第二十五話
「いでっ!!!!。」
「もう!じっとしてください!」
赤髪の少女が、ヨハネスの目の上の切り傷につんとする臭いの薬を塗りつけている。
それはひどく傷口に沁み、ヨハネスは椅子から5センチ程飛び上がった。
「一体、何があったんです・・・?」
少女が心配そうな顔で、その手をやっと止めた。
部屋の窓は木端微塵に砕け散り、カーテンの下にはガラスが飛散している。
不思議と風1つ吹いておらず、先ほどの騒ぎが遠くで聞こえるばかりだ。
「お前、俺を知ってるみたいだけど、誰なんだ?なんで俺を匿ったりした・・・?」
ヨハネスが少女の薬を持つ手を掴んだ。
「な、なんの冗談ですか?」
少女は、ヨハネスがまるで悪い冗談を言っているかのようにぷっと吹き出した。
「違う!冗談じゃないんだ!真剣に答えてくれっ。」
ヨハネスは一層掴む手に力を込めた。
先程、この部屋の窓を突き破ってメフィストフェレスの部屋から脱出した後、衛兵達がすぐさまこの部屋に駆けつけ、ヨハネスは逃げ場を失ってしまった。しかし、この何者かのも分からない赤髪の少女が、何も言わずにベッドの下にヨハネスを隠し、入ってきた衛兵達に、『ヨハネスはすぐ部屋を出て行った』と嘘の情報を流して匿ってくれたのだ。
その為、彼女が、記憶を失う前のヨハネスのことを詳しく知っている者だということだけは確かだった。
「オスティス様・・・・?」
ヨハネスの言っていることが、どうやら本当だということを悟ったのか、少女は急に不安そうな表情になった。
「記憶を・・・記憶を無くされているのですか・・・?」
ヨハネスはこくりと静かに頷く。
「私は、以前オスティス様のお世話をさせていただいておりました、シスルです。
今は、サスキア様のお世話をしておりますが・・・・。」
シスルは視線を床に落とし、一瞬淋しい影を落とした。
「シスル・・・か。匿ってくれてありがとう、助かった。」
ヨハネスはゆっくりと掴んでいた手を離した。
そしてすぐさま立ち上がり、部屋を立ち去ろうとした。
「オスティス様、きっと戻ってきてくださると信じていました!
この国が、何者かの陰謀で、メフィストフェレス様、いえ、サスキア様に乗っ取られてしまったことは、城中の誰もが知っています・・・!」
シスルは去ろうとするオスティスの腕の服の裾を、ぐいと引っ張った。
ヨハネスは目を丸くして振り向く。
「やっぱりな・・・!やっぱりそうだったのか!」
衛兵の態度で何となく予想はしていたものの、それは、希望の光のように思えた。
「では、アズライル様もおいでなんですか?」
何かを心配するように、シスルは部屋を見回した。
しかし、ヨハネスとシスル以外にこの部屋に人の気配がある訳はなく、しんとしている。
「ああ、兄さんもこの城のどこかに居るはずだ。」
「で、では、もしかしたら・・・・!!」
右手で口を覆い、シスルが急に青い顔をした。
「シスル?」
「オスティス様がこの部屋に来られる少し前に、侵入者の騒ぎがありまして、聞く話によると、サスキア様に捕らえられたとか・・・・。」
ヨハネスの心臓が高鳴る。まさか、あのアズライルが捕まるなど・・・・
「捕まるとどうなる!?」
乱暴にシスルの肩を揺さぶる。その身体は、思っていた以上に細かった。
「き、きっとすぐには殺されはしないと思います。サスキア様は、以前からアズライル様に想いを寄せておられましたので・・・。おそらく、地下牢に閉じ込められているのではないかと。」
ヨハネスは愕然とした。
もはや、今夜中に兄を助け、指輪を取り戻すなどできるはずがない・・・と。
当方のアズライルが、既に上手く逃げ出し、再び行動を起こしかけていることを知らずに。
「あの、オスティス様?
お2人は、どうして城に戻って来られたのですか?」
激しく揺さぶられ、少々ふらつきながら、シスルが訊ねる。
「指輪を・・・、奪われた力と記憶を取り戻す為・・・・。」
呆然とした顔でぼそりとヨハネスが呟くように言った。
「ま、まさか・・・!!」
驚き、慌ててシスルはヨハネスの左手を見る。
「ゆ、指が・・・!!ああ、なんてことでしょう・・・!!」
それは、ほぼ悲鳴に近い声だった。
「シスル、指輪の在り処を知らないか?
この城のどこかにあるはずなんだ。」
この城で、密かにアズライルに王権が戻ることを願っている者達にとって、オスティスが指輪を失ったことを知れば、どんなに落胆するだろうか。
その様子は、シスルを見ているだけでも予想はできた。
「指輪はどこにあるのかは、わかりませんが、ただ、サスキア様が秘密の部屋に何かを隠しているという噂は耳にしたことがあります。
なんでも、そこは、厳重な防犯装置が設置されているらしく、掃除係りの者でも中に入れてもらえないとか・・・。」
さすがサスキアの世話係、よく城の情報を網羅している。
「よし、その部屋までの地図を簡単に書いてくれ!」
「え、ええ・・・。」
丸いテーブルの上に載っている羽ペンと丸まった紙を広げると、シスルはサラサラと城の地図を描き始める。
しかし、半分程できたときに、ぴたりとその手を止めた。
「でも、今この部屋に行くのは危険すぎます。みすみす捕まりに行くようなものです。」
そしてなんとも意味深なことを口にしたのだ。
「もう少しここでお待ちになってください。
毎晩深夜になると、サスキア様は、こっそりと誰かと密会の為、どこかに出て行かれるんです。ですから、そのときをお狙いください。」