第三十九話
「行くぞ!」と勇ましく宣言したはいいが、ヨハネスは直ぐに苦痛に身をよじりながら、その場にへなへなと崩れ折れた。アルディアがさーっと近寄って行く。そしてヨハネスの手をじっと握り返した。
「いけません! わたしが許さないわ!」
「だけど、兄さん達が・・・・・・」
「今のあなたの状態では、かえって足手まといになるだけです!」
とアルディアはキッパリと言ったが、ついでに「それに、わたしはあなたを失いたくない」と呟いた。
「ンだよォ〜、泣けるじゃねェの。つーか、もう、見せつけるなってンだッ」
エルスが、両手をわざと自分の目に持っていって、そう叫ぶと、
「あんたみたいな奴にゃ、そりゃ照れるでしょうね」
と、プシュケが揶揄した。
「ま、わたしも散々当てられていますが」
シスルも赤毛を掻きあげながら、ふーっと溜息を付いた。
「ごめんなさい……そういうわけでは」
「って、結局、そういうわけでしょ? ふぅ、暑い、暑いっ!」
プシュケはアルディアに向って、手を振って見せた。ヨハネス一人が、苦悶にのたうっていて、彼らの会話には加われなかった。
突然アルディアが立ち上がると、ずっと先の方を見据えた。
「何かがやって来ますわ!」
「えっ?! それって、邪悪な物なの?」とプシュケ。
「またかょォォォ!」と大袈裟に嘆く、エルス。
「お静かに!」
アルディアは二人のガキ達を睨みつけた。
「誰が、邪悪な物だといいました? 違うわ。何か、こう……」
アルディアが御しまいまで言い終わらない前に、突如として矢のような小さな物体が穴から飛び込んで来て、ヨハネスの頭上に留まって浮いた。
「あ!」
「ええっ!」
「なに、これ!」
驚くエルスとプシュケとシスルに向って、アルディア一人が狂喜して叫んだ。
「ヨハネスの指だわ! 切り落とされた左手の小指! オパールの指輪もある! ああ、これでヨハネスは救われる!」
三人が目をこらして見ると、確かに燦然と輝くオパールの指輪をはめた小指が、空中に漂い、愛しい人を待っているかのように、ヨハネスの周りをぐるぐると廻りだした。
「ヨハネス! おいッて! 起きろよォ、起きろッてンだよォ! あんたの愛しい小指がやって来たぜ!」
エルスの言葉にヨハネスが反応した。「こ・ゆ・び?」
「あなたの力の源でしょ?」
と小馬鹿にしたようなプシュケの声が響いた。
「小指ちゃんのほうから、あなたを求めてやって来たみたいですよ」
「それは! あ、ほんとだ! ありがたい!」
「お母様の霊があなたをきっと見守っていらっしゃるのよ」
とアルディアだけが茶化さずに真面目に答えた。
「さあ、左手を差し上げて、ヨハネス!」
アルディアに促されて、ヨハネスがかろうじて左手を空中に差し上げると、小指は真っ直ぐにヨハネスのもとに向った。それはまるで、迷子になっていた仔犬が、主人を見つけて尻尾を振り振り駆けて来るように……。
ヨハネス=オスティスの切り落とされた小指が、すすーっともとの左手に近付くと、糊で付けたように、ピッタリと張り付いた。その途端、ヨハネスの体内に流れたエネルギーの量は今までオパールが溜めていた分物凄い量であり、忽ちの内に彼の細胞の隅々にまであふれ出た。
ガガガガガーーー!
ヨハネスの吠え声が轟いた。彼の身体は赤く眩い火の玉となって、それが獅子の形と変化し、見る見るうちに大きく明るく辺りを照らし出した。
アルディアは仰天して、変化したヨハネスを見上げていた。今までの弱々しいヨハネスしか知らなかったアルディアは、心底畏敬の念を抱いたのだ。
「これが本当の『赤獅子様』ですわよ、アルディア様」
シスルが誇らしげにそう言った。
「それは分かるわ。でもだったら、わたしの守護者は確か指か一本欠けている者だと……」
「ヘン! これだからァ、お姫様はだめだッつーのッ」
エルスはアルディアに向って、初めてニッと笑いかけた。
辺りが漆黒の闇に包まれている中、サスキアの不気味さは、さすがに歴戦の英雄のアズライルやウェレ、そしてイマナを震撼させた。並みの者ならば、とうの昔に腰を抜かしているだろう。
「サスキア……」
アズライルは呆然として、紫色に変色した、見るもおぞましいサスキアを見つめた。
「おい、アズライル。あいつはもう“サスキア”じゃない! 地獄の亡者とでも形容するほか無い化け物になったのだ!」
とウェレがアズライルの肩を小突いた。
「第一、サスキア様はもう生きてはいないわ。あいつは死者よ! 相手にしちゃダメ!」
イマナもそう叫ぶと、忽ちの内に戦闘体勢に入った。
「うっふふふふふ。あの皇女が信頼していたティラが、まさか邪神様を復活させようとは、さすがのあなた達も考えもしなかったでしょう? ティラはアルディア皇女を騙して連れ出し、兄のメフィストフェレスに取り憑いた邪神様と結婚させるつもりだった。そして邪神様の生け贄にしようとしていたのよ。うぉっほほほほほ! でも、とんだ邪魔が入った物だわね! こうなれば、みんな束になって、あの世にお行き!!!」
双方は、闇の中相対峙した。じりっじりっと邪神とサスキアが近付き、こちらの三人の額には、なぜか冷や汗が滴り落ちて来ていた。どこかぞっとする冷気が三人を包み始めたのだ。
「こ、これは?」
「これはね、わたしを振ったアズライル、良くお聞き! 憎悪の生む冷気なの。あなた達の力を封じ込める為の!」
確かに三人の力は、氷のような冷気に包まれ、身動き取れになくなってしまっていた。
「やばいぜ、アズライル」
ウェレがそう呟いた時だった。暗闇を裂き、真っ赤な炎に包まれた何かが突如現われたのだ!
「『赤獅子』がぁ! なぜ?!」
サスキアの悲鳴が、辺りを切り裂くように響き渡った。