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Bush Pilot  作者: フラップ
第一章
5/27

1-3

池に名前はない。大学構内にあるらしいその池には、おあつらえ向きにスロープ状のコンクリート製の浅瀬があるらしい。そこから地上に上がれば、滑走可能距離は大体100m。一般的に、着陸より着水の方が滑走距離は延びる。何しろ、一切ブレーキを掛けられない。

 問題は離水だ。離水した後、すぐには上昇できない。よって、木が邪魔になる。道の上を飛ぶことにした。幸い、幅5メートルぐらいの道がある。

 しかし……迎えに来てくれ、とは予想外の要望だった。しかし、まったくもってまっとうな要求である。なるほど、と一人頷いてしまったほどだ。

 フロートにも燃料を入れるため、航続距離は十分。

 計算が済んだので、サンプル収集器具を事務所に取りに行く。と言っても、かなり簡単な構造である。プラスチック製の容器と、それを先端に固定できる棒。それだけだ。こんな簡単なものを作るのに何万円もするのは法外だろう。計測機器というのは大抵そういうものだ。

 気象予報士の松本雅之のところへ行く。廊下を渡って、反対側の部屋へ。ノックして、ドアを開ける。返事があるのを待っていたら永遠に入れないだろう。

 彼は、天才肌の人間だ。天才すぎて誰もついていけないところがある。気象庁を追い出された、という噂もある。

 「失礼します」

 返事がない。いつものことだ。痩せこけて、骸骨のような顔の男がこちらを向いた。

 「何か?」

 「ええ。この飛行計画で留意点は」

 フライトプランを見てもらう。流石に仕事ができない人は雇えない。優秀な予報士ではある。

 「波の高さは最大36センチほど。海への着水は失速させない。回頭はできるだけしない。他には」

 「一つ、これは違うかもしれないんですが……」

 彼は黙って、ディスプレイへ目を向けた。打ち切るぞ、というポーズだろう。

 「長さ80mほどの池に着水することになりました。注意点があれば」

 「……無い。お前の腕なら大丈夫だろ」

 礼をして、部屋から出る。溜息をついた。あくの強い人間と一緒にいると、染まらないように防衛するため、余計なエネルギィを消費するようだ。

 明日のフライトを予習する。CH750は特殊な操縦桿をしている。両パイロットの中間に、Y字型の操縦桿がある。慣れない間はちょっと違和感がある。他は問題ないだろう。

 機体のコンディションは上々。後はパイロットのコンディションと、天候である。天候は良い。

 早めに夕食をとる。と言ってももう5時。食堂に行く。まだ中杉はいなかった。

 カレーを注文する。結局井の中で混ざるのだから、かけそばもざるそばも変わらないのではないだろうかと思い、麺類が何となく選べなかった。些細なことである。

 どうしてもこのギガフロート内で生活しているとここで食べてしまう。別に探せばほかにあるのだが、なんとなくターミナル内は歩きにくい。

 「明日はよろしくお願いします」というメッセージが届いた。明日早朝離陸して、7時ごろ向こうへ着水する。

 部屋に戻る。鍵を開けて中に入る。異常なし。ベッドサイドに愛機のSu-29bisの写真が貼ってあった。

 目を逸らして、椅子に座る。

 ざっとウェブのトピックを斜め読みして、タブレットを机の上に置いた。フライトプランを同期する。

 必要ないとは思うが、一応拳銃を用意する。

 鮫でも泳いで来たら使うか、とも思ったが、水中ではよほど近づかないと届かないだろう。M629に弾を詰めていく。六発だけだが、六発以上撃つような事態にはなった時点で終わりである。野生動物への威嚇が精々だ。実際に必要になったことはほぼない。

 ホルスターに入れ、それを上着の内側に入れておく。盆を過ぎたとはいえ、まだ海も暖かいだろう。

 布団の中にもぐりこむ。寝つきのいい自分に少しだけ感謝した。


 朝起きて、服を着て、軽く朝食をとって格納庫へ。

 気を利かせた滝がもう機体を出して、点検もしてくれていた。飛ぶ日の朝というのは、もうそれだけでも価値がある。

 機体に乗り込む。機体の点検はOK。エンジンをかけ、誘導路へ。

 信じられないぐらい平坦で長い滑走路だ。どれぐらい水平かというと、水面と同じぐらいに水平だ。あっさりと離陸し、進路を北へ。

 エンジンは絶好調。天気もいい。気分もいいから、最高のフライト日和だ。

 都市上空へ。百キロというのは、飛行機にとってはとても短い。目標を見つけ、そこに向かって降下。

 近くに利根川があったので、あそこでもよかったのではないかと思ったが、どこにあっても水面は水面だ。大学に近い方が良い。

 スロットル・アイドル。

 機種をやや上げる。目標の池は斜め前に。まっすぐアプローチしないことがコツ。

 スロットルを上げる。

 フラップを下げる。

 旋回して、最終アプローチ。

 木々を翼端がかすめる。

 幅十メートルほどの機体がゆっくりゆっくり降りていく。


 向こうからエンジン音を響かせてやってきた。途中でみるみる減速し、自動車ほどの速さに。さらに遅く。

 木を引っ掛けるのではないかと思うぎりぎりの進入。

 60度ぐらい傾いて、まっすぐこちらを向く。水平よりもだいぶ上を向いていたが、むしろ降下していた。

 引き起こして、落ちるように着水。その体制のまま向かってくる。


 軸線を合わせる。

そのまま向かっていく。

落ちるに任せる。ここで手を加えると危ない。

衝撃。

 ブレーキがないので、そこそこ速い。

 だがきちんと減速し、むしろスロットルを開けた。

 ビーチのようになっているスロープに向かう。

 まあまあだろう。


 スロープに車輪が当たり、起き上がるように機首を上げた飛行機はエンジンをふかしてその坂を上り切った。

 スロープからつながる広場に停止した機体。

 ドアが開き、左側の席からパイロットが下りてくる。


 エンジンをカット。車止めをもってドアを開け、降りる。


 「初めまして……氷川時哉です。中杉さんの代理で来ました」

 「はい、お待ちしておりました。水口リアです。わざわざありがとうございます」

 降りてきたパイロットは中年の男で、背が高い。180センチぐらいある。

 「あ、ちょっと待ってください」彼は手に持っていたコの字型の木の板で船のような浮きのタイヤを挟んだ。

 「初めまして、Alley mur murの山田紗彩、副編集長です。今日は取材を受けてくださってありがとうございます。この娘をどうかよろしくお願いします。」

 「いえ、こちらもいきなり担当が変わって申し訳ございません」氷川が頭を軽く下げる。

 「お気になさらずに……あの人…中杉さんはどうなさいました?」

 「あぁ……、防衛機密ですね。」彼は苦笑した。「まあ、わざわざ隠すほどのことでもないんですが」

 「今回は水質調査ということですが、どのような日程でしょうか」

 「湾内の複数の……大体20か所に着水して水質を調べます。以前はボートを使っていたらしいですが、時間がかかるので」

 「わかりました」

 「じゃ、安全事項について確認します。緊急の際は指示に従ってください。シートベルトを外す際は許可をとってください。カメラなども使うときは気を付けて。着水したときですが、私が外に出たときは中でじっとしていてください。重心がずれると拙いので。基本的には外に乗り出すような形で作業しますがね。操縦桿その他の機器類には手を触れないでください。足にあるペダルも同様です」

 「はい」

 「次、緊急事態の対応について。今回使用する飛行機が故障する確率は殆どありません。また、今回飛行する空域は大部分が海上で、どこへでも着水できます。また陸上でも多少のスペースがあれば不時着できます。その場合の注意事項ですが、まず水上の場合。しっかり不時着水できれば危険は殆どありません。ひっくり返ったりした場合も、沈むのに数分かかりますから脱出する時間はあります。次に地上の場合。これは逆に逃げることが大事です。墜落した機体が燃えるのは、燃料が漏れたのところへバッテリーからスパークが出るのが大半です。一応、不時着ぐらいの衝撃なら発火までに少し間がありますから、その間に脱出します。質問は?」

 「大丈夫です」

 「では、行きましょう」

 近くに騒ぎを聞きつけた観衆が増え始めていた。「Alley mur mur」の看板を持ったスタッフが出てきて離陸後の上昇経路を確保した。野次馬が進行方向とは反対側に固まる。

 彼は右側に私を案内し、ぐるっと回って点検してから左側の操縦席に乗り込んだ。

 一発で軽やかにエンジンが始動する。

 期待で胸が弾け飛びそうだった。


 彼女は隣で興味津々に窓の外を見ている。

 エンジンをやや吹かして、車止めを軸に180度回る。一度出て車止めを外し、飛び込む。

 進水。水上独特の揺れを感じながらエンジンをさらに上げる。

 端まで行って、回頭。

 軸線を合わせる。フラップを心持ち下げた。余り下げると抵抗になる。

 「舌をかまないように口を閉じておいてください」

 隣の彼女はカメラを回している。カメラから金属製のバネにぶら下がったペンのキーホルダーが見えた。

 フル・スロットル。

 加速。

 彼女はカメラを何とか持っている。称賛に価すべきことだ。

 キーホルダーが揺れる。

 操縦桿を引く。

 水面が尽きる二メートルほど前で離水。

 操縦桿はむしろ戻す。

 加速。地上すれすれを飛ぶ。

 加速。木と木の間の道を、木よりも低く飛ぶ。

 多少の悪戯で、スナップ・アップで上昇。

 しばらくして、水平に戻した。

 きっと、地上から見たら面白かったに違いない。勿論、普通に上昇しても良かった。エレベータのテストだ、と言い訳を思いつく。

 「大丈夫ですか?」

 「えぇ……」彼女は早くも憔悴した様子だ。「何とか」


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