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今日いきなり、偵察機の飛行ルートに青木ヶ原キャンプが追加された。嵐だから、高空からちょっと見るだけだろうが。
基地からRF-15Jが飛び立つ。1970年代設計、実に80年以上も前の設計の、ある種「古典機」に入れるべきではないか、と思うような機体だ。当時は最新鋭だったのである。言ってみて気づいたが、なんだって当時の最新鋭か。ここ浜松基地は飛行教育部隊や後方部隊、偵察部隊などが展開している。一番の問題は間違いなく、噴火した時にここも完全に火山灰降下地帯だろうということだ。今現在、最低限の飛行機以外は強化格納庫内に格納している。今飛んで行ったRF-15Jはその数少ない例外だ。
航空優勢戦闘機から、火器管制装置の大半と機銃を取り外し、カメラなどを取り付ける、というのが近頃の有人偵察機の「定石」だ。他殆どは人工衛星か無人機に置き換わっている。無人機が使えないのは、電磁波が出ることや火山灰で電波がさえぎられることが予想されているからだ。自律型では、ちょっと融通が利かなさすぎる。
全く……いくら「防災論」並みの強行ができないとはいえ、今でも噴火一つで右往左往か……。まあ、上手くいけば問題は少ないだろう。偵察ルートに加わった青木ヶ原キャンプが気になるが。
嘉手納義一はそう思いながら、報告書をめくっていった。富士山周りの気流は今のところは良好、嵐が近づいていることを除けば正常だということだ。最大Gは4G。途中でアクロバット的な何かをしてきたらしい。備考欄に何も書かれていないから、風でかかった荷重ではないことは確かだ。
キャンプの人員は六名。陸自の双発ヘリに委託しても良かったが、外住者支援センターが依頼してこない限り上は許可を出さないだろう。勝手に動いたら、それこそクーデターと同じである。しかも、ヘリは飛行機よりも風に弱い。飛行機だとオスプレイが飛行禁止になったばかりである。
オスプレイが飛行禁止になったのはかなりの痛手だったな、と今更ながらに感じる。強風山岳地帯にレスキュー隊を出して、二次災害を起こすわけにはいかない。しかも悪いのが、現地が民間飛行隊に依頼を出したことだ。否、悪いとは言わない。寧ろ、当たり前の行動である。地域二番手の飛行隊で、機種はAW609。オスプレイの小型版のようなもので、機体重量に対するエンジン出力がヘリともオスプレイとも比べても大きいのが長点だ。かなりの風でも、これで何とかするらしい。
嫌な予感がした。
勿論、根拠がある話ではない。しかし、事故と飛行停止、嵐さらに噴火と重なると嫌な予感がぬぐえない。彼自身、この手の状況で通信関係のバックアップをするF-35電子戦支援機のパイロットだ。自分が関係することだけに、慎重になってしまう。空はもう暗く、雨も降りだしそうだ。宿舎に帰ろうかとも思ったが、思い直して友人に通話を掛けた。元部下で、今は民間に降りたパイロットだ。
「もしもし」
「はい、FCSの氷川です」
「ああ、嘉手納だ。息災か?」
「ええ。何の用でしょう」
「相変わらずだな」
「何の用でしょう」
「急かすな……青木ヶ原キャンプのことだ」
「あぁ。近所のAW609が色々やってましたよ」
「それなんだがな……どう思う?」
「は?」
「成功すると思うか?俺はちょっと疑わしいと思っているんだが」
「奴さんたち、やる気みたいですよ」面倒くさそうな声が返ってきた。「大体、そっちにはちゃんとした専門家もいるでしょう?」
「そっちの麒麟児は何と言ってる?」
「麒麟児?」
「松本だよ。気象予報士の松本」
「特に何とも。彼は専門外は基本無視する方向ですから」確かに、専門外は無視しそうだ。
「お前なら、いけると思うか?」
返答は無かった。
「どういう意味です?」警戒している声だ。どうも、パターンが読まれているな、と思う。
「お前なら、青木ヶ原キャンプに着陸して、逃げてこられるか?」
「噴火しなければ」
「噴火したら?」
「着陸前なら、無理でしょう」
だろうな、と思う。火山灰の中を飛行するというのは自殺行為だ。だいぶ前に旅客機が火山灰の中を飛行して全部のエンジン出力を失い、命からがら帰還した例もある。確か、イギリスのジャンボジェットだ。
「どこら辺が無理だ?」
「まず、追いつかれそうです。飛行機の速度自体より遅くても、こっちは下手したら火山灰の中を飛ばなきゃいけない」
「つまり?」
「着陸する五分以上前に噴火されたらちょっと間に合わない。風上に向かって進入して、着陸して、タキシングして風下に引き返して、人を乗せて、ロケットブースターで離陸する。どう控えめに見積もっても、十分は必要です」
「続けて」
「噴火して、時速五十キロで火山灰が進んだら、キャンプに到達するのに12分ほど。時間的な余裕がほとんどありません」
「それがスラスラ言えるってことは、準備していないわけじゃないんだろう?」
スピーカーの向こうで、舌打ちをする音が聞こえた。
「ええ……でもあそこは飛びづらい」
「ああ」
「あそこは魔の空域なんですよ。聞いたところ、あそこの飛行隊はどちらかというと海向けで、山岳地帯には不慣れだ。そんな奴が低空であそこを飛ぶなんて」
「今のところ、偵察機には異常がないが」
「ええ。今は嵐が近いですからね。一番怖いのは、晴れ渡っている時です」
「どうして?」
「飛んでみればわかります」向こうで溜息をつく音が聞こえた。「大体、その日は依頼が入っています。明日でしょう?今日は無理だ」
「そうだね。ありがとう」
電話を切った。やはり、彼は反対のようだった。あいつのことだから、フライトプランはもう出しているだろう。サーバーから取り寄せ、開いた。こういう時、航空自衛官の肩書は便利だ。
フライトプランによると、一度利根川上空まで行ってから、群馬の小規模観測所へ輸送に行くらしい。時間は六時離陸だ。目的の観測所の位置も割れた。割と人数が多いから、恐らく機種はPC-6。あいつが十年前にどっかの軍の払い下げを受けたものだ。
例のAW609の離陸も六時。
基本計画は、こうだ。まず、先行偵察機RF-15JとF-35電子戦支援機、つまり自分が離陸する。偵察機は先にAW609の飛行ルートを高速で飛行し、そこで収集したデータをF-35経由で司令部に送り、状況を判断してAW609に出動命令を出す。AW609はルート通りに飛行し、青木ヶ原キャンプに着陸、人員を回収して離陸し帰還する。
多少杜撰な計画だが、まあ及第点だろう。計画通りに行けば。
もしここに氷川のフェイルセーフがあればなお良いだろう。だが、一自衛官の権限では勿論そんなことはできない。なら、氷川の離陸を、計画が実行できるか判断するまで止められれば、何とか緊急依頼をねじ込むことも可能だろう。ルールというのは、それほど重要ではないときにはかなり大きなウェイトを占めるが、重要な局面では決まって効果が消失する。
つまり、最低でも7時までは彼の離陸を遅らせなければならない。
フェイルセーフの青写真は、AS609が計画を実行できなくなったとわかった時点で氷川を離陸させ、青木ヶ原キャンプに向かわせる。氷川は少々社会常識に欠けるところがあるが、腕は本物だ。多分、最悪火山灰の被害が少ないところへ退避するぐらいはしてくれるだろう。青木ヶ原キャンプは最大1m程の降灰が予想されている。だが、50キロ離れれば半分以下になる。
氷川は気づいていなかったのか、わざと言わなかったのかわからないが。そもそも、山頂から噴火する可能性はかなり低い。噴火は弱いところから起きるからだ。中々予想がつかないのもこのせいだ。火砕流だってある。噴火したら終わりという計画に近い。だからこそ、彼に頼みたいのだが……。流石にすぐに通話するのははばかられたので、メッセージで一時間離陸を遅らせるように言っておく。観測所への根回しなども行っておこう。