3-2
「さて、息抜きに飲みにでも行きますか」紗彩は水口姉弟の肩を叩いた。リオンはどうせレナを説得したらついてくる。
「いこー!」気の抜けた声でレナが叫ぶ。
「まあ……いいですけど……」
「Everybody go!」レナがリオンに跳び付いた。黙った頷き、リオンはレナの頭を撫でた。
なし崩し的に、そこにいた人全員が出ることになった。ドキュメンタリー部門特有のフットワークである。主に、この空気を作ったのはツートップである自分と藤田だ。
大抵の組織の場合、行きつけの店というのが存在する。
アルコールが飲めるところで、かつ酔った状態でも生還できる距離にある店というのは意外と少ない。この場合の距離というのは、実際の距離と、曲がり角の回数の積を指す。
御多分に漏れず、第七大のAlley mur murにも行きつけの店が存在する。
当の行きつけの店、「トカチ」で、最初はごく真面目に仕事の話をする。アルコールが回ってきたところで自然に宴会になるという寸法である。
「で、芸能のほうはどうなりそう?」リオンに訊く。彼女は殆ど酔わないが、僅かに口を開く回数が多くなる。
「第三大ですよね……」彼女は水割りを啜る。「日程さえ合えば、大丈夫でしょうけど……学園祭だと、向こうも使うので難しいです」
「向こうは芸能人が集まるからね……でも過密状態で分散したいって言ってなかった?」
「言ってるのは首都大連合本部です。第三大は儲かってますから、余り乗り気じゃないようです」
首都大連合の、第一から第七までの大学は秋の三日間、一斉に学園祭をする。芸能に強いコネを持つ「Alley mur mur芸能科」がある第三大は、最も来場者が多い。というか、多すぎて消化しきれていない状態にある。
首都大連合は、在籍していれば連合内のどこの単位でも取れる。勿論、移動の手間を考えなければ、だが。だから、志望生は好きなところの学園祭へ行く。アイドルやらお笑い芸人などが出演する第三大は学園祭とライブと余興を一気に楽しめるスポットなのである。
引き換え、第七大のAlley mur murの担当はドキュメンタリー。取材対象がショーに向いている人材とは限らない。だからこそ、氷川を呼ぼうという話になっているのだが……。
「学園祭じゃないと人は集まらないわよね……」彼女は思案する。
来場者各自の端末に転送する、ということが一般的になった今でさえ、一つの大画面を集団で見ることの集客効果は高い。映画館が未だに少数残っているのと同じで、ありきたりに言えば「臨場感」を求めている顧客は多いのだ。それが祭りなら尚更。
「うーん」唸る。「アキバあたりに良さげなところはないかしら」
「リースですか?」少し驚く。自前のもので何とかするのが、小規模営業の鉄則である。「費用を回収できますか」
「そこよね」
「で、そこまで知ってるってことはレナから押し付けられたの?」
意地悪な質問だ、と自分でも思った。
「はい」表情を変えずにリオンが頷く。
ちょっとがっかりして、隣のレナを見る。塩を掛けたレタスのような状態でリオンに寄りかかっていた。
リアは先ほどからウーロン茶を飲んでいる。レナが最後まで起きているところも、リアが撃沈しているところも見たことがない。正反対な姉弟である。
「食堂とか、廊下に設置する小さなのなら確保したんですが」
「仕方ないかぁ。まあ、現場が広いからそんなに必要ないかもしれないし」
「はい」
「紗彩さん」向こうから声がかかる。
「はい?」
「飛行機がくるって……具体的に何をするんですか?」
「それはまぁ、宙返りとかね」
「分かりませんよ、それじゃあ」
「明々後日リアが行くわよ」
「乗るんですか!?」向こうから大きな声がかかる。画面にも映るリアは意外と人気者である。
「え!?」リアがなぜか驚いた顔をする。
「貴女が驚いてどうするの……当たり前でしょう?」
「10Gとかかかるんですよ!?重力の10倍ですよ?」
「当たり前でしょう……物理取らなかったの?」
「そうじゃなくて……」
「大丈夫よ。あなたの曾爺さんてパイロットでしょう?」
「旅客機のです」リアが即答する。
「大丈夫。心配だったら相手に「初めてなので優しくしてください」って言えばいいでしょ」
何人かの生徒が視線を逸らした。何と勘違いしたのか気づいて思わず吹き出す。
「中学生じゃないんだから……」
「副編集長!編集長とはどうなったんですか!」
「黙りなさい、ぶん殴るわよ?」
「え?進展なしですか?」女子スタッフが口を手でふさぎ、目を大きくした。「あり得ない」のジェスチャーらしい。
とりあえずそちらに箸を投げつける。コントロールが狂って隣の誰かに当たった。
「見た目は野生児なのに……」懲りない奴がまた声をあげる。持っていたグラスを振りかぶったら黙った。
誰かが大声で笑い、だれも笑わないのを見て黙る。沈黙にいたたまれなくなって吹き出してしまう。
宴会としては素晴らしいほどの秩序を保っている。もし藤田がいればここはカオスなアマゾンになっていたに違いない。
「話し戻すんですが、飛行機ってどんな名前ですか?」
「え?」よく見ると工学部のスタッフだった。「えっとね……エスユーにじゅうきゅう」
「スホーイって読むんですよ」
「SUで?普通Sでスじゃない?」
「英語じゃなくて、ロシア語」
「ああ……」
「世界最強のアクロ機ですね」彼はもうこちらを向いていない。そのうえ、リアぐらいしか聞いていない。「八メートルちょっとで、800キロぐらいの機体に400馬力のエンジンを積んでる。ドイツのエクセトラに比べても勝る位」
「いや、そもそもエクセトラ知らないし」
「MSX-R位知ってるでしょ」
「いや?」
「ほら、高端パイロットが乗ってた」
「ふーん。あなた、当日解説ね」
「えー?」
鼻を鳴らして、グラスを傾ける、が、先ほど振り上げた時にすべて零していた。舌打ち。
お代わりをついで、溜息をついた。
「大丈夫ですか?」リアが声をかけてきた。
「そうね……そろそろお開きにしましょうか」秩序を保っていたのはここ一帯だけで、奥の方は人間性を失っている。アルコールには本能を億年単位で退化させる機能があるのだろうか。「リオン、そこのリトルレディーをよろしく」
「はい」隣のレナを抱き上げたリオンが言った。突っ込みがない。
「襲わないようにね」
「襲ってくるのは向こうです」
どうも、酔っているみたいだ。否。そんなことはずっと前からわかっていたこと。
数人撃沈しているのは皆で分担して引きずっていく。
唯一ぴんぴんしているのはリアだけだ。しかし、彼女は力仕事には向かないぐらいに小柄だ。
「貴女は元気でいいね」嫌味を言う。
「ええ」通じなかったようだ。どうも最近空振りが多い。「ごめん、私のバッグからケース取って、中のカードで払っといて」
「はい」両手は生憎二人の女子の肩で埋まっている。彼女は私が肩にかけているバッグからそれを取り出して、支払いを済ませた。
「幾らだった?」
「レシートは入れておきました」
「ん」
百鬼夜行のように事務所に戻り、解散になった。リオンは彼女に縋りついているレナの腕を取って寮の方へ歩いて行った。
事務所には藤田が各地から持ち帰ったヘチマたわしやら絹糸やらが至る所に、前向きな言い方で言えば展示されていた。各地から送りつけてくるのである。
「あ、思い出した。来てるかな」リアはタブレットを取り出した。
覗き込む。
「氷川です。
Su-29bisの燃料代のお話でしたら、250リットルほどで大体五万円ほどです。
依頼料ですが、Flying Challengers’ Squadronでは緊急の依頼の場合はいるパイロットは出動しなければいけません。基本的に、休日と個人で依頼を受けた場合のみ、依頼の場合は報酬の十パーセントを収めることで時間が確保できます。
今回の場合、報酬から燃料代を出すとして、総報酬の10パーセント+燃料代を出していただければOKです。この場合、55556円になります。勿論、何回も、となれば変わってきますが……
以上が、必要経費です。よろしくお願いします」
「ぼったくりすぎね……」呟いた。
「え?」
「あぁ、違う違う。私たちが、よ。どう考えても、普通こんなので済むわけがないじゃない」
「どれぐらいなものなんですか」
「遊覧飛行だと、三十分二万円ぐらいだけど、一日仕事になるし、求められる技術が半端じゃないから、低くても100万からよ」
「はあ」
「値段を吊り上げないとね」
「どうしてですか?」
「長続きしなくなる。第一、向こうはこっちを見下しているようなものよ」
「え?」
「学生だから金がないだろう、って」
「いや、そんな悪気があるような言い方……」
「悪気がなくてもね。明るみに出た時に批判されるのはこっちだから。「学生という身分を悪用して暴利をむさぼっている」って」
「どうするんですか?」
「まず、正式な依頼として成立させる。今動かせる金は……」
「あ、これです」彼女がファイルを送ってきた。
「無許可で2000万、会議に通せば2億ぐらいか」
「そんなにあるんですか?」
「芸能なんてもっとあるよ」彼女はため息をつく。「あと、縛る、という意味もある」
「縛る?」
「報酬が巨額なら、賠償も巨額になる」彼女は微笑んだ。こういう時に微笑めるようになるということが、つまり大人になるということだろう。
文面を作成する。