第三十話
「イマナ……イマナ」
囁くようなアルディアの柔らかい声がした方を、イマナは振り返った。そこには縄をほどいたアルディアが立ち、イマナを凝視していた。
「あんな縄、どうってことないわ、わたしにとっては。あいつらもおバカだこと。ところで今、ウェレとシュゼールが死闘を繰り広げていますよ」
「え!」
イマナは絶望的な叫びをあげた。どう考えても、ウェレが勝つとは到底思えない。
「大丈夫です。ウェレが勝つわ。わたしには先を見る透視能力があるのですから。ウェレの勝利がわたしには見えています。ただし、そのぅ、ウェレはかなり傷付くでしょうが」
「わたしの為に」
そう言うとイマナは再び首を垂れた。
「絶望してはダメ。絶望は闇に繋がりますよ。希望は光。希望を持てば、より以上の力が出るわ」
「でも、あたしはこんな鳥かごの中じゃないの! 身動き取れないのよ!」
「ええ。でもそれよりも危険が迫っているの。マナフがやって来て、わたし達二人をどこかに連れて行こうとしている」
「あ、あいつっ!」
イマナの言葉は弱々しいが、その中には憎悪が潜んでいた。
「あんな奇麗な顔をしているのに、心は腐っている」
「そりゃそうよ。あいつは堕天使ですもの。砂漠には昔から天使が存在していたのよ。けれども、その中で堕落した天使達が居るのです。マナフはまさにその堕天使。だから、黒い翼を持っているのです」
「どうすりゃいいの?」
「黙ってて。よく聞いて。邪悪な物には見えないようにする術を、わたしはティラから教わりました。つまり、空間の中に溶け入るの。いわば透明状態になる。あいつは邪悪な奴だから、きっと見えやしない」
「上手く行くかしら?」とイマナは心配そうだ。
「行くわよ。だって、もう一つの雛型を創造しておくから」
「つまり、ダミーね」
イマナはやっとニンマリと笑った。
「お姫様にしては、あなたって凄いのね」
「誰だって、嫌いな男とは結婚したくないものよ。女だったら、好きな人と愛し合いたい。あなただってそうでしょ、イマナ?」
悪戯っぽい笑みがアルディアの口元に浮かんだ。がすぐにキッとした視線に戻ると、右手をあげて目をつぶり、なにやら唱えだした。
右手の薬指にはめてある青いトルコ石から閃光が光り、イマナの鳥かごをぼうっと照らし出した。目くるめく光は、その内にその鳥かごをスッポリと被い尽くし、それはふっと透明になった。
そしてそっくり同じダミーが現われた。
「じゃいいわね。わたし自身も空間に消え入りますわ。邪悪ではないあなたには、わたしの姿は見えるはずよ。黙ってて! いいわね!」
二人が空間に消え果たと同時に、翼を畳んだマナフが、ぎらついた目付きでやって来た。
「ほれ、お二人のお嬢様方。これからいい所に連れてってやっからな」
マナフは身動きしないアルディアのダミーと、鳥かごを持つと「やけに軽いな〜」と首を傾げながらも、ふわりと飛び上がった。黒い翼が広がり、やがてマナフは大空高く、どこかへ飛んで行った。
「ほら! やっぱりあいつは邪悪な者だったのね。おまけにIQも相当低い」
小ばかにしたようなアルディアがつぶやいたその時、息も絶え絶えのウェレが、鳥かごの鍵を持って、喘ぎながらやって来た……。
「もうすぐ真夜中。サスキア様がさる場所へと行かれる時間です」
とシスルがそっと言い出したのは、オスティスとアズライルが、シスルの用意した食事を取っている時だった。
「ほら、真夜中の鐘が鳴っています」
確かに、水晶の城の頂上から、真夜中を告げる鐘の音が微かに響いて来た。
「支度は良いですか? それじゃ、そこにご案内いたしますわ」
アズライルとオスティスは、戦闘体勢に入るために、互いの武器を確かめていた。トリスメギストスのアズライルは取り立てて言う武器は持っていなかったが、今は何の力もないオスティスは、その台所にある肉切り包丁を、自分のベルトに突き刺した。その格好が余りにおかしいので、シスルは思わず手を口に当てて、クスクスと忍び笑いをした。
「そうだ、オスティス、お前に言っておくことがあった。『赤獅子の紅玉』は実は俺が持っているんだよ、ほら、ここに」
そう言うと、アズライルはチュニックの胸の奥から、まばゆいルビーのネックレスを取り出した。
「これが、第一の鍵だ」
「もう一つが、『白百合の蒼玉』という訳だね」
「そうだ。その二つが合体すると、光の箱を開ける鍵が現われる。ま、どんな風にかは皆目分からんがね」
「『白百合の蒼玉』は、イマナが持っているんだよね〜? そう言われているけど」
「そうだ。それがどうかしたか?」
「兄さん、俺にはどこか附に落ちないんだ……」
「どこが?」
「それはつまり」
オスティスはこれ以上いう事が出来なかった。なぜなら、空間が突如荒々しい風と共に裂け、そこからウェレとイマナ、そしてアルディアが振って来たからだ。彼ら3人は、目を丸くしているアズライル達の前に騒々しく転がった。
「ウェ、ウェレ?! イマナ! それに、そこの女性は……もしかしてアルディア皇女?」
アズライルは叫び声をあげた。けれどもすぐに、
「うっ、いてて〜!」とうめくウェレの方を向いた。
ウェレはだらしなく転がった。いつものウェレらしくないぶざまな様子に驚いたこちらの三人は、ウェレが血だらけなのに気付いて呆然とした。喜びが一瞬にして、不安へと変わった。
ウェレが空間移動で連れて来たイマナとアルディアも、共に床に転がったが、二人は何とか起き上がった。
イマナは直ぐにウェレの元に近寄ったが、アルディアはヨハネスの姿を見つけて、喜びの声を上げた。オスティス=ヨハネスも又、ウェレに向けていた視線を、すぐにアルディアに向けた。
「ヨハネス! ここだったの?! あなたに会えて嬉しいわ!」
オスティスは恥ずかしげな表情でアルディアを見つめたが、すぐにウェレの状態が思わしくないのに気付くと、自分の感情を押し込めた。
ウェレはシュゼールとの死闘でかなり傷付いていた。又、その傷は深く、シュゼールの怨念がこもっているかのように、ウェレを痛めつけていた。
「何とかして!」とイマナがウェレの頭を抱えながら、悲痛に叫んだ。イマナ自身もかなり弱っては居たが、それ程でもないようだ。やはり致命的なのはウェレの方だった。
「ウェレはわたし達を助ける為に、シュゼールと一騎打ちしたの! それでシュゼールは遂に死んでしまったわ! でも、ウェレのほうも息絶え絶えなのよ。ここにわたし達を連れて来るだけで、もう残りの力を使い果たしてしまったのですから」
イマナの叫びに、けれどもアズライルもオスティスもなす術もなく手をこまねいていた。シスルが慌てて、冷たい水を用意したものの、オロオロと動き回っているばかりだ。
その時、凛としたアルディアの声が響いた。
「わたしはティラから癒しの術を身につけました。まだ不完全ですが、役に立つかも知れません」
そう言うと、アルディアはウェレの前に立ち、何事か念じながら右手をすすーっとウェレの方に差し伸べた。
アルディアの右手の薬指にはまっているトルコ石から、青い閃光がウェレの方に向って真っ直ぐに射抜いた。アルディアは目をつぶり、何か呪文を唱えながら一心不乱に祈っている。
と、ウェレの血の気のない顔が、少しずつ赤みを帯びて来た、と見る間もなく、ウェレの口元に笑いが浮かんだ。
「おっ、い、痛みが取れてきたぞ! 何と言う快い気持ちなんだ……」
けれどもアルディアの方は、力を使い果たしたのかガックリと、膝をついた。そのアルディアを、オスティスがさっと支えた。
それを見守っていたアズライルがはっとして呟いた。
「待てよ。俺達、とんでもない間違いをしでかしていたのかもな」
「間違い?」とオスティスが問い詰める。「間違いって?!」
「『白百合の蒼玉』というのは、もしかすると……アルディアの……」
「指輪?!」
アルディアを支えていたオスティスが叫んだ。
「この指輪は、抜けないのです」
とアルディアが力なく言った。
「畏れの巫女の長、ティラがわたしの指にはめてくれて以来、絶対に抜けないのです」
「兄さん、アルディアは『白百合』という意味なんだよ!」
「ははーん、分かったぞ! 闇の奴らが探している『百合姫の蒼玉』というのは、イマナじゃない! アルディアなんだ!」
アズライルの叫びに、オスティスとアルディアは今こそ悟ったのだった。二人の出会いが、宿命的だった意味を! 二人はさっと目を見交わせた。
「早く行かないと! サスキア様の行かれる場所へ!」
とシスルが急かす。
「よし、行こうか! こっちは二つの鍵を持っているんだ。絶対に我々が有利だぜ!」
アズライルは明るく、そしてキビキビと命令した。