5-1
エンジンを温め、スロットルを弄る。
絶好調。勿論、エンジンがだ。
元のSu-29でもエンジン馬力が大きかったのに、この機体はさらに四十馬力ほど出力が上がっている。
もうここまでくると、ミサイルに乗っているんじゃないかとすら思える。
アクロバットは、離陸するときから既に始まっている。
走れる距離は500mも無い。勿論、十分すぎる距離だ。
開けた運動場。左右にスタンドがあり、それぞれに液晶パネルがあった。
「さあ、いよいよ始まるあの氷川時哉氏による曲技飛行!実況はこの私、水口レナ
が、解説は航空クラブ所属の片石隆司が務めまーす」イベントに合わせたのか、スカイブルーのドレスを着た実況がハイテンションでマイクに喋る。「片石さん、よろしく」
「よろしくお願いします」がちがちに緊張した若い男が言う。体格が良いわりに声が高い。
「さてまず、アクロバット飛行とはどのようなもので、いったいどんな機体を使うのでしょう」
「はい、まず、アクロバット飛行……正式にはエアロバティックとも言うのですが、これは、ええ、飛行機を宙返りさせたり、わざと墜落させかけたりするショーの一つです」
「アクロバットっていうと……」レナは手元の紙を見る。「航空自衛隊の、「ブルーインパルス」とかなら知ってるけど、それとはどう違うの?」
「全く違います。まず、あれはジェット機を使って、スピード感のある演技をします。奇麗な代わりに、危険度の高いものはやれません。つまり、あくまで通常の操縦の範囲内で行っているということです。しかし、小型の曲技機ではわざと失速させたりして、普通の操縦の外側の範囲の操縦をします」
「ほえぇ」口を開けてレナが漏らす。「失速って何?」
「ええっと……、翼が揚力を発生させなくなるようにすることです。こうなったら飛行機は放り投げたボールのように落ちるしかありません」
「落ちちゃうじゃん」
「いえいえ、そこから上手く回復するんですよ」
「ほえぇ」さっきと全く同じ反応。
「ええっと、レナさん」
「はい?……ああ、こめん。いま連絡が来ました。離陸まであと三十秒、あと三十秒です」
「スピーディですね」
「流石ブッシュパイロット」
「そうですね」
「あと十五秒、カウントダウン!」
なるほど、離陸の時間を決めたのはこういう意図だったのかと感心した。
ブレーキペダルを突っ張り、ちょっとした遊び心でスロットルを前に出し、操縦桿を前に。
プロペラ後流の中で、水平尾翼が押し上げられ、浮き上がる。
機体は前へつんのめるように起き上がり、軸を水平にする。
「あと十秒!十!」
もう一度機器類をチェック。勿論、何の問題も無い。
真横を見る。翼の先端に三角定規のような指示器。それと地上の線を合わせる。
「九!」
スロットルを、機体が動き出さないぎりぎりまで開ける。
「八!」
深呼吸。
「七!」
吹き流しを確認。風はさっきからほとんど変わってない。
「六!」
キャノピー横の、小窓を閉める。
「五!」
スモーク・オン。
スモークオイルがエンジンへ流され、排気が真っ白に。
「四!」
離陸時のシミュレート。一瞬で。
「三!」
エンジンは、寧ろ静か。
「二!」
さあ!
「一!」
エンジンを押し込む。
「スタート!」
ブレーキをリリース。
少しずつ操縦桿を引き、
速度が乗る。
機嫌がいい。
機体も、
自分も、
空も。
地面は後ろへ吹っ飛ぶ。
機体が浮きたがる。
一瞬我慢して、一気に引く。
機体は弾き飛ばされたように上昇。
みんな、上昇すると思うだろう。
だが、スロットルを絞る。
機体は速度を失う。
空中で停止しそうになり、
瞬間、スロットルを一番前方。ラダーを右へ。操縦桿を引く。
ジャイロ効果とプロペラ後流で、機体がくるりと回転し、下を向く。
自分がいま通ってきた軌跡が、白い煙になって残っている。
その翼一個分左を、突っ込んでいく。
地面に、真っ逆さまに。
高度はかなりある。
操縦桿を右へ。
機体は一秒間に一回転以上回りながら降下。
見てろ。
ラダーペダルをエルロンとは逆、左へ。
真っ直ぐだった降下はずれはじめ、それよりも先に操縦桿を前に押し倒す。
機首の方向がずれ、
エルロンを即座に左。
世界が斜めに回り、
正と負は反転。
ロールは背面フラットスピンへ。機体は水平に裏返したような姿勢で回転しながら降下。
スロットルをアイドル、操縦桿を引いてラダーを右。
機体はカクンと下を向く。
フル・スロットル。
爆発的に加速。地面が迫る。
緩やかに引き起こし。
きっとこのまま飛び去ると考えられるだろう。
思いっきり操縦桿を引く。
機体はついて来れずに、機首だけ上げて溺れる。
翼がスモークを攪拌。
何とか上昇に戻りかけたところで、スロットルを絞る。
上昇。しかし、速度はもうほとんどない。
エレベーターを思い切り引く。フル・スロットル。
機首を上げ、そのまま進行方向とは反対側まで向く。
機体は後転するように回り、再び前方へ、すこしスロットルを引く。
フル・スロットル。スモークを切る。
離脱。
速度を上げながら、低空を突っ切っていく。
機首を上げ、宙返りへ。
宙返りの頂点で、ハーフ・ロール。
膨大な荷重がかかる。
耐える。
操縦桿を押し、急降下。
速度が限界に近づく。
スモーク・オン。
きっと、先ほどとは違ってスモークが鋭く見えただろう。
風下へ。
速く、
速く、
そこで、スロットルをアイドルへ。
速度が下げっていくのもお構いなしに、
機首を上げ、操縦桿もラダーペダルも左へフルに切る。
ものすごい荷重。
スナップ・ロール。
機体は猛烈に減速。
そこで終わらない。
機首が上を向いたところで、フル・スロットル。
何とか機首が上を向いた状態で留める。
機体はプロペラの反作用でゆっくりと回り始める。
前進速度はほぼゼロになった。
機体は一点の上を静止して、回る。
翼は全く仕事をしていない。今機体を浮かせているのはプロペラの推力だけだ。
スロットルを絞る。そうしないと上昇してしまう。
五回転して、機体がスモークに隠れて見えにくくなったところでフル・スロットル。
機体は無理やりひっぱりあげられていく。
加速しながら、上昇。
高度は十分。
ここで、スロットル・アイドル。
さっきは、ここで機首を捻じ曲げた。
今回は、そのまま。
減速。
減速。
風切り音がなくなり、
静止。
ほんの一瞬だけ。
さあ、ここからだ。
ラダーとエレベータを使って、姿勢を保とうとする。舵はスカスカだ。
直後、
後ろへ重力に引っ張られる。
機体は真後ろに向かって加速。速度計はゼロを指したまま。
まだ我慢して、姿勢を保つ。
もう無理だ、というところでエレベーターを引く。スロットルを開ける。
機体は水平近くまで回復。
ここで操縦桿を引けば、回復する。
しかし、引き続け、
主翼は失速したままに。
機体は最大限の抵抗を発生させ、ゆっくり地面へ吸い込まれていく。
我慢だ。
じわじわと降りていき、
もう駄目だ、というところでフル・スロットル。
息が切れてきた。
そこでまた、エレベータを引きっぱなしに、
機体は四十五度上を向きながら、進んでいく。
ここでも主翼は失速したまま。
失速したまま、浮かせる。
ここで、ロール。
機首が四十五度上のまま、回り始める。
エレベータとラダーを駆使して、軸線を維持。
そのままじわじわと加速。
やがて、普通のロールに。
スモークを切る。機首を引き起こし、宙返りへ。
また頂点でロール。今度は高いまま進入。
スモーク・オン。
スロットルを絞り、今度は片方の主翼だけ失速させる。
そこで、スロットルをやや開けて、ラダーを左。操縦桿を引く。
機体は水平に、くるくると回り始めた。
落ちていく。
途中で機首を下げ、普通のスピン。
下に降りてきたところで、引き起こしながらロール。円筒形の内側をらせん状になぞるように。
水平に近づいた。
機首を上げ、右ラダー、右エルロン。
木の葉のように翻る。
機体はクルリと素早く回る。機体は振り回されるように小さく周る。一回、二回、三回。
スナップ・ロールだ。
スモーク・オフ。
戻って、引き起こす。
引き起こす寸前で、スモーク・オン、
頂点で、先ほどと同じ、スナップ・ロール。
スモークでハートが描かれた。
下に来たところで、スモーク・オフ。
スロットルを絞る。
そこで機首を上げ、下げを繰り返し、低空を上下にイルカのように跳ねながら飛行し、速度を殺す。
着陸地点へ、そのまま滑空。スロットルを当て、パワーで釣る。
着地。
息が切れていた。
そのまま停止地点へ。
止まり、エンジンを切る。
キャノピーを押し上げ、コックピットのシートの上に立つ。
片手をあげ、ガッツポーズ。
飛んだあとというのは、この程度のサービスをまったく気にしなくなるぐらいに、気分が良い。




