第三十一話
「なるほど、『縛砂の地下空洞』か。まさかこんな辛気くさい場所がアジトだとはな……」
アズライルが呟く。石造りの狭い通路を、ヨハネス、アルディア、シスル、イマナ、ウェレが縦隊を組み、慎重に歩いている。
ランプの灯りは二つ。先頭を歩くアズライルと、しんがりを歩くウェレが持っている。
現在、ヨハネス一行は、シャラグリア城の地下に展開する『縛砂の地下空洞』と呼ばれる場所を歩いていた。
「兄さん。『縛砂の地下空洞』って、何?」
「ここの俗称だ。元々シャラグリア国には水路があったんだが、今じゃ封鎖されてしまっている。ここは過去の遺産とも言える」
ヨハネスの問いに、アズライルは間髪入れずに答えた。
「んで、水路を国中に広げた為、中は迷宮になっている。これが縛砂たる所以だ」
続けて答えたのはウェレだ。傷は癒されたが体力は戻っていないらしく、少し顔色が悪い。左目には、包帯が幾重にも巻かれてある。
「そして、この『縛砂の地下空洞』は。……箱の沈んだ湖の近くまで繋がっている」
再び、話がアズライルに戻る。
「平和で、他国に閉鎖的だった時代があった。枯れない湖と呼ばれる水脈が存在していたお陰で、人々は食料の供給以外に他国に関わろうとしなかった。だが、閉鎖的空間と呼べる場所には、必ず上下の差が生まれる。こうした怠惰的なイデオロギーは奴隷を生み出し、貴族は何もせずにのさばっていた」
そこで、イマナは表情を曇らせたが、アズライルは構わずに続ける。
「人の下にいる事しか出来ない奴隷が安い賃金で働いている事に対し、人の上に立つべき貴族が何もしない。やがて募ったフラストレーションは行き場を国全体に向かい、結果、反乱が起きた。それが六代前の話。
五代前の王は他国との共存を誓い、水路を断った。一時的にあちこちで内紛が起こりはしたが、数年もしない内に雲散無償した。皆が皆、政策の意義を理解したんだ。
そもそも、油田が豊富なこの国は、閉鎖的である必要がない。他国との交流を深める事で人々の流通も良い。実際、開国時代より、この国には移籍者が増えた。かくゆう俺やオスティス、お前も、異邦の血が流れている」
だから肌は黒くはないだろう、とアズライルは笑った。
「祖母や母さんが異邦人なんだよ……って、まぁ、こんな話はいい。続けるぞ。
そうして水路が封鎖されてからというもの、ここはしばしば、盗賊のアジトとして使用される事が多かった。今じゃ“闇”が使ってる様だが。
『縛砂の地下空洞』は広大だ。追い詰める事の出来ない場所は時として鉄壁の城を落とすより厄介だ。だが、メリットばかりじゃない。デメリットもある。周りを良く見てみろ」
ヨハネス、アルディア、シスルが辺りを見渡す。髪の毛が付着した白骨を発見した。
『うっ……』
異口同音に呻き、三人同時に口元を押さえる。
「ちょっとでも迷えばああなる訳だ」
「兄さんは……道分かってるの?」
「一応、水路開拓の見取り図は頭に入ってるよ。今現在、どこにいるのかも分かってる」
コツコツと、人差し指でアズライルは自らの頭をつつく。記憶力にはかなり自信がある様だ。
それから暫くは、皆無言だった。ただ黙々と曲がりくねった道を歩む。
やがて、広い部屋にたどり着いた。
「……お出迎え、か」
アズライルが呟く。
天井はやけに高く、果たしてここが本当に地下なのか、疑いたくなる。部屋というよりは広場に近く、壁に等間隔に設置されたランプには、火が灯っている。
「お待ちしておりました」
広場の中央には、サスキアがいた。不敵な笑みを浮かべ、ドレススカートを摘んで丁寧にお辞儀をする。
「よくぞここまでたどり着きました。奥では『ある方』がお待ちになっていますので、どうぞお早めにご足労願います」
「……こっからは、お前が道案内でもしてくれるのか、サスキア?」
ランプの火を消し、アズライルが問う。
「いえ。はじめはそのお役目を仰せつかっておりましたが、予定が変わりまして。私は言伝を託されただけに過ぎません」
「ことづて?」
「はい。あの方が『ただ全面戦争をするだけではつまらない』と仰りまして、これからある催し(ゲーム)を行います」
造形の整った――いや、整いすぎた――非の打ち所のない完璧な笑みを浮かべ、サスキアは再びお辞儀をした。
だけど、それは完璧であるが故、人が浮かべる事の出来る笑みではなかった。
「ゲーム、ね……。バカげてるとしか言えないわね」
沈黙を保っていたイマナが、フンと鼻を鳴らす。サスキアは全く動じず、ただ淡々と続ける。
「あちらをご覧下さい。ここから行ける通路は、全部で四つ存在します」
サスキアが手をかざす方向を見てみると、確かに、四つの通路がある。
「この道はどれも、『あの方』がいらっしゃる部屋に続いています。どこを通ってもそれは変わりません」
ウェレが手に力を込める。左手は、包帯に包まれた左目に、ゆっくりと触れる。
「ですが、ここから先へは、一人ずつ通って下さい。通路の途中にはここより少し小さな広場が存在し、対象目的が待ち構えています。それを一騎打ちで打ち負かす事が、催し(ゲーム)のルールとなっています」
「その必要はねぇな。俺が空間移動でひとっ飛びすれば――」
「もしルールを破った場合、それはオスティスの小指と指輪が永久に砂漠に沈む、と考えて下さい」
グッ、と。今まさに空間を『繋げ』ようとしていたウェレの動きが止まる。その様子を見ていたサスキアは、やはり完璧な笑顔を崩さない。
「はい。サスキア様。質問があります」
緊張感など欠片もなく、シスルが挙手する。
「あらシスル。気付かなかったわ……いたの?」
「うっ。……そりゃ私、確かに影薄いって言われるケド……じゃなくてですね!」
心に大ダメージを受けつつも、シスルは声を張り上げ話を筋に戻す。
「四つの通路を一人ずつと言われましても、こっち六人なので、どうすればいいのでしょう?」
「では二つの通路に一人ずつ追加していただいて構いません。その辺りはそちらの判断でお願いします」
それ以降、サスキアは沈黙する。アズライル達は円陣を組む。
「あからさまな罠だよな」(アズライル)
「幸い、ここにはサスキアしかいない。強行突破してもバレないんじゃない?」(イマナ)
「いえ、サスキア様は魔術が扱えます。長距離の念話くらいなら、恐らく出来ますよ」(シスル)
「眠らせれば?」(ヨハネス)
「いやダメだ。定期的に念話してて、途中で途絶えたら奴らにバレる。その手は使えない」(ウェレ)
「打つ手がありませんね」(アルディア)
「……罠に乗るしか方法がないな」
(アズライル)
『よし、そうしよう(即答)』(ヨハネス&ウェレ)
『……どうして男って、こうバカなのかしら?』(アルディア&イマナ)
「……(立場上、何も言えない)」(シスル)
円陣を解き、アズライルはサスキアに振り向く。
「決まった。そのゲーム、受けて立つ」
「恭順の意、確かにお受けしました」
サスキアは深々とお辞儀をし、完璧で気味の悪い笑みを浮かべた。
「俺は右端の通路にする」
親指で右端の通路を指さし、アズライルは歩み寄る。
「だったら、その次は俺だな」
ウェレがそれに続く。
「あたしは左から二番目、行かせてもらう」
背中まである長い髪を束ねて括り、レザーのグローブを着けるイマナ。どうやらそれが臨戦態勢の様だ。
「だったら、俺は左端か」
つまり、そう言う事だ。戦力を良い様に分散されては、ヨハネスを守る事が出来ない。だがアルディアとシスルを戦わせる訳にはいかないので、必然的にヨハネスが戦う事になる。“闇”の目的はまさしくソレだった。
「アルディア姫はイマナに、シスルは俺に同行させる」
アズライルが言う。恐らくこのメンバーでは最強であろうイマナには白百合を当てる。ヨハネスが捕らえられてもアルディアが無事ならば、少なくとも箱は開かない。
「オスティス。自分の身ぐらい、自分で守れよ」
一番遠い場所から、アズライルが言う。ヨハネスは首を振った。
「記憶のない今の俺はオスティスじゃなく、ヨハネスだ。そう呼んでくれ、兄さん」
「……前々から気になってたんだが、そのヨハネスってのは、どっから来たんだ?」
「アルディアがくれた名だ」
間髪入れず、ヨハネスが答える。アズライルはしばし呆然とし、笑った。
「気を付けろよ、ヨハネス」
「兄さんも、気を付けて」
ヨハネスは右の拳を、アズライルは左の拳を握り、横にかざす。
『行ってくる』
二人は異口同音に頷き合い、それぞれの道を走りだした。
「……イマナ」
二人が走り出し、ウェレはイマナに視線を向ける。
「死ぬなよ」
「誰に向かって言ってるの」
口元に指を添え、薄く笑うイマナ。ほんの僅かに二人は視線を絡ませ、互いの道を走りだした。
「……まぁ、」
「……私達、かなり蚊帳の外ですね」
取り残されたアルディアとシスルは同意し、納得いかないと言った表情でついていった。
アズライルが進んだ先の部屋には、砂が敷き詰められていた。
「……なんだ?」
「砂……ですね。何なんでしょう、コレ」
シスルも同意し、二人は揃って首を傾げる。
ほんの数センチ程度だが、砂は部屋中を覆っている。
そして、その中心に、少年が一人。
「やったね♪僕ってホント、引きが良いなぁ♪」
琴を指で弾きながら、少年は謳う。
「初めまして、アズライル様♪僕の名前はチコ♪」
少年は、謳う。
「ここは僕のフィールド『砂原』♪トリスメギストスとやり合うんだ、このくらいのハンデは赦してよね♪」
「アルディア姫、大丈夫ですか?」
「はい、何とか……」
イマナは後ろをついてくるアルディアを気にしながら、ペースを落として走る。
「もう少しの辛抱です。頑張って下さい」
「分かり、ました……」
やがて、狭く薄暗い通路に、光が射し込む。次の広場が見えてきた様だ。
「ようこそ。イマナさん、アルディア様」
部屋の中央にいたのは、黒い服に身を包んだ一人の少女だ。
「イマナさんは初めまして、でしょうか。私はプシュケと申します。以後お見知り置きを」
深くお辞儀をするプシュケを、イマナは見つめ、訊ねる。
「何なの……この部屋は?」
「私のフィールド『刃界』はお気に召しませんか?」
床、壁、天井の至る箇所に突き刺さっている、世界中のあらゆる剣を眺めながら、イマナは呟く。
「バスタードソード、レイピア、タルワール、チンクエデア、太刀……かなりの量があるわね」
「戦闘には役に立たない能力しか使えない私がトリスメギストスと対等に戦うには、武器を使う以外には方法がありません」
シャキン、と近くに刺さっていた、長さ八〇センチ程度のブロードソードをプシュケは引き抜き、構える。
「この部屋の武器は自由に使われて構いません。さぁ、正々堂々、一騎打ちです」
「暗いな……」
広場……だと思われる場所にたどり着きはしたものの、そこはランプ一つ灯っていない、完全な闇の世界だった。ウェレは拍子抜けしたのか、ため息を吐く。
「そりゃそうさ。ここは私が用意した、私の為のフィールド『闇黒』だからね」
不意に、背後からの声。ウェレは横っ飛び、すかさず体勢を整える。
「貴様……マナフかっ!」
「そう。一心同体の能力を持った、グノーシスのマナフさ」
一寸先すら分からぬ闇の中、聞こえた声は確かにマナフのものだ。
「……どうしてお前が、こんな場所での戦闘を望む?別にお前には暗視の力はなかっただろう?」
「君は私と同化しただろう?同化した者の能力を自らのものにする能力さ。実はこの能力は屍体にも適用されてね――」
フッと、マナフの笑い声がこぼれたのを、ウェレは聴き逃さない。ウェレはほぞを固める。
「――君が殺した、シュゼール。あれを『喰った』」
ギクリと、ウェレの身が強ばる。つまり、それは、シュゼールの闇との一体化が出来る、という事で――ッ!
シュゼールを倒した魔眼は、使えない事はない。だが次使えば、命の保証はない。
「さぁ、ウェレ。見せておくれよ」
ウェレの心情を見透かした様に、マナフは笑う。
「シュゼールを殺した、君の魔眼をね!」
少年二人は、対峙する。
黒い少年と、ヨハネスが。
何もない、簡素な広場で。
「お前、オアシスでの奴か!」
ヨハネスは声を荒げ、叫ぶ。今ようやくヨハネスの存在に気付いた様に、少年は気だるそうに視線を送る。
「あァ?……ンだよ、赤獅子かよ。ウェレの奴が来る事を期待してたンだがなァ」
あからさまにため息を吐き、少年は天井を仰ぐ。
「……まァ、イイや。お前ォ連れて来いッてェ言われてンだ。ただし、動けねェ程度に痛めつけて、ッてなァ!ヒャハッ!」
右手で額を押さえ、天井に向かって吼える様に笑う少年。狂喜に満ちた笑い。
ヨハネスは、グッと両手に力を込める。
「全身の骨ォ、バッキバキに砕いてやッからよォ!なァ、役立たずの足手まとい!」
少年の言葉にヨハネスの肩がピクリと震える。
「……確かに、俺は役立たずだ。正解だ、正論だ」
腰のベルトに挟んでいた包丁を抜き、少年に突きつける。ヨハネスは目を閉じたまま続ける。
「……だから、証明してやる!役立たずでも、足手まといにはならないって!」
両目を開き、少年を睨み付ける、ヨハネス。
「ヒャハッ、ハ、ハッ、ハッ!イイねその目!そォだよ、その目で俺に死ぬ気で掛かッて来りャァ、かすり傷ぐれェはつけれるかも知ンねェぞオイ!」
狂喜に満ちた嘲笑いを浮かべた少年は、パチンと指を鳴らす。直後、すぐ隣に、何かが現れた。
オアシスの時と同じ、常人には見えない何かが。
「自己紹介しとくぜィ、赤獅子。俺ァ、エルス。そンでもッてコイツァ、ウィネッてンだ。俺の双子の妹だ」
紹介の一瞬だけ、エルスの狂喜の笑顔が、ただの少年の笑顔に戻った気がした。




