26 食い止める
ウサギの笑みに何かを言いかけたカメだったが、唇を引き結んで止め、代わりにイヤミをぶつけた。
「……突っ立っておくだけなら棒キレでもできる。出動するぞ、僕の足」
「目とか足とか、毎度色々好き勝手言ってくれるねぇ。緊急事態だから聞いてやるけどさー」
「お前の目と運転能力だけ分離できたらいいのにな。もしや合体ロボットのような仕組みになってないか? それだと僕にとって大変都合がいいんだが」
「何? オメェ、オレの足と腕と頭持ってバイク乗る気? そこまでいったら胴体も連れてけや」
どつき合いながら、できるだけ急いで車庫へと向かう。どうせジジイ二人が前線に立ったところで、若者に揉みくちゃにされて倒れて骨が折れて終わりである。ならば、空からこの異常事態を見てやろうではないか。カメは、そう考えていた。
何をすべきかは、それから考えればいい。
バイクにまたがり、ゴーグルを下ろし、ハンドルを握った頃に、ようやくいつものウサギが帰ってきた。
「ヒヒヒ……やっぱ血が沸いちゃうねぇ! オレは今日も飛ばしちゃうよ!!」
「飛ばすんじゃない。しっかりゆっくり空を旋回して、地上の状況を僕に見せろ」
「発進!!」
「聞け!!」
聞くわけがないのである。バイクは少し宙に浮くと、そのまま勢いよく加速した。
車庫を飛び出したバイクは、風圧を受けながらほぼ直角に空へと向かう。このままだと調子に乗ったウサギが大気圏に突入しかねない為、ほどほどの位置でカメは補助ブレーキを踏み、ウサギの長髪を引っ張った。
「さぁここらで引き返せ。未来ある若者に加勢しに行くぞ」
「オレの髪の毛は手綱じゃねぇんだけどね!?」
しかしカメの言葉で我に返ったウサギは、速度を落とし旋回しながら地上を目指す。
見下ろした光景に、カメは舌打ちをした。
――なるほど、これは、厄介な事案だ。
警察本部の入り口には、百人ほどの人間がまるでゾンビのようにワラワラと群がっていたのである。
ウサギも、目下に広がる人間らに慄いていた。
「……カメ、ありゃどういう事だ」
「恐らくは、スリープからの逃亡者だろうねぇ。つまり、お前の嫁と同じ穴の貉さ」
「じゃあ傷つけちゃダメだな。無傷で捕獲でスリープに強制送還コースだ」
「違いない」
そうなると、空を飛んでいるこちらが有利である。ウサギは彼らの真上にバイクを据えると、備え付けられたボタンに人差し指を置いた。
「投網、いっきまーす!!」
「なんだその掛け声」
粘着質な網がバイク下から投下され、七、八人ほどがかかった。彼ら彼女らはもがいたが、動けば動くほど身動きが取れなくなるのが、この網なのである。
「残る網は三枚! 全員を捕獲するにはとても足りねぇけど、どうするよ!?」
「案ずるな。お前が考えつくことなど、とっくに他の人間が実行してる」
その言葉通り、遅れてやってきた車部隊が次から次へと網を投げ始めた。ウサギはガッツポーズをし、大声を上げる。
「いい流れじゃねぇか! この分だとすぐ収まりそうだな!」
「だといいんだがね。そう簡単にいくとは……」
カメの懸念に呼応するかのごとく、鋭い男の悲鳴が聞こえた。どこから聞こえたのだと探す二人だったが、信じられないものを目にし硬直してしまう。
――巨大な腕が、警察本部の入り口前で突き上がっている。ザアッと引く人波の中、一人の男と倒れた警察官が取り残されていた。
「……強化錠剤を盗んだのか?」
カメの推測は、当たっているようだった。虚ろな目の男は、乱雑な動きで巨大化した右腕を振り回し、本部に押し入ろうとしている。それを阻もうとした別の警察官が弾き飛ばされ、スリープ脱走者の海に落ちた。
「いかん! このままだと、どんどんヤツらの手に錠剤が渡るぞ! ウサギ!」
「オッケー、投網!」
彼らの頭上に網を落とすが、時すでに遅し。一人の女が網をかい潜り、何らかの能力を駆使して空中を駆け上がってきた。
ウサギと女の目線が合う。無表情の女は、バイクのエンジンを切ろうと手を伸ばしてきた。
「させるかァッ!!」
が、そうは問屋がおろさない。ウサギは容赦なくハンドル切り、女の手をバイクごとかわした。
バランスを崩し地面へと落ちる女に、カメはすかさず自前の鞭を振りかざす。しならせた鞭の先が女の片足に絡みつき、彼女はあえなく宙吊りになった。
「……女性相手に乱暴は剣呑だがな。これは命を救ったからノーカンだろう」
「オメェ普段からそんなん持ち歩いてたの?」
「護身用だ、護身用。よく分からん客に会うのに丸腰でいられるか」
しかし、状況はどんどん悪化している。傷つけてはならない人達が、確かな攻撃性を持って向かってきているのだ。平和という暖かな世界に沈んでいた多くの警察官らは、慣れぬ敵意に戸惑い、怯え、混乱している。このままでは、死人も出るだろう。
どういう手を打つべきだろうか。考えるカメに、ウサギは言った。
「……動くぞ、カメ」
「何?」
「ヒャッハー!!」
言うなり、ウサギは超加速で右腕が巨大化した男の元へとバイクを飛ばした。ウサギの策に気づいたカメは、急いで錠剤を噛み砕く。
地面が迫る。ぶら下げた女をバイクに固定させ、カメは半身を硬質化させる。そして、今にも右腕に潰されそうになっていた警官の間にバイクは割り込んだ。
身を乗り出したカメは、つっかえ棒のようにその巨大な腕を全身で受ける。
ミシリ、と音が鳴ったのは、カメの身か、バイクか、男の腕か。ウサギは横転させるがごとくバイクを操作し、男を地に倒した。
「カメ!」
ウサギは、警察の波と脱走者の波との境目に、存外丁寧にバイクを着地させた。そして、カメを振り返ると頷き、拡声器を渡してくる。
いや、ここまで来たならお前が言えよ。
そうカメは思ったが、どうもお喋りは自分の役目らしい。女をその辺に転がしたカメは拡声器を受け取ると、ぽかんとする警察官らに告げた。
「――どうも、撃滅機関の老害ですよ。ここは僕らに任せて、君らは一旦中に戻りなさい。そして、太陽君辺りに指示を貰ってくるんだ。……無能な集団は有能なる一人に崩される。そうならない為にも、君らは脳の中身を統一し、せいぜい一個の有能なる集団となって帰ってくるがいい」
語るカメの背中に、脱走者が迫る。それをウサギが催涙スプレーで撃退しながら、声を張り上げた。
「でも急いでな! オレらそんな強くないから!」
「僕らの寿命と君ら若者の成長、どちらが早いか見ものだな」
「ほら行けそれ行け早く行け!!」
ようやく、一人の警察官が動き出す。それにつられるように、他の警察官らも一斉に逃げ出した。後を追おうとする脱走者を、上空からの網やバイク、硬質化で無理矢理食い止める。
――ああ、もしかして今の自分達、なかなかカッコいいんじゃないか?
太陽に聞かれたらまた呆れられそうなことを、ウサギとカメは思っていたのであった。