4-1
元上司の嘉手納からかなり厚かましい要求があった。しかし、彼の要求は大抵後になって正しいと知るものが多い。今日は嵐のせいですることがない。
今、氷川はFCS事務所の、一番大きい会議室に座っていた。北芝ナツから最初に「資料に目を通した?」という確認があった後は、すぐに前置きをすっ飛ばして具体的な対策が話し合われ始めた。しかし、議論の中身が悪い。
つまらない会議も、準備しておくべきか、通常業務で済ませるかという議論が、コストとメリットという、恐らく世界中の議題の殆どが同じ形式で議論されるだろう、というような要因で堂々巡りしていた。
「上の方から要請があった以上、いざって時に出動できないと駄目だ」隊長の北芝ナツが口を開いた。
「こっちは余計な手間がかかるけどね」寿村が反論した。「大体、うちに六人も乗れるようなSTOL機は無いでしょう?」
「STATIONER二機なら?」
「二機も飛ばすのかい?馬鹿々々しい」
「どうしたって備えないわけにはいかないから」北芝が言った。確かに、備えていないといけないが、その前に可能なのか判断するべきだろう。
会議の様子を見ると、政治的な必要性を訴える北芝と、負担を嫌う寿村以外は殆ど議論に参加していない。安全上、整備士に余計な仕事をさせるのは確かに良くない。航空機事故の結構な割合は、無理な整備体制からくる整備不良だからだ。整備士の負担が少なければ少ないほど、安全な体制だといえる。
「非常任パイロットの機体は?」寿村が、こちらを見ながら言った。つられて北芝もこちらを向く。
「非常任パイロットのもね……」FCSとしては、自前の飛行機で対処しないと美味しくないのだろう。勿論、全く持って妥当な反対理由だ。国会議員の後援を受けていると、こういう時に足かせになる。
「裏ボスは何て言ってるんだ?」中杉がナツを見て言った。「まさか、何も言われていないわけじゃないでしょう?」勿論、裏ボスとはナツの夫の大樹のことだ。
「用意しろ、実行した後の失敗は許されない、とだけ」ナツは全員を見て言った。夫から言われたのだろう。
「いつごろまでに実行の可否が出るんだ?」
「4時に先行偵察機が離陸、先行偵察を行う。5時にもう一度。実行不可能の決定はどちらでも出る可能性がある。実行の決定は五時の偵察の後ね」ナツはそこで切る。「つまり、予想されるこちらの離陸時間は四時過ぎと五時過ぎ。情報はリアルタイムで回されてくるわ」
「なかなか我儘な計画だ」中杉が鼻から息を漏らす。「どちらに転んでも、支援センターは称賛を受けるわけか」
確かにそうだ。そのうえ、AW609が人員回収に成功したらこちらには一銭も入ってこない。
「氷川はどう?」寿村がこちらに水を向けてきた。
「気候が良好なら、出番はない。もし気候が悪ければ、そもそもどんな機材でも無理だろう」
「PC-6でも?」中杉が言う。「お前、前10Gに耐えるようにしたいとか言ってなかったか?」
「荷重に耐えても、操縦できなきゃ意味がないだろ」誰かが言った。
「そうね……」ナツは顎に手を当てた。
「今七人乗りになっているから、すぐに使える。ロケット・ブースターを付ければね」寿村が言った。
正直言って、あまり気が進まないが、そう悪いものでもない。嫌なことに慣れた、ともいえる。
「氷川、どう?」ナツがこちらを向く。
「責任をだれが持つのか、費用をだれが持つのか、そもそもなかった場合はどうなるのかについて検討していただければ。あと、受けた観測所への輸送がどうなるのかが分かれば」
「どんな依頼?」
「観測所へ日用品を輸送、帰りに三人ほど乗せて帰ります。あと、取材の申し込みを受けているのでその人を乗せたりもしますが」
「取材?」ナツがメモを見る。「ああ……学生チャンネルの……」
「俺が代わりにやりましょうか?」中杉が言った。
「いえ……ヘリに向かわせる。」
「取材は?」
「緊急事態への備えってことで、一応連れてきてあげて。素材なら渡せそうだから」
確かに、ドキュメンタリーにはもってこいの状況だ。
「じゃあ氷川、明日、午前四時に取材の人をピックアップして。戻って、その人を降ろして。取材はこっちで何とかする。緊急出動の場合、指令系統は支援センターが上になるわ」
「了解しました。寿村さん」
「なんだい?」
「一人分、席を付けておいてください。重量バランスがどうなるかわからないから……。あと、パイロンに吊り下げるロケットブースターが落ちるように」
「いいよ」
「氷川」ナツがこちらを睨む。
「はい」
「万が一、着陸前に噴火した時は?」
「逃げます」
「うん……」珍しく、歯切れが悪い。「そこは、その時々の状況で判断して」
「はい」
「松本」
返事はないが、顔がナツを向いた。
「状況に関して、何か言うことは?」
「火山灰は高温だ」顔をこちらに向けて、喋り始める。「おそらく、呑み込まれたら大体三分でエンジンが止まる。中は全体的には上昇気流で、時々セントエルモの灯が見えるだろう」
「セントエルモの灯?」誰かが声を上げた。
「青く発光する放電現象。本来は雲の中で見える」中杉がすかさず解説を入れた。
「三分だと、大体500mは登れる」概算を言った。
「それまでだ。後は光がなくなって、場合によっては電波も磁器も使えなくなる。周り中、鉱石だらけだからな。呑み込まれそうなら、高度が上がる前に不時着して息を潜めた方が良い」
「分かりました」
「解散」ナツが手を叩いた。
まだ立たずに、考える。
着陸前、噴火したら本当に逃げなければいけないだろうか。
もし着陸距離を数メートルで止められれば、そのまま離陸できる。勿論、PC-6のままの能力では無理だ。
だが、海軍の空母のように、ワイヤーを向こうで掛けてもらっておいて、そこに尾輪を引っ掛けられれば可能かもしれない。普通なら無理だが、自分ならできるだろう。
向こうで複数の木に掛けるようにして、摩擦で動きにくく渡したロープに、急な引き起こしで尾部を下げた状態で、後部をロープに叩きつけるように掛ける。
空母の場合は、専用のフックを、緩衝装置付きのワイヤーに引っ掛けている。
メッセージで、寿村に送っておく。余り、時間がない。
次に、前に中杉に見せてもらった番組を思い出した。青木ヶ原キャンプにAlley mur murの記者がいるはずだ。その伝で頼もう。
飛行は明日朝。飛行前の準備というのは、飛行時の行動の十倍ぐらいに重要なファクタだ。
メッセージで、水口に明日の予定を送る。すぐに、藤田の連絡先付きで戻ってきた。そこへ通話を繋げる。
「もしもし」
「もしもし、Alley mur murの藤田です」
「FCSの氷川です。明日の、フェイルセーフ役です。少々お話があるのですが、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「着陸するときに制動に使う、ロープを木と木の間に張ってほしいのです。地上から1mの高さに、広場の風下から5m程の所へ。ロープは固定せずに、摩擦で人が引っ張っても動かない程度にしておいてほしい」
「お安い御用だけど、垂直離着陸機が来るって聞いるよ」
「無理だったら、の話しです。安定性のために、速めの速度で進入しなければいけない。これはAW609には難しい」
「わかった。やっておこう」
「ありがとうございます」
通話を切る。やはり、伝があってよかった。なかったら、信じてもらえなかったかもしれない。
次に、自衛隊の体制を確認しておこうと、嘉手納に通話をつなげた。
「はい?」
「氷川です」
「おお、受けてくれる?」
「なし崩し的に。そちらの体制は?」
「相変わらずだよ。俺がF-35で電子支援、RF-15が偵察、E-767がフェイルセーフ」
「分かりました。どのぐらいの距離ですか?」
「RF-15は一当てしたらすぐに戻る。B-767は太平洋上でくるくる回ってるとさ。俺はまあ、火山灰に突っ込まん程度に」
「分かりました。すべて単機で?」
「ミサイルも敵機も来ないからな。単機だ」
「分かりました」
仕事はできるんだよな、あの上司と思いながら通話を切る。放置していた水口からのメッセージを見る。
「水口です。
明日朝四時に「柏フライングクラブ」ですね。河川敷なので、特別に車を使う許可が下りました。小型車には余り乗ったことがないので楽しみです。
緊急待機ですか。お邪魔になるかもしれませんが、よろしくお願いします。
藤田編集長の連絡先は張り付けておきます。
よろしくお願いします
水口」