第二十八話
「……」
卓上に映し出された、小さなスクリーン。エルスの無事を確認したシュゼールは、ため息を吐いた。
「……フン」
「アンタにしちゃ、結構ヒヤヒヤしたんじゃねぇのか?」
薄ら笑うウェレを無感情な双眸で数秒見つめ、シュゼールは目を閉じる。
「目障りだ。接続している空間を切断しろ」
「あいよ」
ブツン。鈍い音と共に、スクリーンが途絶える。ウェレは相変わらず、にやけた笑いを浮かべている。
(……あまり効果はなし、か)
エルスの奇行を見せられたシュゼールは、思ったよりも動揺していない。まぁ、そう簡単に動揺する様な珠でもないが。
「……どう思う?」
「はっ?」
シュゼールの謎の問いかけに、ウェレは真顔になって訊ね返す。
「なんの話だ」
「チコの話だ」
間髪入れずに、シュゼールは斬り返す。ウェレは首を捻る。
(チコの話?何か言ったっけか?)
思い出してみる。チコの言葉を。
『シャラグリア城でアズライル達が騒ぎを起こしていると聞いてね♪その偵察中に、君が歓楽街をふらふら徘徊しているのをプシュケが見つけたんだな♪ほらほら、早く乗った乗ったァ〜♪』
ゾグン、と。心臓を鷲掴みにされた様な、言い知れない不安感が、ウェレを襲う。
(ッ 待 、 て 。 騒ぎ を 起 、こした ? それ は、 つまり、 見つか った のか ? アズラ 、イ ル 達 が ?)
不安が表情に出るのを、何とか抑えようとする。
(畜生、動揺するな。今、ここでバレたら、マズい)
だが、頬はひきつり、眉間に皺が寄り、目の焦点が合わない。
(なっ 無理 落ち着 け な い。 出来 る 筈 が、 ない ――!)
思わず、表情を左手で押さえて、顔の動きを止める。人差し指が、縦一直線に裂いた、左目を潰した傷に当たる。古傷が痛む。
「……どうした?」
今度は、シュゼールが笑っていた。座ったままウェレを見上げている。
果てしなく白に近い銀髪をオールバックにしているお陰で、ウェレには全てが覗けた。
その金色の双眸の奥に隠された、
――闇。
「――ッ!」
ただ単純に、ウェレは、シュゼールが内包する闇が、怖い。
(――ァ、ァア。……ぅあァ、ァ、ぁ、ァアア!)
叫び声を挙げそうになった時、
「仲間がメフィストフィレスの城に乗り込もうとする事が、そんなに怖いのですか?」
声が聞こえた。
闇に輝く光の様な、優しい声。
発したのは、アルディアだ。
「フン、その程度でそんな事では、この先はやっていけんぞ」
呆れた口調でシュゼールが呟き、ようやくウェレは我に返った。茫然自失としたまま、アルディアを見つめる。
助け船を渡してくれた、漆黒の服飾の少女。
(……助けてくれた、のか)
――そうしないと、貴方、困ったでしょう?
不意に聞こえる、伝心。
(あぁ……ありがとう)
とりあえず、ウェレは素直に感謝しておいた。
陰から陰へ、人気のない場所を選んで、アズライルとシスルは城内を歩く。
まずシスルを先頭として、左端を歩く。その後方には、右側を歩くアズライルがいる、といったスタンスだ。
今現在二人が歩いている通路は左側に窓があり、右折する以外は直線である。
シスルは主に前方と曲がり角に注意を払い、アズライルは後方とシスルの合図を見逃さない様、右手を注視している。この方法は潜伏移動の定石である。無言の合図という事もあり、音もなく移動できるというのは、隠れる側にとってはかなり有利かつ有効的に移動できるのだ。
曲がり角でシスルが立ち止まる。クイ、クイ。人差し指と中指を二回、曲げる。『来い』の合図だ。
「この先の部屋に、オスティス様がいます」
シスルが呟く。
すぐに曲がり、近場の部屋に流れ込む。夏の砂漠の気温が体感できる部屋である。
見れば、ガラスが粉々に砕かれていた。部屋一面凶器と化している。
「兄さん」
「無事だったか、オスティス」
ベッドの下から這い出てくるヨハネスの無事な姿を見たアズライルはホッと胸をなで下ろしたが、次の瞬間にはハッと息を呑む。
「って、おまっ、傷だらけじゃねぇか!」
「あぁ……色々あったんだよ、色々と……」
ウフフヘヘと不気味に虚ろ笑うオスティスを見て、アズライルはシスルに振り向く。似た様な笑みを浮かべていた。
「……なんなんだ、お前らは」
「と、とにかく!細かい説明は後にして、まずはサスキア様の言う『あるお方』に会いましょう!もうそろそろ、サスキア様がお出かけになる時間です!」
「……お前は話を逸らすの上手いな」
アズライルの小さな呟きは、砂漠の夜に吹き消された。
「私達も出るぞ」
とシュゼールが告げる。ウェレは目を丸くする。
「なっ、マジで言ってんのか?大将が席を空けてどうするんだよ」
もちろん、ウェレからすれば重畳である。だが、それを表に出す事はない。先程は少々失態を曝してしまったが、今度ばかりは抜かりない。
「出向いてどうするつもりだ?」
「メフィストフィレスを殺す。サスキアを殺す。二人を操る者を殺す。アズライルを殺す。そして赤獅子を手に入れる。簡単な事だ」
どうという事もなさげに言うシュゼールだが、言う程簡単な事ではない。
シュゼールが立ち上がり、部屋の入り口まで向かう。
「ウェレ。貴様も来い」
「……まぁいいケドさ」
ついていくフリをして、途中で引き返せばシュゼールと言えど追いつけない。ヘルメス三人組は城に向かったし、あとはグノーシスのマナフだけだ。が、実は奴は、アルディアを連れてきた後、行方をくらませているのだ。
これはチャンスだ、とウェレは思う。見張りのいない部屋に、自由ではないが動けるアルディアがいる。もしかしたら、イマナを助ける事が出来るかも知れない。
「行くぞ。グズグズするな」
短い叱咤。シュゼールが部屋を出て、ウェレはその後に続く。
(城に着くと同時に空間移動すればいい。いける、いける、いける!)
心の中でガッツポーズをとるウェレ。
「浮き足立っているな。そんなにあの小娘を助ける算段が楽しいか?」
「あぁ」
心に緩みが生じた事で、油断した。あっさり流してしまった。
「……あ?」
凍り付いた表情のまま、ウェレは前を歩くシュゼールを見る。シュゼールは僅かに身体を引き、首を曲げてウェレを睨み付ける。
「助けたいか?」
「あ……いや、別に……」
その言葉は、今までのウェレの『演技』と比べれば、かなり稚拙な言い訳だった。
狭い通路で、二人は対峙する。
「あの鳥かごは少々特殊で、この鍵がなくてはどんな手を使っても開ける事は出来ない。散々試したんだろう?」
「……」
無言のまま、ウェレが俯く。シュゼールはその沈黙を肯定と受け取る。
「……チッ。最後の最後でドジっちまったな」
前髪をかきあげ、ウェレは睨み返す。
「色々と手は試した。籠をブッ壊そうともしたし、鍵をこじ開けようとしたし、空間移動で外に出そうともした。ケドだめだった」
隻眼の青年の視線は、シュゼールが手に持つ小さな鍵に釘付ける。
「話は分かるな?」
「あぁ」
「だったら、遠慮なく貴様をブッ殺――、ッ!?」
目の前にいた筈のシュゼールが、いない。瞬きの次には、映画のフィルムを抜いた様に、消えていた。
「どこを見ている」
そして、背後からの声。恐る恐る振り返る。
「貴様如きが私を殺す?自惚れるな小僧」
冷淡で抑揚のない声。背筋に冷たいものが走る。
「百年経とうと、千年経とうと。貴様は私には勝てない」
……それは、ウェレ自身、どこかで感じていた事だった。
だからこそ、今まで実力行使に出なかった。いや、出れなかった、が正しい。
「鍵が欲しいか?百合姫を助ける鍵が」
「何、だと……?」
「私は『百合姫の蒼玉』さえあればいい。あとはオスティスと、奴が持つ『赤獅子の紅玉』。イマナなど、貴様を手中に収める為の餌に過ぎない」
淡々と呟くシュゼールに、やはり感情は見当たらない。
「力ずくでは無理。だがイマナは助けたい。ならば私に協力しろ」
そして。
シュゼールは。
決定的な言葉を紡ぐ。
「アズライルを殺せ」
金色の双眸――獣の瞳だけが、爛々と妖しく光り輝く――。