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撃滅機関の老害共  作者: 長埜 恵
本編
5/57

2 IDの無い男

 24XX年、東京。


 医療や科学の発達により、とうとう日本の平均寿命は百歳を超えることとなった。

 しかし、街を見渡しても、歩いているのは若者ばかりである。


 それもそのはず、早くて三十歳、遅くても五十歳を超えた辺りから、人間は辛く苦しい老いから逃れるようにスリープと呼ばれる装置に入り、死ぬまで幸福な夢を見続けるようになるからだ。


 「美しく管理された人間社会」。それが、この世界の全てであった。人類の誕生は成功率百パーセントの体外出産が法律で義務付けられ、全ての子供はロボットによる愛情溢れる養育がなされている。子供が親の顔すら知らないのは珍しくなかったが、虐待や事故による凄惨な死から完全に守られる事の方が重要なのは言うまでもなかった。


 犯罪の発生についても、例外ではない。


 遺伝子情報や定期的な脳のスクリーニング検査により、かつてあれほど高かった犯罪率も限りなくゼロになったのである。


 その結果として、数百年前まで機能していた警察機関は、今やほぼ形骸化してしまっていたのだが……。


「よりにもよって、逮捕に特化した撃滅機関の食事時に居合わせるなんて、ついてなかったな」


 カメは、今しがた捕らえた獲物を見下ろし、フフンと鼻で笑った。


「食い逃げから始まり、挙句に銃の不法所持と発砲ときたもんだ。さてさて、どんなに楽しいスリープが待っているか、ワクワクするじゃないか」


 スリープという言葉に、男はビクリと体を震わせる。死刑制度が廃止された現代では、犯罪を犯した者は本人の意思に関係なくスリープ装置に入れられ、来たる寿命まで悪夢を見せられる仕組みになっていた。ある意味で残酷なこのシステムも、高い犯罪抑止率に一役買っていることは否めない。


 それを重々承知の上で、カメはサディスティックな笑みを浮かべる。


「地獄という単語に、君はどんなイメージを沸騰させる? 針の山? 血の池? それともマグマの風呂か? いやいや、そんなものじゃない。もっともっと膨らませろ。きっとスリープは君の地獄を超えてくれるぞ」

「……そんな……」

「いいじゃないか。食い逃げで腹は満たされたろ? 最後の晩餐が萎れたポテトと薄いハンバーガーだなんて、神様も涙を流すほどの謙虚さじゃないか。ああ、祈っていてやるともさ。君の青いジャケットが、夢の中でも青いままでいられるよう……」

「カメ」


 ずっと黙って様子を見守っていたウサギは、ヒートアップしてきたカメの肩を叩いた。それにカメは何か言いたげに口を開けたが、すぐに閉じて首を縦に振った。

 ウサギはそんなカメを後ろに押しやると、できるだけ優しく聞こえるよう、拘束された男に声をかける。


「うちのツレがすまんな。見ての通り、死ぬほど口が悪いクソジジイなんだ」

「……」

「さて、このままだとお前はスリープ行きになる。だけど、お前はそれが嫌だと言ってたね。だったら、なんであんなチンケなら食い逃げなんかしたんだ。何かワケがあるなら、そこを教えてくれねぇか」


 男は、ウサギの言葉に驚いたように顔を上げた。その頬はこけ、誰が見てもしばらくまともな食事をしていないという事がすぐにわかる。全てが美しく管理された現代日本において、その姿は異様だった。


 異様といえば、六十歳を越えてなおスリープ装置に入らない二人も、見事該当するのであるが。


 男は、虚ろな声でウサギに向かって言った。


「……ある日突然、IDが消えてしまったんです」

「IDが?」


 IDとは、個体番号を管理する、いわゆる戸籍のようなものである。それが消えてしまったとなれば、完全管理社会においては存在の抹消とほぼ同義だった。

 男は、泣きそうな声で続ける。


「その日から、働けないし、金は入らないし、でもIDが消えてるから、役所に問い合わせても何もわからないし。お金が尽きかけたところで、IDが無ければスリープに入る事もできない……。そんで、匂いにつられてフラッと入ったファーストフード店には、IDを持ってるヤツばかりが笑ってるんだ。なんでオレだけって思ったら、気づいたら飛び出してて……」


 とうとう、ぐすぐすと泣き出してしまった。すっかり同情してしまったウサギがその肩に手を置こうとしたが、その前にカメがはたき落した。

 睨みつけるウサギを全く意に介さず、カメは冷たい目で男を見る。


「お涙頂戴は、このアホにはともかく僕には効かんぞ。フラリと立ち寄って犯行に及んだと言うなら、この銃はどう説明してくれる」


 カメの手には、男の銃が握られている。男は、涙を流しながらまた青ざめた。


「それは……朝起きたら、何故か枕元にあって……」

「小学生でもまだまともな嘘をつけるぞ。そんなわけあるか」

「本当なんです……! 届けたかったけど、IDも無くて銃を持ってるなんて、絶対に疑われるって……!」

「んー」


 カメは、慣れた手つきで銃の残弾を確認する。オートマチックの銃の中身は、空になっていた。


「ウサギ」


 カメは、隣で男の視線に合わせてしゃがみこむ相棒に向けて、鋭い言葉を放つ。


「どうやら、“ また ” だ」

「そうか」


 符牒に短い返事をし、ウサギは立ち上がる。そして、男の拘束を解いてやった。ぽかんとする男に、ウサギは笑いかける。


「……お前をスリープ装置にぶち込むことはしない。ただ代わりに、ちょっとしばらくうちの留置所に泊まって貰うことになる。大丈夫、ホテル並だよ、最近の留置所は」

「そうだ、心配しなくていい。少なくとも、このジジイの家よりは清潔だ」

「うるせぇなオメェはよ。似たり寄ったりだろが」

「入ったのがファーストフード店で良かったな。このジジイの家に入ってたら、怪しげなキノコを食べるハメになってたぞ」

「生えてねぇわ、キノコなんざ」


 ジジイ二人のやり取りに、拘束を解かれた男はただ呆然と見上げるばかりである。しかし、またぐすぐすと泣き出した。


 ―― IDが無いのに、まともに話してくれた人は初めてだ。


 男は、そう言っていた。









「……なんで僕が、あの男の最後の晩餐代を払わないといけないんだ」

「その代わり、オレのポテト食った分は請求しないでやるっつってんだろ! 大人しく払え!」

「あーあー、人助けはするもんじゃないな。身を削ってばかりだ」

「そう思ってんなら、ちったぁその口を閉じたらどうかね。警察にあるまじきサディストめ」

「ロクに法定速度も守れないスピード狂に言われたくはないねぇ。早く免許返納しろ」

「いいのか? そんな事言って。バイクを運転できなくなったら、オレはどうなると思う?」

「ほう、どうなるんだ」

「風を切るスリルを求めて、スカイダイビングが趣味になる」

「平和じゃないか。即刻返納しろ」

「やだね!」

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