31 虫とサルが来た
少し時間は遡り、撃滅機関の部署に場面は移る。青鳥は、カメの机で自分のクローン元のデータを調べていた。
何度見ても、内容が変わるはずはない。かといって、データから目を逸らすことも青鳥にはできそうになかった。
上司二人は異常事態の対応に出て行き、自分は待機するのみである。だがじっとしているより、とにかく何かで頭を埋めたかった。
頭を垂れ、自分のルーツを思う。
彼は自分であり、自分ではない。
その事実は、自覚の無いままに己が身を蝕んでいるのかもしれなかった。
――自分もいつか、テロを計画するような思考に至るのだろうか。
そんな不安が、このデータを見た時から脳にこびりついて離れなかった。
「考えすぎだな……」
机に肘をついて、そのまま体をもたれさせる。目を閉じると、外の音がよく聞こえた。足音は引っ切り無しに行き交い、それに混じって悲鳴のような声がする。その喧騒は、少しずつこちらに近づいてきている気がした。
――近づいてきている?
青鳥は、ガバッと体を起こした。そして、ドアに目をやる。
撃滅機関は、窓際部署である。つまり警察本部の中で最も追いやられた場所に構えられている為、まず用事がなければ人がここまで来ることはない。
それが、どうしてこんな人数が集まってきてるんだ?
一際大きな叫び声がすぐ近くで上がる。青鳥は身を震わせ、ドアの後ろに張り付いた。
一瞬の沈黙の後、ヒール靴を履いた何者かがものすごい勢いで走ってくる音がした。隠れようかどうしようか迷っている内に、妙に高い声と共に荒々しくドアが開け放たれる。
「クローンちゃぁぁんんんん!! 逃げて!! 今すぐ逃げてちょうだい!!」
「ほああああぁぁぁぁぁ!!?」
オカマザルだ! あの時オレを殺そうとしたオカマザルだ!!
なんでここに!?
壁に張り付いたまま驚きで動けない青鳥に、厚化粧の火鬼投はグイグイ寄ってきた。
「緊急事態ヨ! クローン人間助けるなんてイケ好かないけど、自分の信条曲げてもアタシは動いてみせるワ!!」
「もうちょい本音隠しません!? いや、何が起こってるんですか!!」
「説明は後! とにかくここから逃げ――」
手を引かれ外に連れ出されそうになったが、何かに気づいた火鬼投に突き飛ばされる。青鳥は床を転がり、椅子の足に頭を打ちつけた。
「いったぁ……!」
しかし、痛みにのたうつ暇は無かった。自分と火鬼投の前に、大きな針を持ったこぶし大の昆虫が飛び込んできたのである。
「来ちゃったわネ……!」
火鬼投は錠剤を取り出し、飲み下す。それから自分の髪の毛を一本引き抜き、指でこね始めた。それは次第に粘り気を持ち始め、両手で広げると大きな膜になった。
「これでも食らいなさい!」
膜を昆虫に被せる。突然自分の体を覆った膜に困惑し動きが緩慢になった昆虫を、火鬼投はドアで外に押し出した。
バタン、とドアが閉まる。肩で息をする火鬼投は、心を鎮めようと大きく深呼吸をした。
そんな背中に、律儀な青鳥は頭を下げる。
「……助けてくれて、ありがとうございました」
「え? あ、ええ、ドーモ」
「さっきの虫は何なんですか? 知らない虫でしたが……」
「アンタクローンでしょ。知ってるも知らないも無くない?」
「一応最低限の知識は入っているもんで。で、さっきの答えは」
「……能力よ」
能力?
全くピンと来ない青鳥の様子を察し、火鬼投は丁寧に説明してくれる。
「錠剤能力、つまり人間の生み出した昆虫ネ。警察が拘束していた女が、適合錠剤を盗んで逃げ出したのヨ。ソイツはその能力を駆使しながら、どういうワケかまっすぐにアンタを狙って来てる。これはマズイと思ったアタシは、アンタを逃がしにここまで来たって話」
「……その女は何者なんですか」
「スリープ脱走者ヨ。ま、比丘田の共犯者に操られた人って言った方が、アンタには分かりやすいかしら」
その言葉に、青鳥は首を傾げた。――自分は、火鬼投を比丘田側の人間だと思っていた。しかし、こうして彼の話や行動を見ていると、自分のその認識は何かズレている気がする。
試しに、青鳥は尋ねてみた。
「……それって、オレをその女に引き渡せば済む話じゃないんですか?」
「クローン人間を厄介払いできるのはありがたいけど、アンタの利用価値ってのは計り知れないノ。アチラに渡ってしまったら最後、何が起こるかアタシにも分からない。だったら、渡さない方がイイでしょ?」
ううむ、敵か味方か分からない。でもまぁ、とにかくここから逃げられるというのなら、今は協力関係と判断しておくか。
青鳥は方針を決めた。
「分かりました。では、オレをここから逃がしてください」
「そうネ。いつまでもチンタラしてたら、それこそ昆虫が山と来ちゃうかもだし」
余計な一言を言うものである。そういうことは言わないようにと青鳥が注意しようとした矢先、ビビビビという耳障りな羽音が聞こえた。
――単一ではなく、複数の重なり合う音として。
「……」
「……」
嫌な予感に、二人は顔を見合わせる。火鬼投の表情は、どことなく申し訳無さそうに歪んでいた。
「……チンタラしてたから、来ちゃったみたい」
――廊下に繋がる窓は大量の虫でびっしりと埋め尽くされ、今にも割れそうにガタガタと揺れていた。




