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「この飛行機はなんという名前ですか?」
「CH750という飛行機で、アメリカのゼニス社が開発した短距離離着陸機です」
「ゼニス社……ボーイングとかエアバスなら聞いたことがありますけど……」
「ホームビルド機の会社ですね」
「っていうことはこの飛行機って自作したんですか」
「ええ」よく専門用語を知っているなと思ったが、直訳で分かるかと考え直した。「私が作りました」しかし、かなり簡単だった。
「へえ……」興味深げにカメラを振り回している。「特別機、みたいな……」
「まあ、ほかの人には使いづらいかもしれませんね」
「改造とかしてあるんですか?」
「フロートという浮船……さっき見た機体の下に二本ついているバナナみたいなものの中に燃料が入るようにして、長く飛べるようにしました」
「……そういえば、一通りは予習してきたのですが、飛行機について教えて頂けませんか?」
「ええ……そうですね……」急いで文を組み立てる。自分が熟知していることを素人に教えるのは意外と難しい。これぐらい知っているだろう、という線引きが意識から消え去って時間がたつからだ。
「まず飛行機の使い分けですが、海外とかに移動したりするときには大きいジェット機を使いますよね。あれでは着陸できないところがたくさんあって、それぞれの滑走路に着陸できるサイズでほとんど種類分けできます」
「これは?」
「ほぼ最小クラスですね。STOL機と呼ばれるもので、条件さえ合えば0mでも着陸できますよ」
「初日に見たのは……えっと、ステイショネァと言っていた……」STATIONERだろう。飛行隊所属の六人乗り程の小型機だ。
「あれはこれより二回り大きいものですね。六人乗れます。割と速い機種も多いので、小規模の観測や測定には向いています」
「それ以上は」
「ビジネスという十数人乗りまでのもの、商業性が強化されているコミューター機、ナローボディ機、ワイドボディ機の順番ですね」
「氷川さんが持っているものは」
「これと、PC-6という、STOL性の高いビジネス機クラスの大きさのが一機、Su-29bisというアクロバット機が一機ですね」
「アクロバットもできるんですか!」
「元々、曲技飛行隊ですから……」
「戦闘機とかはどういう扱いになるんですか?」
吹き出した。戦闘機か……。確かに、一般人からしたら飛行機なんて旅客機とセスナ機と戦闘機だろう。
「乗れはしますが、ちょっと法律上の扱いがややこしいので……。民間機の耐空証明満たしていないので、「試験飛行」という名目になりますしね」
彼女は頷いている。戦闘機に乗れる、というところに突っ込んでこなかったことが少し面白かった。
「さて、そろそろ一か所目ですね」
スロットルを絞る。ここから河口地点を中心に円周を書くように移動する。川は四か所だ。
フラップを下げる。
水平に機軸を保ったまま降下。
沈むに任せる。
スロットル・アイドル。
青黒い海面がせりあがっていく。
速度はあまり落とさない。その方が気持ちよく降りれる。
最後の最後で僅かに引き起こし。上下に揺さぶられながら着水。
滑っていく。速度が落ちるにつれて、視界が沈み込む。
エンジンをかけたまま、後部から棒を手繰り寄せる。座席横のポケットから筒状の容器を取り出す。書かれている番号を確認し、パイプの先端に取り付ける。
カメラのレンズがこちらを向いていた。
「それで水を採るのですね?」
「はい」
「主に、どんなことが検査対象ですか?」
「富栄養化ですね。現在はダムで発生したプランクトンなどがどれだけ影響を出しているかということに主眼を置いています」
「ダムですか……一度作ったら何百年と残る、と学校では習いましたが」
「ええ。この上流のダムはの中には百年近く前に作られたものもあります」基本的に、ダムは一度作ったら壊しにくい。
「すごいですね。まだ現役で?」
「はい。昔は洪水を防ごうという思想が強かったので、そこかしこにダムを造っていたそうです」
「「防災論」ですね。洪水や津波による自然の自浄作用を無視した考え方だと……」
「ええ。ですから今は都市上流にいくつか残しているだけですね」
「ダムに行ったりはするんですか?」
「あまりしませんね。ダムには道が通っていることが多いので」
蓋を閉めて、ポケットに突っ込んでいたポンプを取り出して空気を抜く。と言っても、小さいので二回しか動かせなかった。
「それがサンプルですね」
「ええ……と言っても、要するにただの海水ですが」
「こうやって調査などの場で活動しているのですね。定期的な調査依頼とそれ以外と、どちらが多いのですか?」
「飛行隊から回ってくるのは殆ど定期の依頼ですね。個人の伝手で年に十回ほどは違うのも受けますが」FCSには水上機がないので、この手の依頼の殆どは非常任パイロットがすることになる。
ポケットの中に容器を突っ込んで、ドアを閉める。
「さて、離陸しますよ」
再びスロットルを押し上げた。
「あの……」
「何ですか?」
「敬語だと余所余所しいので、普通に話していただけませんか?」
「貴女は?」少し申し出が意外だったので、そちらを向く。操縦桿を引いた。
「私は年下ですから……」冗談かと思ったが、彼女の顔は真面目だった。
吹き出した。なんてレトロな……。ずっと聞かなかった価値観だった。何とか前を向き、進路を直す。
「なんというか、久しぶりに聞きましたね。その、年下って言葉を」
「そんなに古いですか?」
「うちの飛行隊には見習いなら十代から、上は顧問を入れて八十台までいますがね、年齢を考えたことはありませんよ」年功序列でもあるのだろうか。もう、教科書でしか見たことがない。
「……なら、私も普通にしゃべるので、普通に話していただけませんか?」
彼女がこちらを向いたのが分かった。
横目でそちらを向く。「どうしてですか?」
「敬語が苦手なんです」彼女は微笑んだ。思わず頷いてしまってから、断るべきだっただろうかと考えた。
しかし、彼女は敬語が苦手でもあの微笑みができれば十分だろう、と思った。