事後と、両面鏡
「事後」の続きかもしれない。
R15描写アリ。
「恋愛」という物は見返りが無いと成り立たないし、性欲をオブラートに包んだ物の通称であり。無償の愛なんて、何処にも無いし、生み出せやしない。
僕はそう改めて思った。
あの子は元気だろうか。
僕があの時に、一人で置いてきてしまったあの子は、前のまんま笑顔でいるだろうか。
あの子と付き合い始めたのは、僕が大学3年生の時。
あの子は高校3年生。3歳差の恋愛だった。
僕とは友人を介して知り合い、そこからどんどん仲良くなったのが始まり。
仲良くなった、と言っていいのだろうか。子供同士が遊びを通じて仲良くなるというよりは、全然違う。
僕はただ、あの子が咀嚼出来ないネガティブを、僕の客観的な意見で噛み潰して、あの子に口移しで飲み込ませていただけ。
あの子の胃に落ち込んだ棘のない意見が、栄養となって、脳味噌まで届き続けたからか、あの子はいつも僕を頼りに来た。…不味そうな、くちゃくちゃに混ざりあった、歪んだ被害妄想を片手に。
あの時の原動力は、きっと愛情ではなかった。
僕だけが求められてる喜びと、僕よりも劣っているあの子への同情と、ああ、きっと、あの困った、寂しそうな顔を可哀想に思っただけだ。
他にも挙げてみるが、あれは、強いて言っても母性だろう。
雛鳥に餌をやる親鳥。雛は親の後ろをずっと付いてくる。それが何故か愛おしく見えてしまうのかもしれない。
きっと僕は、あの子を対等な位置ではなく、少し下に見ていたのかもしれない。
可愛い可愛いあの子。柔らかい髪の毛、白桃のような肌、大きな目、長い睫毛、華奢な腕…。
僕が守らなきゃと、あの頃は奮闘したものだ。この世界は汚染されてるから、あの子はこの世界に居ちゃいけない、もっと綺麗なところに居るべきだとさえ思っていた。
胎児が母乳を飲み、幼児が離乳食を口にし、それに慣れれば普通の人間と同じものを食べる様に。
死んでしまいそうな程に脆く優しすぎるあの子が、僕の意見を介して外を見、慣れれば、僕がゆっくりとこの汚れた世界に放してあげる。
僕は過保護に対応して、それを「あの子を愛する気持ち」だと都合よく勘違いしていたのかもしれない。
事件の起こる数日前。
家に泊まりに来たあの子と、僕は二人で布団に入って、互いの頬をつついたり、くすぐりあいをしては、笑いあっていた。天使の様なあの笑顔を、僕は汚せないでいた。
プラトニックラブ。外の人間が、僕らの関係をそう形容した。
が、あれは女の子だけが抱いている幻想だ。…いや、未熟な男も抱いているかもしれないが。
その頃、顔だけは微笑んでいたものの、僕の腹の中では、ずっと、マグマのような、溶けた鉛のような物が沸沸と音を立てていた。
好きな子。…恋人が、こんなに近くにいるのに、抱けない。
雄としての本能と、彼女を守りたいという母性が、胸の中でごちゃごちゃとやり合っていて。結局、何も出来ないままで。
半分苛立ちを覚えながら、半分安心しながら、次の朝を迎える。
目覚めが悪く、胸焼けを感じる、消化不良の朝を。
「あなたは、私が、私を好きになるよりも先に好きになった人。
あなたなら本気で愛せそうなの。」
あの子はそう呟いた。
そう思ってくれるのが嬉しかった。このままずっと、あの子のことを守っていこうと思った。
しかし、ついに事件が起こってしまった。
仕事が上手くいかなかった帰り道。彼女は、居酒屋で一人宴会する僕の傍まで駆け付けた。その時、僕は既に瓶を何本か空けていた。
次の酒、次の酒、と呻く僕の手からジョッキを取り上げて、あの子は飲み干した。
飲めば流れる不安を、彼女が自分の体でもって流そうとしていたのか。それとも単に僕の身を案じたのか。よく分からないけれど。
何杯か飲んだあとに、あの子はとても気分悪そうにしていた。
酒に弱いなら無理しなきゃいいのに。可愛らしい彼女を眺めながらぼんやりと思った。
僕が守るように、あの子は僕を守りたがったのだろう。空回りしてるところがまた惨めで、情けなくて、そして愛おしい。
「ねえ、飲むのやめて、休憩しよう。」
「きゅ、きゅうけいって、ろこれ…」
冷静な判断が出来る僕。酒に弱い、呂律の回らない彼女。
可愛い。人が見ていなきゃ思いっきり抱きしめていたところだ。
僕は彼女の手を引き、ホテルに入って、ペットボトルの水を渡した。
顔が真っ赤だ。流石に身体が心配になる。
「ねえ?大丈夫?」
「うぅ…ぉぇ…あ、ありがとう、心配かけて、ごめん、はっ、はぁ…あの、ごめん、エアコン付けて…」
可哀想に。暑そうにするので、部屋を冷やそうとリモコンを手に取った。
が、ペットボトルに口を付ける彼女が目に入った瞬間、無様にも僕の動きは停止した。
覚束無い唇から漏れる透明な液体、赤く染まった頬、熱に浮かされて涙目になり、苦しそうな表情。
溢れた水が、服を透かして、彼女の股の間にするすると落ちる。
僕の脳も、割とアルコールに毒されていたからか。仕方の無いことなのだが、その時、飲み口を咥えるその動作が、オーラルセックスを彷彿とさせた。
「ぁっ…」
何かがプツンと切れた。
雛鳥に見えていた筈のあの子が、突然、雌に見えた。
これはダメだとハッキリと思った。
変な熱に当てられて、僕はそれに飲まれないように息を止めた。
「ごめん!明日会社だから!先に帰るね!!」
そう叫んで、ホテル代を机に置いて部屋を出ようとした瞬間。
僕はあの子に抱きしめられた。
「…お願い、行かないで、夜が怖いの。色んなことを考えるのが怖いの。眠るまででいいから、お願い。側にいて…!」
泣きそうな彼女を視界に入れてしまってから。
そこからの記憶は、あまり思い出したくもないし、甘い思い出となって蘇る時もある。
僕は彼女を汚してしまった。
天使の羽で花占いをするように、彼女の優しさに漬け込んで、彼女の奥まで乱暴に入り込んでしまった。
…あの子は元気だろうか。
まだ夜を恐れているのだろうか。
あれ以来、罪悪感から僕はあの子に会えていない。
……。ああ、
僕はきっと冷たい奴なんだ。それでいて勇気もない。
最中に喘いでいたのは一体誰だったのだろう。
未熟な雛鳥?それとも、僕の恋人?
……以前、僕の恋愛は庇護欲と並行していた。
なら、あの時、僕は庇護欲無しに、彼女をちゃんと愛せていたのだと、そう思うよ。
僕の愛は、きっと、結ばれた所から始まったんじゃない。
あの瞬間だけは、前からの上下関係は消え、本当の、恋人らしい平等だけがあった。
本当の恋愛は、あの寂れたホテルにあったんだ。
性欲が恋愛だというのなら、きっとそういう事だ。