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氷川が舌打ちしたのを聞いた。彼は機敏な動きでPC-6に乗り込む。それを追いかけ、副操縦席に乗り込もうとする。
「お嬢さん、危険だ。ここに居た方が良い」中杉が言った。他の人たちも、どうやら同じ意見らしい。当たり前だろう。乗せたマスコミが巻き添えを食らって死んだなど、間違っても起こせない事態だ。
「いえ、行きます」カメラを持ち上げて、言った。「責任は自分で取りますので、お構いなく」
「死ぬかもしれない」ナツが言った。そう言ったら諦めるだろうと予測している言い方だった。
「承知の上です」微笑んで見せる。それが、自分の最大の武器だと知っていた。
周りが絶句する。
ちょっと脅したら怖気づくだろうと思われていたのかもしれない。
「いいんじゃない?死ぬのはそいつだけだ」新しくやってきた骸骨のような男が言った。よれよれの普段着を着ている。来たのに誰も気づいていなかった。骸骨のような男は続けた。「もう成年だろう?」
ぎりぎり未成年だが、黙っておいた。
「では」今度こそ乗り込み、シートベルトを締めた。
「最初のSTOLにはちょっときついかもしれないね」彼が言う。思わず、吹き出した。
「ええ。初めてなので優しくしてください」彼をちらりと見て、言った。
彼は黙ってエンジンを始動し、寿村が車輪止めを外し、機体は進みだした。
「……余り、そういう事は言わない方が良いね」彼は前を見たまま、言った。「なんだか、自分が馬鹿になった気分になる」サングラスをかけた。紗彩直伝のジョークは効かなかったらしい。
今のうちにカメラの設定を済ませておく。
機体は滑走路へ。
ずっと続いているような滑走路。真っ黒なアスファルト。白い破線が彼方まで続く。
機体は微動しながら加速。
エンジン音は、寧ろ静かに聞こえるようになる。
機首を上げ、空へ。
彼がいきなり操縦桿を左右に振る。視界が左右にロールした。
それが挨拶だとわかるのに、少し時間がかかった。ここからは地上の人たちは全く見えない。
「行こうか」
「はい」
機体は西へ。
彼が自分の方のモニターを弄る。ニュースには、「富士山 噴火直前か」とテロップが流れている。Alley mur murに切り替えてあった。第一大の報道スタジオのようだ。
ヘッドレストを渡される。かぶると、一瞬の雑音の後、声が聞こえた。なるほど、こうやって通信しているのかと納得する。
「This is JASDF. 聞こえてるか、氷川。嘉手納だ」
「聞いている。氷川だ」
「今から通信の補助をする。中継器だとでも思ってくれ。今、AWACSの観測情報を上げる。今一機のE-767と、二機のE-2Dで監視している。状況はどうだ?」
「アンテナが全部立ってるよ」彼は手元のタブレットを見た。確かに、モバイルデータネットワークの通信容量が機器の上限を大きく振り切っている。無線LANも使えるのではないだろうか。
彼はモニターを弄って、3Dの気候情報に変えた。四つの矢印が描かれる。さらにズームアップすると、富士山を見つけた。自分がこの矢印なのかと思い、ちょっとおもしろくなる。
「すみません、スタジオに映像って送れますか?」
「勿論。いいよ」
カメラのスイッチを入れ、スタジオに送る。後どう使うかは、向こう次第だ。
「専門家によると、穴は北寄りにできる可能性が高いそうだ……。つまり、キャンプに近い」
「ああ」彼が答えた。できるだけ通信は邪魔しない方が良いだろうと、黙っておいた。
「何か変わったらまた言う」
モニターがAlley mur murに切り替わった。ニュース部門が特番を組んでいる。急いでカメラを外に向ける。
いきなり、実況を、と言われた。少し焦るが、カメラを外に無け、口を開く。
「都市上空、水口リアです。現在、青木ヶ原キャンプに残された人員6名を回収するために飛行中です。予定ではあと30分ほどで着陸する予定です」カメラを主翼の方向へ。「ご覧ください、このロケットブースターで離陸をサポートします」
スタジオにまた切り替わる。
「さて、現在、青木ヶ原キャンプに取材中の記者、藤田幸晴記者がいます。藤田さん?」
「はい、現地の藤田です。ここでは三日前に避難の予定だったのですが、使用予定の機種だったオスプレイが墜落し、翌日の嵐で延期されました。今朝、自衛隊の戦闘偵察機が低空でやってきました。気流が複雑に、強く吹いているため、当初のAW609も飛行を断念、フェイルセーフ役のPC-6にバトンが回ったというわけです。昨日までに簡易アスレティングワイヤー、えっと……」カメラが反対方向を向いた。木と木の間に、五メートルぐらいの高さでロープが張ってあった。「これです。これに機体のタイヤを引っ掛けて停止する計画です」頼りないくらいに細い。これで本当に停まれるのか不安になったが、氷川はちらりとそれを見ただけで何も反応を見せなかった。
今度は画面は空自の戦闘機のHMDへ。パイロットの視界がそのまま映し出される。今度はアナウンサーが説明した。「航空自衛隊の偵察機の映像を流しています。そろそろ、富士山のふもとに行きます。現地は風下とのことです」
しばらく映像が流れる。途中から、機体が激しく揺す振られるようになった。
「このように、現地は風が激しく、一定以上の速度でないと飛行は困難だそうです」
画面はスタジオへ。
「やばいな……」氷川はつぶやく。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃなかったら今から飛び降りるかい?」
「ご遠慮願います」言って少したってから、吹き出した。
「カメラをしっかり手に固定して。エチケット袋もスタンバイしておきな。恥ずかしがらずにね」
急いでエチケット袋を開いておく。でも、朝食はあまりとっていない。
富士山が見えてきた。
「場違いかもしれませんけど……綺麗ですね」
「ああ。大抵、奇麗なものほど怖いんだ」怖いほど奇麗、という表現をどこかで読んだ気がするが、思い出せない。
彼の方を見る。ジョークを言っている雰囲気ではない。
エンジンは先ほどから余り絞っていない。
彼が自分の方の窓を指した。
カメラを向ける。ずんぐりむっくりした灰色の戦闘機が、隣を飛んでいた。機首が結構上を向いている。
「御機嫌よう、どうだいお二人さん」先ほど聞こえていた空自の男の声だった。嘉手納と言ったはずだ。
「行き先さえ分からなければ最高なんだけどね」
「意味深なことというな」その返答を聞いた隣の彼が噴き出した。
「じゃあ、距離をとってくれ。ぶつかられたら困る」
灰色の機体は翼を四回ほど振って離れていった。機 体の下面が見える。翼を振るのが挨拶なのだろうか。
機首が下を向く。速度が上がっていく。彼はスロットルを絞った。
機体が揺さぶられる。まるで、複雑な空間にゴムボールを投げ込んだみたいだった。
上、下、右、左、不規則に強烈に揺さぶられる。
機体が軋む。分解するのではないか、と思えるほどだった。主翼を見てみる。上へ下へ相当大きく反っている。こんなに反っても大丈夫なのだろうかと不安になった。
よく見てみると、圧縮された側の外板にしわが寄っている。波ができているのである。不安になった。機械のことはよくわからないが、しわが寄ってはいけないのではないだろうか。
これは危ないのではないだろうか。でも、カメラを向け、実況する。上に引っ張られているときはしわは無い。
「翼にしわが寄っています。もの凄い乱気流でっ……す。失礼しました。カメラを回しているのがやっとです」腕がすぐに痛くなる。呼吸も時々途切れる。カメラを膝の上に乗せる。一応、切らないでおいた。
「あとに十分ぐらいだ」スロットルを押し込みながら彼が言った。
モニターを見る。再び藤田のいるキャンプに切り替わった。
「もうそろそろ、偵察機が通ります」カメラは上を向く。十秒ほどたった。画面の中央に、微かに黒点が写る。しかし、それは上空に来るずっと前に上昇し、旋回しながら離脱していった。遅れて、爆音が聞こえてくる。
「あれ……どうしたのでしょうか」ズームして追いかけようとするが、偵察機はお構いなしに遠ざかっていく。すぐに見えなくなった。機体の色さえ分からなかった。
「速報です」アナウンサーが割り込む。画面は切り替わらない。「RF-15jはOver G、つまり制限荷重を超えたので飛行を断念、帰還するそうです。もう一度繰り返します、自衛隊の偵察機は飛行を断念、帰還しました」
息をのんだ。今向かっているところは、戦闘機でも飛べない空域なのか。
「大丈夫か?」
「はい?」
「揺れがきついが」心配そうに彼がのぞき込んでくる。
「いえ、大丈夫です」ちょっと苦しいが、問題ない。
「行く」彼は前を向いていった。「もう喋るな。下を噛むぞ」
黙ってうなずいた。彼もうなずく。彼は僅かに汗をかいていた。
富士山が左に見える。旅客機は絶対に飛ばない富士付近の低空を突破する。
だが、氷川の操縦で、機首方向は正しい方向を保っていた。モニターを見た。「富士山 噴火の兆候を観測」というテロップが流れる。
「Target insight……」氷川がつぶやく。「目標視認。行くぞ」彼はスロットルを絞り、レバーを下げる。駆動音がして、翼を見ると何か垂れ下がっていた。カメラに収める。前方、ずっと向こう。
揺さぶられる。
外から見たら大きい飛行機を、これほどまでに簡単に振り回す。その力が怖かった。
ズームを少しした。
森林に塗りつぶされた大地の中、
白い、点のようなものが見えた。
滑走路とは感じが全然違う。大学の池ももっと大きく見えたはず。
前方に見えるそれは、余にも小さく、頼りない。でも、ズームしてみる。機体が揺れて、ズームしても何も見えない。諦めて、ズームを戻す。
「ワイヤーも見えた。よし」信じられない気持ちで隣の彼を見る。彼女には未だに白い点にしか見えないのに。
ますます機体の揺れが大きくなっていく。
60度程までさえ傾く。一番、ロールが揺れた。
彼の操縦を信じて、カメラを回す。