目の中に助けを求めるような色が見えた気がした。


「初仕事は失敗だな。ああそうさ、僕たちは太陽君らに大層怒られるだろうよ!」


 強張るカメの声も、決して任務失敗の無念が理由では無いのだろう。


「いずれにしても、僕たちの立場が変わらないだろうのはこれ幸いかな。なんせ今より下なんて存在しない」

「……」

「オラ、ウサギ。返事ぐらいしろ」


 カメにスパンと頭を叩かれ、ようやくウサギは我に返る。カメの仏頂面を見上げ、恐る恐る問いかけた。


「……なあ、カメ」

「なんだ」

「彼は、人間だったのか?」


 その問いに、カメは心底つまらなそうに吐き捨てる。


「知らん」


 あるいは、ただの虚勢だったのかもしれない。

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